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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。



詩集・天国の地図(文芸社から頂いた書評一部抜粋)。

*作者が20歳から28歳までの間に綴られた、全62作品からなる詩集である。「あとがき」によれば、作者が詩に興味を持ったのは20歳の時だという。そして、最初に手にした詩集は『伊藤整詩集』と『高見順の死の淵より』の2冊だったとも記されている。
作者は幼いころ「心臓弁膜症」に罹患し、最初に手術を受けた時のことを回想して、『手術台に上がれば』を書いたとのことである。それをきっかけに、いつの間にか62作品の詩が出来上がっていたらしい。そして、心臓弁膜症に起因するうつ病を患い、現在は回復の途上にあると記されている。ここに本作品群の最大の特質があると言えるだろう。
「うつ病」を克服し、社会復帰を目指す作者の個人史が、その内面の必然性によって詩文の形に表出した、痛切ながら鮮やかな「青春物語」なのである。
*「記念すべき最初の詩」と作者自身が言う『手術台に上がれば』は、純粋な孤独感を表現した作品と言えるだろう。社会的な関係によって成立する作者の日常世界が、手術という出来事によって断ち切られ、それによって自覚された意識の反復が、言語世界として抽象化されている。
「けたたましい車の騒音が/私の耳をつんざく/ああ――/今日もまた彼等は/あの騒がしいラッシュアワーの中を/仕事に出掛けて行く/愚かな独り言を呟いて/私は又眼を閉じた」―― 「私」は「彼等」とは異なる世界に疎隔されている。かつては自分も所属し、ほとんど意識することもなかった日常世界、それが今は決定的に遠いものとなり、 もはやそこに自分の居場所はない。断念と諦念、その後に訪れた孤絶感の淵に作者は重く佇んでおり、本作品はそれを見事に描き切っているのである。

*『偽りの蒼い空』や『不安』といった作品も強く印象に残る。『偽りの蒼い空』は、破綻した「愛」を扱った詩である。 「荒涼とした海の上を/私の魂は彷徨っている/現在と過去が綾取りをして/記憶の中を交錯している」といった部分では、青春の詩人・ランボーやヘルダーリンを彷彿とさせる、青春期のたゆたうような精神の「彷徨」が率直に表現されていると言えるだろう。また。『不安』では、「宿命」的な「病」への罹患体験 を経て、作者はその奥に「原罪」を見出していく。「眼に見えなく/形のないものが/僕の背中に横たわっている/それは/ずっしりと重く/動かない」―― 「不安」とは、無根拠に人間の精神を蝕み、苦しめ、抑圧するものである。それを作者は「原罪」と読み替えて解こうとしているのである。

*表題作『天国の地図』は、「死」という非日常の実感を「日常」世界に取り込んでしまった、作者にしか表現することのできない、洒脱で、距離感をもった作品と言えるだろう。
実際には余人の想像を大きく上回る苦しみであったに違いない。だが、作者は自己を「他者」として捉える視座を保っており、詩文には見事な距離感が達成されているのである。重みと痛切さの中にも洒脱さが感じられる所以である。
同様の苦しみの中にある読者なら大いに勇気づけられるだろうし、それ以外の人々も深く共感することだろう。


