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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。



詩集・天国の地図(文芸社から頂いた書評一部抜粋)。

*作者が20歳から28歳までの間に綴られた、全62作品からなる詩集である。「あとがき」によれば、作者が詩に興味を持ったのは20歳の時だという。そして、最初に手にした詩集は『伊藤整詩集』と『高見順の死の淵より』の2冊だったとも記されている。
作者は幼いころ「心臓弁膜症」に罹患し、最初に手術を受けた時のことを回想して、『手術台に上がれば』を書いたとのことである。それをきっかけに、いつの間にか62作品の詩が出来上がっていたらしい。そして、心臓弁膜症に起因するうつ病を患い、現在は回復の途上にあると記されている。ここに本作品群の最大の特質があると言えるだろう。
「うつ病」を克服し、社会復帰を目指す作者の個人史が、その内面の必然性によって詩文の形に表出した、痛切ながら鮮やかな「青春物語」なのである。
*「記念すべき最初の詩」と作者自身が言う『手術台に上がれば』は、純粋な孤独感を表現した作品と言えるだろう。社会的な関係によって成立する作者の日常世界が、手術という出来事によって断ち切られ、それによって自覚された意識の反復が、言語世界として抽象化されている。
「けたたましい車の騒音が/私の耳をつんざく/ああ――/今日もまた彼等は/あの騒がしいラッシュアワーの中を/仕事に出掛けて行く/愚かな独り言を呟いて/私は又眼を閉じた」―― 「私」は「彼等」とは異なる世界に疎隔されている。かつては自分も所属し、ほとんど意識することもなかった日常世界、それが今は決定的に遠いものとなり、 もはやそこに自分の居場所はない。断念と諦念、その後に訪れた孤絶感の淵に作者は重く佇んでおり、本作品はそれを見事に描き切っているのである。

*『偽りの蒼い空』や『不安』といった作品も強く印象に残る。『偽りの蒼い空』は、破綻した「愛」を扱った詩である。 「荒涼とした海の上を/私の魂は彷徨っている/現在と過去が綾取りをして/記憶の中を交錯している」といった部分では、青春の詩人・ランボーやヘルダーリンを彷彿とさせる、青春期のたゆたうような精神の「彷徨」が率直に表現されていると言えるだろう。また。『不安』では、「宿命」的な「病」への罹患体験 を経て、作者はその奥に「原罪」を見出していく。「眼に見えなく/形のないものが/僕の背中に横たわっている/それは/ずっしりと重く/動かない」―― 「不安」とは、無根拠に人間の精神を蝕み、苦しめ、抑圧するものである。それを作者は「原罪」と読み替えて解こうとしているのである。

*表題作『天国の地図』は、「死」という非日常の実感を「日常」世界に取り込んでしまった、作者にしか表現することのできない、洒脱で、距離感をもった作品と言えるだろう。
実際には余人の想像を大きく上回る苦しみであったに違いない。だが、作者は自己を「他者」として捉える視座を保っており、詩文には見事な距離感が達成されているのである。重みと痛切さの中にも洒脱さが感じられる所以である。
同様の苦しみの中にある読者なら大いに勇気づけられるだろうし、それ以外の人々も深く共感することだろう。


ただいま執筆中!

執筆中



 皆さまへ。
 小説の執筆に専念するため、暫くブログの更新をお休み致します。再開は遅くとも4月中旬を予定としておりますが、原稿の進捗状況によっては前後する事も御座いますので、宜しくお願い致します。
2018年2月20日
管理人:神戸俊樹


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涙のバレンタインチョコ。

バレンタインチョコ



来ないあなたを待ちわびて
溶けてしまったチョコレート
半年前から準備して
今度こそはと心に決めた
届かぬハート片思い
泣くな
わたしのバレンタイン
返して
わたしのバレンタイン
ハートのチョコが悲しげに
涙の海で溺れてる



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首都圏雪百景2018。

東京の雪2018


 東京は季節外れのなごり雪が似合う。イルカの曲ではないが、先日降った雪はそんな生易しいものではなかった。発達した南岸低気圧寒波の影響で、東京の都心で23cmの積雪を観測。雪の勢いが強まった時間帯と家路へと急ぐ人々の帰宅時間が重なったため、各地の駅構内は大混雑となった。
 気象庁や私たちもこれほどの大雪になるとは予想外だった。空・鉄道・道路などの交通網は軒並み大幅の遅れや運休に追い込まれ、帰宅困難者が続出した。雪など自然に対する都会の脆さが浮き彫りとなったが、これが雨季のように数日続いたとしたら首都の機能は完全に麻痺し、東京は陸の孤島と化すだろう。
 北陸や東北など雪国の人々からすれば東京に積もった雪などは子供だましかも知れない。然し、普段は見慣れぬものへの情景はそれ自体が非日常の世界であり、空からの白い使者は何処か心を躍らす魅力に満ちているのも事実である。
 20代前半の頃、石川県の金沢に一泊二日の旅行をする機会があった。雪国への一人旅は初めてで、その興奮で前日の夜はあまり眠れなかったのを覚えている。特急列車の車窓から眺めた琵琶湖の広さに驚愕し海なのか?と思った。
 夕刻、金沢駅に降り立つと、そこはまさに銀世界。降りしきる雪の中に足を踏み込む。然し、私は自分が余りにも雪に対して無知だった事を思い知らされる。トレンチコートに革靴と言ういで立ちは無謀としか思えず、雪道を一歩進むのに随分と時間が掛かってしまった。滑って転ぶ事はなかったが、駅の近くにある旅館に着いた時は革靴とズボンの裾が雪ですっかり濡れてしまっていた。「お客さん、駅からその靴で歩いて来たんですか?お車でくればよかったのに…」と女将さんらしき女性が気の毒といった感じで声を掛けて来た。「静岡は温暖なので雪なんて積もったこともないんですよ、でも準備不足でしたね…」と私は苦笑しながら自分の失態を誤魔化した。
 翌日、目的地である兼六園へと向かったが、旅行の予算がギリギリだったため長靴は諦めた。完全に乾いていない靴が深い雪道で更に濡れ、その雪の冷たさが足元から全身に伝わり、風情ある雪一色の兼六園を愉しむ余裕は殆どなかった。
 1月22日の深夜、雪が止んだのを見計らって、防寒服に身を包み外へ出た。降り積もった新雪の上をザクザクと小気味よい音を立てて歩く。吐く白い息と凍てついた外気で眼鏡は瞬く間に白く曇った。辺り一面の銀世界で、時も場所も忘れて雪の中に吸い込まれて行く自分がいた。桜の木枝に積もった雪がまるで夜桜に見え、思わずカメラを向けた。
 心臓の悪い私がこんな凍てつく夜更けに、しかも雪の世界に飛び出すのは余りにもリスクが高すぎる。心臓発作を起こして倒れても誰も同情しないだろう。だが、今年の冬は今までとは明かに違い意外と調子が良いのである。だから無茶な行動も何の躊躇もせず出来る。この調子で行けば最も入院リスクのある2、3月も無事に乗り切れる気がする。後は陽気な温かい春の訪れを待つだけだ。今年の抱負『勤勉と努力』を一歩ずつ実践して行こうと思う。
※インフルエンザが猛威をふるっております。皆さま、十分お気を付け下さい。

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外食はいつも病気と隣り合わせ。

2018新年会


 元日の初日の出を拝み忘れていたので、それは丁度よいタイミングだった。1月2日、青い海のように果てしなく続く空と、そして連立するビル群の隙間から差し込む陽射しが眩しい。天を仰ぎながら、眩い輝きを放つ神に一礼する。
 例年同様、今年も川崎市在住の友人と秋葉原にある居酒屋『天狗』で新年会を兼ねた会食。男二人だけの新年会は寂しいものではあるが、彼とは養護学校時代からの知り合いで、40年以上に渡り自分の家族よりも長い付き合いとなる。
 相手の長所・短所そして人生の浮き沈みまでお互いに知り尽くしており、気心の知れた間柄で、おそらくこの関係は命のある限り続いて行くのだろう。長いようで短い人生において、このような喜怒哀楽を分かち合える友人に巡り合えた事は運が良かったとつくづく思う。
 付き合った友人が悪かったため、酒に溺れ人生の歯車を狂わせてしまった父のように、人生を大きく踏み外してしまう人も多い。その点私は友人に恵まれており、波乱万丈な人生ではあるが、それでも様々な障害を乗り越えて今に至る。病気もその一つであるが、その病気によって助けられている部分も少なからず存在する。
 厳しい食事制限のある中で、私にとっての外食は自分の病状を左右する極めてリスクの高いギャンブルのようなものである。だから料理の品を選ぶ時はどうしても慎重にならざるをえない。それには外食の前日から体調を整える必要があり、出来るだけ空腹の状態にしておき、水分はギリギリまで控える。
 そうやって外食と言う大きなリスクの伴うイベントに臨むのである。そんな事までして何が楽しいのか?料理を心底美味しく味わう事が出来るのか?と言った疑問を抱く人もいるだろう。然し、厳しい制限があるからこそ、一つ一つの料理が色鮮やかに際立って来るのである。ビールサワーなどのアルコール飲料も同じ事が言える。
 1日1リットルしか許されないのであれば、出来る限り好きな物を飲みたいと思う。勿論、身体を労るのは当然であるが、許容範囲内で妥協するのである。外食はいつも病気と隣合わせだが、私にとってはスポーツと同じだと思っている。

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夢に咲く花(恋あざみ)。

恋あざみ



傷つき壊れかけた この
お酒と一緒に 飲み干した
あなたの残り香 ただよう夜に
止まらぬ涙を 隠すため

嘘と本音が 交わる夜に
かわした約束 夢に見る
震える指先 あなたの背中
縋り付きたい あざみ

あああ~ 咲かせてならぬ の花
あなたの吐息が 近すぎる
あああ~ だめよ に触れないで
咲いてはならない あざみ
あああ~ このが 色褪せぬよう
あなたの面影 夢に咲く

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今年の抱負は勤勉と努力!

2018賀正

 皆様、新年明けましておめでとうございます。
 こうして無事に新たな一年を迎える事が出来、胸の内は安堵感で充たされている。治る見込みのない病気を抱えていると、どうしても不安が付きまとい、ともすれば死神の手招きを夢に見ることもある。それでも眼の前の悪夢を払い除け「生きてやる」と言う強い信念を持ち、多くの善意に見守られている自分は幸せ者なんだと言い聞かせている。
 さて、今年の干支は戌年である。それに因んでこの一年の抱負を「勤勉と努力」にしたいと思う。昨年を振り返ると、二度の入院があり(8月は仕方ないにしても)、抜歯はともかく心不全を招いたのは体調管理を怠った自分の責任であった。
 毎年の事ではあるが、気温の下がる秋~冬は特に要注意だ。理解してはいるものの、時としてその誘惑に負けて食生活を乱す。入院中のような病院食を自宅でも摂れるよう腎不全食をネット注文し取り入れてみたりしているが、どうも長続きしないのである。
 心臓疾患は兎も角として、人工透析になるような事態は避けたい。日頃から腎臓を労り、赤子を寝かし付けるように優しく扱ってやらないと、腎臓が固く縮んで行ってしまう。残された30%の機能を出来るだけ長く維持するために、今まで以上に努力が必要となる。
 31日の大晦日年越し蕎麦を食べながらNHK紅白を鑑賞した。紅白をまともに見たのは十数年振りだった。何気ない年末の風景の中にも幸福は転がっているものだと思った。このありふれた日常をこの先も長く続けて行くために、もっと自分を大切にしなければと改めて思う。お正月の期間は飲食の機会が増えるため、つい食べ過ぎてしまいがちになる。皆さんも健康に考慮して愉しい時を過ごされますように。
 
 本年も昨年と同様にビーチサイドを宜しくお願い致します。そして更に皆さまの一年が笑顔に包まれた幸多き年になりますようお祈り致しております。
平成30年 元旦。
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サンタクロースの流れ星。

Xmas


凍てつく空に またたく星は
サンタクロース流れ星
見知らぬ国の街角に
まばたきしながら 待つ子がひとり
今年は ヒゲのおじさん 来るのかな
わたしの想いは 届くかな
願いの神さま サンタクロース
お星になった 母さまに
ひと目逢いたい わたしです

全ての人に幸あれ。メリー・クリスマス



※本年も当ブログにお越し頂き有り難うございました。来年もおそらく体調と相談しながらのブログ更新となりますが、本年同様、来年もビーチサイドの人魚姫を宜しくお願い致します。

皆さま、良い年をお迎え下さいませ!