息子の落語披露と40年越しの謝罪。

落語


 今年5月の下旬に差し掛かった頃、静岡に居る息子の勇樹から安否確認を兼ねた連絡が入った。「父さん、どう調子は?」あまり体調が芳しくない時だったので「うーん、今一つ元気が出ないんだ…」と言葉を濁らした。「そうなの?7月に落語を演るから観に来てよ」「えぇ!そうなのか?」。
 昨年の4月に記事として紹介済みの『オペレッタ・赤ずきんちゃん』を最後にステージには立たないと聞いていたのだが、今回は息子が経営するパソコンサロン『ゆうらくの森』が開設5週年を迎える為、それにあやかってワンマンショーをやると言う。そしてなんと落語を演じると言うではないか。これはやはり父親としてなんとしてでも観に行かなくてならないと思い万全の体調でその日を迎える為、早速コンディションの調整に入った。
 そして迎えた7月22日、体重も安全圏の62キロ台を維持。この位の体重であれば階段を上ってもさほど息切れもしないし病気を意識しないで済むから実に有り難い。車窓から望む景色を愉しむため、敢えて各駅停車の新幹線『こだま』に乗り込んだ。時間に余裕を持って少し早めに静岡駅に到着。自分が住んでいた20代の頃と比べれば駅も大きく様変わりし、昔の面影は殆ど残っていない。だが、やはり故郷である。連立するビルの谷間を行き交う人々や、走り行く車の往来、景色や空気までもが自分を迎え入れてくれているようで、日記のページをめくるように沢山の想い出が一気に溢れ出して来た。
 駅北口の10番線から会場となっている『アイセル21』行きの循環バスに乗り込む。忙しない都会の東京とは大違いで、バスは約20キロほどのゆったりした速度で駿府城のお堀周りをまるで馬車のように揺れながら走る。観光バスに乗った気分でお堀の石垣を見詰めていた。
 目的地には開場30分前に到着。1階のラウンジに入ると既に数十人の人が開場を待っていた。開場13時30分になりホールの赤い扉が開く。それを待って人の波がホールに吸い込まれて行く。私はよく見えるようにと最前列の右端に席を設けた。次々と入場して来る観客たち。ホールは300人を収容出来、市民のイベントによく利用されているらしい。用意された席もほぼ埋まり後は開演を待つだけとなった頃、一人の中年女性がスタッフに促され最前列の左席に座った。
 その女性の方に視線を投げると何処か見覚えのある顔だった。そう、それは紛れもなく息子の母親であった。その瞬間、時が止まり記憶が数十年前へと一気に遡る。ゆみ子と出会った時、彼女はまだ17歳だった。しかしどんなに時を経てもその当時の面影は鮮明に残っている。そんな彼女の事に心を奪われている事も知らずステージには着物姿の息子が登場していた。
 落語を多くの人に聞かせる訳だからそれなりの出来栄えでなければならないが、着物姿のそれは既に真打ち『ゆうらく亭 勇楽』を名乗る落語家そのものであった。演目はさぁさぁお立ち会い!でお馴染みの『蝦蟇の油 口上』で幕を開けた。
 会場は静寂に包まれ、皆が息子の落語に耳を傾ける。時折漏れる笑い声に誘われ私も笑みを浮かべる。蝦蟇の油は約15分ほどで終了し、それに続いて小話が2つ。地元のネタや都民ファーストなどの流行語などを交えての粋な話に会場は大爆笑に包まれる。そして約10分の休憩を挟み、本日の主題である『竹の水仙』が始まった。この落語は名人として名高い大工・左甚五郎を主人公とした噺である。
 時間にして約30分、休む間もなく一気に噺を進める息子、ステージ上のその姿の迫力に圧倒されっぱなしの会場だった。演目が終わり最後に息子を中心として観客全員が集合し記念撮影。ホールを出る人々と握手・御礼を交わし、笑顔を絶やさない息子の額からは汗が滝のように流れ落ちていた。そして殆どの人が帰った後、漸く親子の時間が訪れる。そして思いもよらぬサプライズが待っていたのである。
 帰り支度をしている息子の母親に女性スタッフが声を掛け、父親が来ていることを告げたらしい。そして半ば強引に息子と立ち話をしている私の所に連れて来た。見詰め合う私とゆみ子、「40年ぶりだね…」それはほぼ同時に二人の口から零れた。私はゆみ子の元に歩み寄り両手で彼女の肩を抱いた。そして彼女の耳元で小さく「ごめんね…」と呟いた。
 その様子を見ていた女性スタッフが思わず「お母さん、泣いちゃう…」と言葉を漏らした。その時の彼女の大きな瞳には海のように溢れんばかりの涙で一杯だったのかも知れない。それは初めて耳にした私からの40年越しの謝罪だったから…。
 そしてスッタフに促されながら親子3人でカメラの前に立った。こんな日が来ることを一体誰が予想出来ただろうか…。この時、一番嬉しく感無量だったのは息子の勇樹だった事は言うまでもない。30数年経って漸く手に入れた親子3人の記念写真だったのだから…。