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千羽鶴に祈りを込めて。

折鶴


 私が初めて千羽鶴を貰ったのは小学6年の時だった。心臓弁膜症で藤枝市では唯一の最も設備の整った志太総合病院(藤枝市立総合病院)に救急車で緊急入院した時の事。個室部屋に運ばれ、点滴と検査の毎日だった。
 状態がある程度よくなり、8人の大部屋に移ったのは入院から3週間が過ぎようとしていた頃。小児科病棟だから患者はもちろん子どもたちであるが、10歳以下の子どもには親でなくとも誰かしら付き添いがいた。
 父や母は仕事や家事で忙しいため、大抵は祖父母が付き添う。可愛い孫の病気が気になって仕方ないから、ここぞとばかりに孫の面倒を買って出る。私の場合は入院当初、父が2日ほど付き添ったのみで、後は私一人の入院生活を送っていたが、一人は慣れっこだったためさほど寂しいとは思わなかった。何処で知ったか定かではないが、私に母親がいない事を知った他所の付き添い人が私に優しく接してくれた。
 もちろん、看護婦さんたちも私には特別に優しかったっように思う。肌着の変えが用意してなかった私に気遣って売店で肌着を買って来てくれた看護婦の塩沢さん。どこか母の面影が垣間見えるこの人の事を私は大好きだった。
 入院から1ヶ月半が過ぎた頃、6年3組のクラスメートが見舞いに訪れた。クラスの生徒44人の中から特に仲の良かった男女十数名が担任の青島先生に引率されてやって来た。見舞いの事は聞かされていなかったので、数ヶ月ぶりに見るクラスメートの顔ぶれが眩しく、そして活き活きとした健康そのものの友人たちが別世界からの訪問者に思えた。
 友人を代表して学級委員の海野慎次郎くんと、石川博子さんが「神戸くんの病気が早く治りますように、皆で祈りを込めて折りました」と私に大きな千羽鶴を手渡ししてくれた。多くの友達に囲まれ、戸惑いを隠せずお礼の言葉さえ私は失っていた。
 帰り際に担任の青島先生がアーモンドチョコレートをくれた。その時に触れた先生の白い手の温もりを今も忘れる事が出来ない。怒ると鬼のように怖い青島君代先生の往復ビンタを鮮明に覚えている。クラスメート全員が先生を全面的に信頼していた良き時代でもあった。
 皆が帰った後の病室にいつもの静寂が訪れ、小児科病棟の日常が戻ってくる。贈られた千羽鶴の置き場に悩んでいた時、看護婦の塩沢さんがやって来て、千羽鶴をベッドの端の壁に掛けてくれた。
 「ここならよく見えるでしょ、神戸くん良かったね」そう言ってにこやかな笑みを浮かべながら看護室へと戻って行った。それから数十年の歳月が流れ、私の心臓病が治る事はなかったが、その時に贈られた折鶴たちは私の心の中で今も翼を拡げ、病気の無い大空へ羽ばたこうとしている。

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塀の向こうから届いた手紙(父を偲ぶ)。

学生時代の父



父さん、母さんが出て行ったのはあなたのせい?
母さんが居なくなってからの父さんは酔っ払ってばかりいて
小さな僕を追い掛け回していましたね。
泣きながら逃げ惑う僕を捕まえて殴ったり、蹴ったり。
次の日、僕の顔に出来た青あざを見て「とし坊どうした?」はないでしょう。
昨日の事はすっかり忘れてしまい、普段の優しい父に戻るあなたが大好きでした。
父さん、あなたから貰った初めての手紙
高い塀に囲まれた別世界からの青い便箋でしたね。
所員の検閲の赤い判子が押してありました。
達筆なのか下手なのか分からないような文字で
3枚の便箋に縦書きでびっしりと書いてありました。
アル中だからお酒が切れると手が震えるので、きっと手紙の文字も震えていたんですね。
洗面用具が必要だから3千円送れと…
父さん、僕はまだ15歳で働いていなかったじゃないですか。
その3年後に肝硬変で逝ってしまったけれど、その時の顔は幸せそうでした。
きっと大好きだった母と、天国で仲良く暮らしているんでしょうね。


※11月5日は父の命日でした(享年42歳)。私が所有している父の写真は学生時代のものしかない。父子が一緒に写っている写真は母と同様で1枚もないが、思い出だけは脳裏に深く刻み込まれている。

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死の感触。

病室2017



あの世
たっぷりと含んだ空気が
いやな臭いを漂わせ
この部屋に流れ込んでいる
ああ――
この部屋のものたちが
呻きながら湿り気を帯びていく

賞味期限切れの
私の身体とおんなじで
湿気たフライドポテト
なんという味気の悪さ
の感触とは
きっと
こんなものなのかも知れない



※心配をお掛け致しました。入院はせず自力で頑張っております。

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台風接近と心不全警報。

台風


 超大型台風21号の爪痕が列島各地に生々しく残るそのコースを、なぞる様に北上を続けた台風22号。それに刺激を受けた秋雨前線の影響で、台風から離れた地域でも1時間に50ミリと言う激しい雨に見舞われた。
 今年は季節が一ヶ月前倒しで訪れる異常気象。6~7月にかけては連日の猛暑で熱中症の症状を訴え救急搬送される人が相次いだ。この時季、私はすこぶる調子が良く体重は61キロ台と体重計に乗るのが嬉しくなるほど心臓への負担が減り、長い階段を上っても殆ど息切れする事もなかった。
 この分だと8月は更に暑くなりそうだと、私は内心にんまりしていたのだが…。その8月は夏を忘れてしまったかのように気温も低く太陽が顔を覗かせたのは数日のみ、戻り梅雨のような曇空に蝉の鳴き声が虚しく木霊していた。
 それでも何とか体重は安全圏の63キロ台を辛うじて維持。9月に入ると寒暖差の激しい日々が続き、体調不良を訴える人が目立つようになった。私の身体も敏感に日々の変化を感じ取り、それが息切れという症状となって現れ始めた。
 10月に入るとそれは更に顕著となり体重が65キロ台と一気に増加。調子の良かった61キロから4キロも増えてしまったのだ。その増えた分(殆どが水分)は全て心臓への負担となり、心不全が眼の前を飛び交い始める。台風が接近し気圧が下がり始めると身体中に異変が生じる。人によって個人差はあるものの、私のように何らかの病気を抱えている場合は、SOSの信号が頻繁に身体を駆け抜ける。
 気圧の変化に敏感なのは小動物も同じで、特に猫は聴力に優れた動物であるため、人間以上に気圧の変化を敏感に感じ取る。飼っている猫の機嫌が悪い時は気圧の影響かも知れない。この記事を書く数日前、衆議院選挙を題材にして『忖度政党VS国民ファースト』と銘打って久々に政治ネタを取り上げようと思ったが、気力が空回りして筆が一向に進まない。天候はメンタル面にも大きく影響し、やる気を削ぎ落としてしまう。
 軽いうつ状態が心不全への不安と相まって筆の勢いを奪ってしまったらしい。小池代表に終始振り回された野党の諸君、希望の党は失望の党へと失速したが、その道を選択しのもあなたたち自身なのである。己のポリシーまで捻じ曲げて小池人気にあやかろうとしたその結果に狼狽え、不満を噴出させるのは子どもじみていて大人げない。野党が一枚岩にならなければ政権奪取など夢のまた夢である。
 こうしてキーボードを叩いていると筆の勢いが少し戻って来たような気がする。この調子で心臓の方も元気を取り戻してくれると良いのだが。東京と近畿では木枯らし1号が吹き、いよいよ冬本番も目前である。心臓にとって寒さは大敵、これからの数ヶ月憂鬱な日々が続くと思うと気分も沈みがちではあるが、緊急入院とならぬよう自己管理を徹底したいと思う。

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初めての旅は府中刑務所だった(再編集版)。

東京タワー


 私が初めて東京に行ったのは小学4年生の時だった。その頃はまだ新幹線も開通していなかったので伯父に連れられて東海道線の長い汽車の旅を経験した。行き先は東京の郊外にある府中刑務所。父が服役している場所であった。日時や曜日までは思い出せないが前日に藤枝を出発し、東京に着いてから地下鉄を幾つも乗り継いだ記憶がある。
 こんな暗い所を電車が走っているなんてと驚いた。東京には三郎という祖父の兄弟が住んでいるらしく(練馬辺り)伯父はその人の家を探し回っている様子だったが結局見つからず、既に夜も10時を過ぎていたのでその辺で見つけた宿に泊まった(今思うとラブホテルだったのかも知れない)。
 ふんわりしたベッドの感触やバスルームに綺麗な花びらが浮いていたのを思い出す。家で寝る石のように固い薄っぺらな布団とは大違いだった。都心から府中刑務所まではおそらく京王線で行ったのではないだろうか。その頃に京王線が走っていればの話ではあるが。
 父の出所を迎えに行くのはこれが2回目なのである。実は4歳(多分)の頃に祖母と一緒に静岡刑務所へ迎えに行った事がある。4歳という幼い記憶なのでおぼろげではあるが、2度目の出迎えは鮮明に脳裡に焼き付いている。
 子どもの目からみればそれは城門の聳え立つ高い塀に見えた。刑務所の入り口までは広い公園になっており、私はそこでひとり待たされた。子どもは刑務所の中には入れないのである。一体どのくらい待っただろうか。天気がよかったので、公園に生い茂る樹木の下で飛び回る虫たちの姿を見つめながら時間を潰していた。公園内を掃除している清掃員のおじさんが声を掛けて来たが内容は忘れてしまった。こんな所に小さな子どもが一人でいる事自体が不思議であり、よほどの事情があったのだろうと思ったかもしれない。随分長い時間を待たされ、漸く大きな刑務所の門が開いた。私はそれをかなり離れた場所から見詰めていた。
 最初に伯父の姿が現われ、その後に白い開襟シャツを着た父の姿が見えた。父は少し笑っているように思えた。本来ならここで父に向かって走り出し抱きつくシーンを思い起こすだろうが、ドラマのように涙を誘う感動的な風景とは裏腹に父との会話は全くなかった。
 出所する時、刑務所から僅かだが現金が支払われる。服役中は誰でも労働するわけだからそれに対する報酬が出るのであるが、それは本当に僅かな金額で、刑務所から故郷に帰る交通費と飲食代程度のものだった。幼い私としては折角東京まで来たのだからせめて東京タワーに上ってみたかったが、そんな時間は全く残ってはいなかった。帰りは午後から雨になり、静岡行きの列車も満員で座る事が出来ず乗車口の所に立っていた。
 通り過ぎる雨に煙る薄暗い空に、東京タワーが天を突刺しながら「ボク、またおいで」と言っているように思えた。同じ乗車口に居た綺麗なお姉さんが、私にパンをくれた。お腹の空いていた私にとっては有り難い思いがけないご馳走だった。パンに喰らい付く私を見て、父が「お礼を言えよ」と優しく言った。

※私小説「届かなかった僕の歌(幼少篇)」より一部抜粋して加筆・修正した。
初掲載
2012年6月30日(土)0時23分33秒
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息子の落語披露と40年越しの謝罪。