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恋文(未刊詩集・天国の涙より抜粋)。

ラブレター



外来の受付窓口に
一通の白い封筒が置いてあった
宛名はなく
誰宛のものか分からなかったが
差出人の名前に見覚えがあったので
開けてみた
白い便箋に端正な字で
青いインクの文字が
綺麗に並んでいた

僕の名前を聞いて
思い出してくれるでしょうか
ほんの少しあなたを
見かけただけなのに
その時から
何か僕の心に感じるものがありました
僕の気持ちをどうしても伝えたい
僕の気持ちを伝えないままで
もう会えないと思うと
心苦しい思いで一杯なのです
なんとしてでも
あなたと話す機会が欲しい

わたしに宛てた手紙だとすぐに気付き
何度も読み返し
そっと白い封筒に戻した
恋文――


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スプリンターは疾風の如く。

スプリンター

 娘の出身校である東洋大学にこれほどの選手がいる事を私は全く気付かなかった。娘が第一志望に選んだ大学だったから、親としてもう少し関心を寄せるべきだったと反省しているが、ロンドンオリンピックミドル級金メダリストの村田諒大選手の事は知っていた。
 9月8日~10日の3日間に渡り、福井運動公園陸上競技場で開催された『天皇賜盃 第86回 日本学生陸上競技対抗選手権大会(全日本インカレ)』で9月9日、陸上男子100mに出場した桐生祥秀(東洋大)が9秒98を記録し、日本人で初めて10秒の壁を破った。
 このニュースは瞬く間に列島を光の如く駆け巡り、歓喜の声が日本各地で沸き上がった。日本人スプリンターにとって10秒の壁は、そこに存在するエベレストの如く高き峰だったかも知れない。世界の陸上界を見渡せば、外国人、特に黒人選手たちの独壇場である。カール・ルイスを初め、陸上界の王者ウサイン・ボルトなど、優れた身体能力、高身長、長い脚とどれを取っても日本人選手の敵う相手ではないように思えた。
 生まれた国や民族性など走る事に長けている狩猟民族のDNAが長い時を経てもなお、現在に受け継がれているのである。群雄割拠する短距離の中で日本人選手が世界と肩を並べるには、並大抵の努力では実現出来ないだろう。
 スプリンター個人の持って生まれた素質と恵まれた体格、優れたコーチたちとの出会いやライバルの存在など、運も含めてこれらの要素が一つになった時に奇跡的とも思える記録は誕生する。桐生選手はスタートもさる事ながら、中盤での超人的勢いがそのままゴールを引き寄せた。追い風も味方したとは言え、桁はずれの瞬発力や持続性は黒人選手たちを脅かす材料になっている。
 9秒台を視野に入れた日本の若きスプリンターたちにとっても、桐生選手の快挙は大きな弾みになる事は間違いないだろう。桐生選手が東洋大の法学部に所属している事を知って、娘も同じ法学部だったからもしかすると面識があるのではないかと思った。今度それとなく娘に訊いてみようと思う。
 走る事には全く縁がなく苦手な私であるが、このような勢いがあり希望を与えてくれるニュースは嬉しいものである。桐生選手、日本新記録おめでとうございます。これからも益々活躍してくれる事を期待したい。

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後悔の涙(母を偲んで)。

額田雪子




安らぐ場所にたどり着いたのか
苦しまずに逝ったのか
痛みはなかったのか
毒を飲む瞬間
何を考えていたのか
僕のことを想い出しただろうか
通夜にも立ち会えず
最後のの顔も見届けず
火葬にも出席出来なかった
僕は幼すぎたのか
の死を知らされた時
他人事と思えた
僕の心は余りにも冷たかった
今になって
後悔が僕の心を掻き乱す
あなたに会いたかった
どんな形でもよいから
会いたかった
この僕を産んでくれた
あなただもの



※9月8日は(額田雪子)の命日でした。福島県常磐市大字上湯長谷字上ノ台にて没。享年28歳。この写真藤枝市茶町にあるの実家の仏壇に飾ってあったものを伯父に頼んで頂いて来た、数少ない母の貴重な一枚。

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感染性心内膜炎を阻止せよ!

抜歯8.22


 行方知れずだった夏が青空を引き連れて東京に戻って来た22日、バッグにいつもの入院グッズを詰め込む。短期入院だから荷物は少なめにしたかったが、心臓疾患を抱えるこの身体いつ何時、不測の事態に遭遇するか先が読めないため、それに備えてパジャマや下着は多めに用意。
 黒い大きめのバッグはそれらの荷物でパンパンに膨れ上がっていた。そして背中にはバックパック。これらの荷物を持って病院までの道のりはかなり辛いものではあったが、幸いにして今回の入院に心不全は関係なかったため、意外に足取りはそれほど重くはなかった。
 それにしても夏場に入院するのは2008年6月以来9年ぶりとなる。今年はもう入院はしないつもりだったが、どうしても早急に抜かなければならない歯が1本見つかったため仕方のない事ではあった。
 抜歯入院となる事は循環器外来時に主治医に話しておいたが、「人工弁が入っているから早めに処置した方がいいですね」と念を押された。斎藤工が主演する医療ドラマ『最上の命医』でも取り上げていたように、治療中、或いは放置状態だった虫歯が原因で血管内に細菌が侵入し、心臓内に菌の塊(病巣)が出来その結果、心臓の一部を腐らせてしまい、手当が遅れた場合は死に至ると言う恐ろしい病気が感染性心内膜炎である。
 私のように機械弁を使用している場合はそれ以外に細菌による「人工弁閉鎖不全」となるリスクも高く緊急手術が必要となる。いずれにせよ命の危険が伴うため、たかが虫歯と侮っていると寿命を縮める病気に発展する。口腔内は常に清潔を保ち、特に就寝前は歯磨き・うがいを怠らない事である。
 心内膜炎虫歯以外にストレスや他の病気で免疫力が低下した場合にそのリスクは高まる。風邪は万病の元と言われるように、些細な事が原因で命に関わる病気に罹患する事もあるため、健常者であっても「自分は大丈夫」と思い込まず、日頃から健康管理に気を配る事が不可欠である。
 但し、心内膜炎は稀な病気であり健康な人が罹患する確率は非常に低いのも事実。最も注意しなければならないのは、私のような心臓疾患で血液の流れに乱れがある場合に発症するケースが殆どであるため、むやみに神経質になることはない。
 歯科医が私に向かって頻りに「心内膜炎」を連発するのはそのためであり、入院しての抜歯は最善の処置であるだろう。前回は出血が止まらず入院が長引いた経緯もあったので、最初から止血剤を使用したため今回は殆ど出血せず予定通り早々の退院となった。
 現在、虫歯を治療中の方はもちろんの事、虫歯に限らず口の中に違和感があったり、普段とは明らかに違うと疑問や不安を抱いた時は早急に歯科を受診し、早期発見・早期治療に専念して頂きたく思う次第である。