落語


 今年5月の下旬に差し掛かった頃、静岡に居る息子の勇樹から安否確認を兼ねた連絡が入った。「父さん、どう調子は?」あまり体調が芳しくない時だったので「うーん、今一つ元気が出ないんだ…」と言葉を濁らした。「そうなの?7月に落語を演るから観に来てよ」「えぇ!そうなのか?」。
 昨年の4月に記事として紹介済みの『オペレッタ・赤ずきんちゃん』を最後にステージには立たないと聞いていたのだが、今回は息子が経営するパソコンサロン『ゆうらくの森』が開設5週年を迎える為、それにあやかってワンマンショーをやると言う。そしてなんと落語を演じると言うではないか。これはやはり父親としてなんとしてでも観に行かなくてならないと思い万全の体調でその日を迎える為、早速コンディションの調整に入った。
 そして迎えた7月22日、体重も安全圏の62キロ台を維持。この位の体重であれば階段を上ってもさほど息切れもしないし病気を意識しないで済むから実に有り難い。車窓から望む景色を愉しむため、敢えて各駅停車の新幹線『こだま』に乗り込んだ。時間に余裕を持って少し早めに静岡駅に到着。自分が住んでいた20代の頃と比べれば駅も大きく様変わりし、昔の面影は殆ど残っていない。だが、やはり故郷である。連立するビルの谷間を行き交う人々や、走り行く車の往来、景色や空気までもが自分を迎え入れてくれているようで、日記のページをめくるように沢山の想い出が一気に溢れ出して来た。
 駅北口の10番線から会場となっている『アイセル21』行きの循環バスに乗り込む。忙しない都会の東京とは大違いで、バスは約20キロほどのゆったりした速度で駿府城のお堀周りをまるで馬車のように揺れながら走る。観光バスに乗った気分でお堀の石垣を見詰めていた。
 目的地には開場30分前に到着。1階のラウンジに入ると既に数十人の人が開場を待っていた。開場13時30分になりホールの赤い扉が開く。それを待って人の波がホールに吸い込まれて行く。私はよく見えるようにと最前列の右端に席を設けた。次々と入場して来る観客たち。ホールは300人を収容出来、市民のイベントによく利用されているらしい。用意された席もほぼ埋まり後は開演を待つだけとなった頃、一人の中年女性がスタッフに促され最前列の左席に座った。
 その女性の方に視線を投げると何処か見覚えのある顔だった。そう、それは紛れもなく息子の母親であった。その瞬間、時が止まり記憶が数十年前へと一気に遡る。ゆみ子と出会った時、彼女はまだ17歳だった。しかしどんなに時を経てもその当時の面影は鮮明に残っている。そんな彼女の事に心を奪われている事も知らずステージには着物姿の息子が登場していた。
 落語を多くの人に聞かせる訳だからそれなりの出来栄えでなければならないが、着物姿のそれは既に真打ち『ゆうらく亭 勇楽』を名乗る落語家そのものであった。演目はさぁさぁお立ち会い!でお馴染みの『蝦蟇の油 口上』で幕を開けた。
 会場は静寂に包まれ、皆が息子の落語に耳を傾ける。時折漏れる笑い声に誘われ私も笑みを浮かべる。蝦蟇の油は約15分ほどで終了し、それに続いて小話が2つ。地元のネタや都民ファーストなどの流行語などを交えての粋な話に会場は大爆笑に包まれる。そして約10分の休憩を挟み、本日の主題である『竹の水仙』が始まった。この落語は名人として名高い大工・左甚五郎を主人公とした噺である。
 時間にして約30分、休む間もなく一気に噺を進める息子、ステージ上のその姿の迫力に圧倒されっぱなしの会場だった。演目が終わり最後に息子を中心として観客全員が集合し記念撮影。ホールを出る人々と握手・御礼を交わし、笑顔を絶やさない息子の額からは汗が滝のように流れ落ちていた。そして殆どの人が帰った後、漸く親子の時間が訪れる。そして思いもよらぬサプライズが待っていたのである。
 帰り支度をしている息子の母親に女性スタッフが声を掛け、父親が来ていることを告げたらしい。そして半ば強引に息子と立ち話をしている私の所に連れて来た。見詰め合う私とゆみ子、「40年ぶりだね…」それはほぼ同時に二人の口から零れた。私はゆみ子の元に歩み寄り両手で彼女の肩を抱いた。そして彼女の耳元で小さく「ごめんね…」と呟いた。
 その様子を見ていた女性スタッフが思わず「お母さん、泣いちゃう…」と言葉を漏らした。その時の彼女の大きな瞳には海のように溢れんばかりの涙で一杯だったのかも知れない。それは初めて耳にした私からの40年越しの謝罪だったから…。
 そしてスッタフに促されながら親子3人でカメラの前に立った。こんな日が来ることを一体誰が予想出来ただろうか…。この時、一番嬉しく感無量だったのは息子の勇樹だった事は言うまでもない。30数年経って漸く手に入れた親子3人の記念写真だったのだから…。

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恋文(未刊詩集・天国の涙より抜粋)。

ラブレター



外来の受付窓口に
一通の白い封筒が置いてあった
宛名はなく
誰宛のものか分からなかったが
差出人の名前に見覚えがあったので
開けてみた
白い便箋に端正な字で
青いインクの文字が
綺麗に並んでいた

僕の名前を聞いて
思い出してくれるでしょうか
ほんの少しあなたを
見かけただけなのに
その時から
何か僕の心に感じるものがありました
僕の気持ちをどうしても伝えたい
僕の気持ちを伝えないままで
もう会えないと思うと
心苦しい思いで一杯なのです
なんとしてでも
あなたと話す機会が欲しい

わたしに宛てた手紙だとすぐに気付き
何度も読み返し
そっと白い封筒に戻した
恋文――

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スプリンターは疾風の如く。

スプリンター

 娘の出身校である東洋大学にこれほどの選手がいる事を私は全く気付かなかった。娘が第一志望に選んだ大学だったから、親としてもう少し関心を寄せるべきだったと反省しているが、ロンドンオリンピックミドル級金メダリストの村田諒大選手の事は知っていた。
 9月8日~10日の3日間に渡り、福井運動公園陸上競技場で開催された『天皇賜盃 第86回 日本学生陸上競技対抗選手権大会(全日本インカレ)』で9月9日、陸上男子100mに出場した桐生祥秀(東洋大)が9秒98を記録し、日本人で初めて10秒の壁を破った。
 このニュースは瞬く間に列島を光の如く駆け巡り、歓喜の声が日本各地で沸き上がった。日本人スプリンターにとって10秒の壁は、そこに存在するエベレストの如く高き峰だったかも知れない。世界の陸上界を見渡せば、外国人、特に黒人選手たちの独壇場である。カール・ルイスを初め、陸上界の王者ウサイン・ボルトなど、優れた身体能力、高身長、長い脚とどれを取っても日本人選手の敵う相手ではないように思えた。
 生まれた国や民族性など走る事に長けている狩猟民族のDNAが長い時を経てもなお、現在に受け継がれているのである。群雄割拠する短距離の中で日本人選手が世界と肩を並べるには、並大抵の努力では実現出来ないだろう。
 スプリンター個人の持って生まれた素質と恵まれた体格、優れたコーチたちとの出会いやライバルの存在など、運も含めてこれらの要素が一つになった時に奇跡的とも思える記録は誕生する。桐生選手はスタートもさる事ながら、中盤での超人的勢いがそのままゴールを引き寄せた。追い風も味方したとは言え、桁はずれの瞬発力や持続性は黒人選手たちを脅かす材料になっている。
 9秒台を視野に入れた日本の若きスプリンターたちにとっても、桐生選手の快挙は大きな弾みになる事は間違いないだろう。桐生選手が東洋大の法学部に所属している事を知って、娘も同じ法学部だったからもしかすると面識があるのではないかと思った。今度それとなく娘に訊いてみようと思う。
 走る事には全く縁がなく苦手な私であるが、このような勢いがあり希望を与えてくれるニュースは嬉しいものである。桐生選手、日本新記録おめでとうございます。これからも益々活躍してくれる事を期待したい。

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後悔の涙(母を偲んで)。

額田雪子




安らぐ場所にたどり着いたのか
苦しまずに逝ったのか
痛みはなかったのか
毒を飲む瞬間
何を考えていたのか
僕のことを想い出しただろうか
通夜にも立ち会えず
最後のの顔も見届けず
火葬にも出席出来なかった
僕は幼すぎたのか
の死を知らされた時
他人事と思えた
僕の心は余りにも冷たかった
今になって
後悔が僕の心を掻き乱す
あなたに会いたかった
どんな形でもよいから
会いたかった
この僕を産んでくれた
あなただもの



※9月8日は(額田雪子)の命日でした。福島県常磐市大字上湯長谷字上ノ台にて没。享年28歳。この写真藤枝市茶町にあるの実家の仏壇に飾ってあったものを伯父に頼んで頂いて来た、数少ない母の貴重な一枚。

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感染性心内膜炎を阻止せよ!

抜歯8.22


 行方知れずだった夏が青空を引き連れて東京に戻って来た22日、バッグにいつもの入院グッズを詰め込む。短期入院だから荷物は少なめにしたかったが、心臓疾患を抱えるこの身体いつ何時、不測の事態に遭遇するか先が読めないため、それに備えてパジャマや下着は多めに用意。
 黒い大きめのバッグはそれらの荷物でパンパンに膨れ上がっていた。そして背中にはバックパック。これらの荷物を持って病院までの道のりはかなり辛いものではあったが、幸いにして今回の入院に心不全は関係なかったため、意外に足取りはそれほど重くはなかった。
 それにしても夏場に入院するのは2008年6月以来9年ぶりとなる。今年はもう入院はしないつもりだったが、どうしても早急に抜かなければならない歯が1本見つかったため仕方のない事ではあった。
 抜歯入院となる事は循環器外来時に主治医に話しておいたが、「人工弁が入っているから早めに処置した方がいいですね」と念を押された。斎藤工が主演する医療ドラマ『最上の命医』でも取り上げていたように、治療中、或いは放置状態だった虫歯が原因で血管内に細菌が侵入し、心臓内に菌の塊(病巣)が出来その結果、心臓の一部を腐らせてしまい、手当が遅れた場合は死に至ると言う恐ろしい病気が感染性心内膜炎である。
 私のように機械弁を使用している場合はそれ以外に細菌による「人工弁閉鎖不全」となるリスクも高く緊急手術が必要となる。いずれにせよ命の危険が伴うため、たかが虫歯と侮っていると寿命を縮める病気に発展する。口腔内は常に清潔を保ち、特に就寝前は歯磨き・うがいを怠らない事である。
 心内膜炎虫歯以外にストレスや他の病気で免疫力が低下した場合にそのリスクは高まる。風邪は万病の元と言われるように、些細な事が原因で命に関わる病気に罹患する事もあるため、健常者であっても「自分は大丈夫」と思い込まず、日頃から健康管理に気を配る事が不可欠である。
 但し、心内膜炎は稀な病気であり健康な人が罹患する確率は非常に低いのも事実。最も注意しなければならないのは、私のような心臓疾患で血液の流れに乱れがある場合に発症するケースが殆どであるため、むやみに神経質になることはない。
 歯科医が私に向かって頻りに「心内膜炎」を連発するのはそのためであり、入院しての抜歯は最善の処置であるだろう。前回は出血が止まらず入院が長引いた経緯もあったので、最初から止血剤を使用したため今回は殆ど出血せず予定通り早々の退院となった。
 現在、虫歯を治療中の方はもちろんの事、虫歯に限らず口の中に違和感があったり、普段とは明らかに違うと疑問や不安を抱いた時は早急に歯科を受診し、早期発見・早期治療に専念して頂きたく思う次第である。

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横浜ラブ・ストーリー。

横浜ラブストーリー


ハマの酒場に 未練を残し
酔ったふりして 泣きつくす
夢にやぶれた 女がひとり
空のグラスに 想いがにじむ
アアア~ ここは横浜 愛がかすむ街

たどり着いたら の街
やぶれたなら 捨てましょか
いっそ 濡れて 生きるなら
潮風 抱いて 眠りたい
アアア~ ここは横浜 夢がにじむ街

の青さが まぶしくて
どこまで沈めば 気が済むの
白いカモメは ゆりかごで
さえずり眠る 子守唄
アアア~ ここは横浜 恋がたたずむ街


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娘のペットはアナコンダ。

パイソン

 娘がヘビ好きだと言うのを私は昨年初めて知った。Lineで会話のやり取りをしている時、「を飼ってるよ」と聞かされた時は流石に驚いた。娘が鳥好きでインコについて過去に何度か綴って来たが、まさかのヘビ発言で面食らってしまった次第である。
 「いつ頃からヘビが好きだったの?」「保育園の時からだよ」「ええっ!そうだったの?」これまた意外な返事で更に驚いた。幼少の頃、そんな素振りは全く見られなかったし、動物園へ足を運び沢山の様々な生き物に触れてはしゃいでいた娘の幼い姿を何度も見て来たが、ヘビ爬虫類)に興味を示す様子は伺えなかった。これは「子の心親知らず」で、私の眼が親として節穴だった事を思い知らされた。
 娘が手に持っているヘビボールパイソンと言い、アフリカに棲息するニシキヘビニシキヘビ属に分類される種類である。体長は最大で2mまで成長するようだ。性格は温厚でヘビの中では最も飼い易いタイプ。爬虫類ペットとしては初心者向けとも言われている。
 娘のヘビ好きは一体誰に似たのだろう?と疑問がよぎった。私も母親もヘビは苦手で思い当たる節がない。暫く考え込んでみて「あぁ、そうか!」と納得に至った。それは私の父の事である。父が生前ヘビ好きだったか分からないが捕まえるのは得意だった。父は捕まえたヘビを私によく見せてくれたが、幼い私はそれが恐くて泣きべそをかきながら逃げ回ったこともあった。
 ここで父とヘビに纏わるエピソードを一つ紹介しよう。それは私が小学3年生の時で、まだ心臓病を患う前の事。学校から帰ると父が物置小屋の前で何かを引っ張り出そうとしていた。「父ちゃん何してるの?」と興味津々で近づいてみた。父は両足を踏ん張り、両手で太いロープを握り引っ張っているように見えた。が、よく見るとその太いロープに「鱗」のようなものがあるのを発見!「えっ!それってヘビ?」ロープだと思っていたものが実はヘビの身体だった事に驚きの声を上げてしまった。
 それは体長2mを悠に越す大きな青大将だったのである。ヘビは逃げようと必死で抵抗を続けている。父もまた必死に引っ張り出そうと顔を真っ赤にしながら踏ん張っていた。ヘビの頭は物置の奥に隠れて見えなかったが、結局、父が根負けしてヘビの身体を離した。ヘビはスルスルスルっと物置の奥に逃げて行った。「父ちゃん、逃げられちゃったね…」「あぁ、あの青大将は家の主だよ」「そうなの?」大きな青大将が家の縁の下に棲んでいるのを知ってはいたが、実際に眼にしたのは初めてだった。
 父のDNAが娘に隔世遺伝したと考えれば、娘がヘビに興味を抱くのは納得出来る。ヘビを手にしながら得意げな顔で私にヘビの話しを聞かせてくれるその姿に、亡き父の面影が重なって心が和らぐ気がした。もしかすると父がヘビの姿を借りて、私と娘に会いに来てくれたのかも知れない。

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命のプレゼント―心臓病をありがとう。

命のプレゼント


寺嶋 しのぶ
命のプレゼント―心臓病をありがとう
四六判・上製・帯付/132ページ
著者/寺嶋 しのぶ
カバーイラスト/寺嶋 しのぶ
カバーデザイン/森下 恵子
発行所/文芸社
定価/本体1200円+税
ISBN4-8355-9198-4 C0092


 私の著書 天国の地図と同じ文芸社から2005年6月に出版された詩集である。著者の寺嶋しのぶさんは「全国心臓病の子どもを守る会」の内部組織「心友会」のメンバーでもあった。
 私は現在でもこうして生き長らえているが、彼女はもうこの世にはいない。その代わり命の尊さを詩に託して生きることの素晴らしさを残して行ってくれた。
 重度の先天性心臓病であった彼女は、幼い頃より度重なる手術に耐えなければならなかった。この病との闘いの中で、彼女は生きることの素晴らしさを日々抱きしめていた。
 「あぁ…/私はここにいる/命を受けて/愛されて/私はここで生きている」(「生命」より)と。だが、18歳で4度目の手術を受けた際、虚血後脳症となり脳死寸前に。
 そして2004年、23歳の若さでついに力尽きてしまう……。
 本書は著者が14歳から18歳までに書き綴った詩を集めた作品集。生命への賛歌を高らかに謳い上げた感動の一冊。


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七夕物語り。

七夕物語



七夕の夜
天の川小舟で渡っていると
星が一人で泣いていた
はぐれたあの娘を追いかけて
流れの中で迷ったの
このまま何処まで行ったとて
あふれる天の川
星の渦巻き 闇の中
夜に紛れて消えた星
お空はとっても広すぎて
あの娘を探し切れないの
せめて今宵の星空だけは
あの娘と一緒の天の川
願いを込めて祈ります



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レインコートにkissの雨。

kissの雨


降りしきる の中を
靴音響かせ 駆け抜けた
水たまりに 弾ける想い
ヒールの底に
乱れた心を 忍ばせながら
ビルの谷間で 時間が溶けて
あなたの影が まといつく

ヘッドライトが 悲しげに
二人の影を 映し出す
止まらぬ車と あなたの背中
夜の帳に 包まれる
捨て台詞 一つ残せず
無常のに さえぎられ
通り過ぎるは 面影ばかり

だから レインコートkiss
降って降って 降り止まぬ
だれ模様のkiss
濡れて滲んだ 心が溶ける
だから レインコートkissの雨
降って降らせて あなたの心
Kissの雨で濡らしてみせる
流れるは kissの雨


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病院食は父親の味(父の日に寄せて)。

病院食

 私が初めて入院を経験したのは小学6年の時だった。心臓病の発見は小学4年の時であったが、約2年間は医者の目に触れることはなかった。そこには劣悪な家庭環境が背景にあり、学校から専門医の診察を受けるよう注意を促されていたにも関わらず、父はみて見ぬ振りを決め込んでいたのである。
 労働意欲の全くない父は、明るい内から酒を飲み顔が夕日に染まる頃には、赤い顔を更に赤くして酔いどれていた。経済力も健康保険証もない状況下では、どんなに病状が進行しても医者に掛かる余裕などなかったのである。
 そんな環境ではまともな食生活が送れる筈もなく、一日三食の日は年に数えるほどしかなかった。栄養不足の私の身体は、病気も手伝って見る見るうちにやせ細って行った。
 「ウー、ウー、ウーッ…」
 けたたましいサイレンを響かせながら、夜の闇を走る救急車の中に、顔を止まらぬ鼻血で真っ赤にした私と酒臭い父の姿があった。藤枝では一番大きく、設備の整った「藤枝市立志太総合病院」に向かって白い車は走った。到着した救急車を待ち受けていたのは、数人の医療スタッフとストレッチャーだった。
 「何処へ連れて行くのだろう…」
 不安な表情を浮かべる私に父が上から語り掛けて来た。
 「とし坊、もう大丈夫だ…」
 酔いが少し覚めた父の口調は優しく温かだった。子どもにとって親の一言がどれだけ大切で救われることか。私は涙を溜めながら「うん」と頷いた。小児科病棟の個室に運び込まれると、その後から慌ただしく看護婦たちが出入りしていた。
 扉には面会謝絶の札が掛かり、病状の重さを物語っていた。点滴がその夜から始まり、3週間近く続いた。個室にいる間は父が時々様子を見に来たが、泊まって行ったのは入院初日の夜だけだった。完全看護とは言え、まだ11歳の子どもである。1人で個室にいるのは淋し過ぎた。ただ、その淋しさを紛らわしてくれたのが朝昼晩の病院食であった。
 1日3回、しかも毎回メニューが替わる食事は、子どもの世界を一変させるほど効果があったし、家にいたらこんな風に毎日ご馳走は食べられない。育ち盛りの子どもにとっては空腹ほど残酷で耐え難いものはなかった。
 その日の夕食は、刺身と肉じゃがにワカメの味噌汁だった。食事中に父が紅い顔をしてやって来た。病棟に酒の臭いが広がるのはとても恥ずかしかった。ガツガツと餌にありついた犬のように食べる私を見て父が言った。
 「みっともないから全部食べずに、少しは残せ…」
 何の苦労もなく子ども時代を過ごした父は人一倍プライドだけは高かった。父の馬鹿げた言葉だったが、そんな言葉に耳を貸すこともなく、私は綺麗に夕食を平らげた。そして味噌汁を一気に飲み干した。その後で父が言った。
 「どうだ、父ちゃんが作った味噌汁とどっちが美味い?」
 「そりゃあ父ちゃんの方が美味いよ」
 「父ちゃんの味噌汁は世界一だもん」
 「そうかー、退院したら毎日作ってやるからな」
 嘘でも嬉しい父の言葉が、病院食の器の中で優しくいつまでも木霊していた。


※初掲載:2012年11月4日0時36分32秒


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爆報!THEフライデーに写真を提供。

爆報フライデー

 去る5月26日(金)19時~、爆笑問題がMCを務めるTBSテレビの人気番組『爆報!THEフライデー』がメインで取り上げた内容は、ビッグダディの元妻・美奈子さんの近況であった。離婚から4年が経った彼女が7人目の出産で危機に瀕しており、妊婦の8人に1人が罹ると言われる妊娠糖尿病との壮絶な闘いで、心臓肥大巨大児などのリスクを抱えつつ、それを見守る家族や医療スタッフそして新ダディの登場と、話題の尽きない内容であった。
 さて、既に気付いた方もいると思うが上の心臓肥大の画像、実は私の心臓のレントゲン写真である。写真の左下に提供:神戸俊樹とあるのがお分かり頂けるだろうか。TBSに写真を提供した経緯は、5月20日FC2のメールフォームから1通のメールが届いた。送信者はTBSテレビで、今回番組で妊娠糖尿病の一環として心臓肥大を取り上げるため、私の心臓のレントゲン写真を使用させて欲しいと言う内容だった。
 余りにも唐突なメールだったため、最初はイタズラ?と思ったが、爆報!THEフライデーは高視聴率を誇る有名な情報バラエティ番組であり、その番組制作に自分の心臓が役に立つのであれば喜んでこの傷だらけの心臓を提供しようと決心した訳である。
 番組制作スタッフの松村さんと何通かのメールのやり取りをし、レントゲン写真の元データをメールに添付し送った。肥大した心臓の写真などは病院に依頼すれば手に入れる事は容易だと思うが、これはまさに個人情報の一部であり、更には患者の立場や患者自身が抱える悩みの原点でもある。その一部を世間の眼に晒すなどと言う事は、相当な勇気と決断力がないと出来る事ではない。
 私自身は子ども時代から心臓病との付き合いが長く、ネット上でも自分の病気について包み隠さず公開している事もあり、その辺りで今回のレントゲン写真について良い意味で私に白羽の矢が立ったものと推察される。
 美奈子さんは懸念された妊娠糖尿病の影響もなく、体重3440gの健康な女児を無事出産。家族全員で考えた名前が柚都(ゆづ)ちゃん。番組の最後に制作スタッフが『新ビッグダディ編』の密着取材を申し出たが、「それはいい、静かに暮らしたい」と笑顔でキッパリ断っていた姿が印象的であった。
※番組関連記事公開と番組の画像使用について快く承諾して頂いた制作スタッフの松村好恵様にこの場を借りてお礼申し上げます。

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