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横浜ラブ・ストーリー。

横浜ラブストーリー


ハマの酒場に 未練を残し
酔ったふりして 泣きつくす
夢にやぶれた 女がひとり
空のグラスに 想いがにじむ
アアア~ ここは横浜 愛がかすむ街

たどり着いたら の街
やぶれたなら 捨てましょか
いっそ 濡れて 生きるなら
潮風 抱いて 眠りたい
アアア~ ここは横浜 夢がにじむ街

の青さが まぶしくて
どこまで沈めば 気が済むの
白いカモメは ゆりかごで
さえずり眠る 子守唄
アアア~ ここは横浜 恋がたたずむ街


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娘のペットはアナコンダ。

パイソン

 娘がヘビ好きだと言うのを私は昨年初めて知った。Lineで会話のやり取りをしている時、「を飼ってるよ」と聞かされた時は流石に驚いた。娘が鳥好きでインコについて過去に何度か綴って来たが、まさかのヘビ発言で面食らってしまった次第である。
 「いつ頃からヘビが好きだったの?」「保育園の時からだよ」「ええっ!そうだったの?」これまた意外な返事で更に驚いた。幼少の頃、そんな素振りは全く見られなかったし、動物園へ足を運び沢山の様々な生き物に触れてはしゃいでいた娘の幼い姿を何度も見て来たが、ヘビ爬虫類)に興味を示す様子は伺えなかった。これは「子の心親知らず」で、私の眼が親として節穴だった事を思い知らされた。
 娘が手に持っているヘビボールパイソンと言い、アフリカに棲息するニシキヘビニシキヘビ属に分類される種類である。体長は最大で2mまで成長するようだ。性格は温厚でヘビの中では最も飼い易いタイプ。爬虫類ペットとしては初心者向けとも言われている。
 娘のヘビ好きは一体誰に似たのだろう?と疑問がよぎった。私も母親もヘビは苦手で思い当たる節がない。暫く考え込んでみて「あぁ、そうか!」と納得に至った。それは私の父の事である。父が生前ヘビ好きだったか分からないが捕まえるのは得意だった。父は捕まえたヘビを私によく見せてくれたが、幼い私はそれが恐くて泣きべそをかきながら逃げ回ったこともあった。
 ここで父とヘビに纏わるエピソードを一つ紹介しよう。それは私が小学3年生の時で、まだ心臓病を患う前の事。学校から帰ると父が物置小屋の前で何かを引っ張り出そうとしていた。「父ちゃん何してるの?」と興味津々で近づいてみた。父は両足を踏ん張り、両手で太いロープを握り引っ張っているように見えた。が、よく見るとその太いロープに「鱗」のようなものがあるのを発見!「えっ!それってヘビ?」ロープだと思っていたものが実はヘビの身体だった事に驚きの声を上げてしまった。
 それは体長2mを悠に越す大きな青大将だったのである。ヘビは逃げようと必死で抵抗を続けている。父もまた必死に引っ張り出そうと顔を真っ赤にしながら踏ん張っていた。ヘビの頭は物置の奥に隠れて見えなかったが、結局、父が根負けしてヘビの身体を離した。ヘビはスルスルスルっと物置の奥に逃げて行った。「父ちゃん、逃げられちゃったね…」「あぁ、あの青大将は家の主だよ」「そうなの?」大きな青大将が家の縁の下に棲んでいるのを知ってはいたが、実際に眼にしたのは初めてだった。
 父のDNAが娘に隔世遺伝したと考えれば、娘がヘビに興味を抱くのは納得出来る。ヘビを手にしながら得意げな顔で私にヘビの話しを聞かせてくれるその姿に、亡き父の面影が重なって心が和らぐ気がした。もしかすると父がヘビの姿を借りて、私と娘に会いに来てくれたのかも知れない。

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命のプレゼント―心臓病をありがとう。

命のプレゼント


寺嶋 しのぶ
命のプレゼント―心臓病をありがとう
四六判・上製・帯付/132ページ
著者/寺嶋 しのぶ
カバーイラスト/寺嶋 しのぶ
カバーデザイン/森下 恵子
発行所/文芸社
定価/本体1200円+税
ISBN4-8355-9198-4 C0092


 私の著書 天国の地図と同じ文芸社から2005年6月に出版された詩集である。著者の寺嶋しのぶさんは「全国心臓病の子どもを守る会」の内部組織「心友会」のメンバーでもあった。
 私は現在でもこうして生き長らえているが、彼女はもうこの世にはいない。その代わり命の尊さを詩に託して生きることの素晴らしさを残して行ってくれた。
 重度の先天性心臓病であった彼女は、幼い頃より度重なる手術に耐えなければならなかった。この病との闘いの中で、彼女は生きることの素晴らしさを日々抱きしめていた。
 「あぁ…/私はここにいる/命を受けて/愛されて/私はここで生きている」(「生命」より)と。だが、18歳で4度目の手術を受けた際、虚血後脳症となり脳死寸前に。
 そして2004年、23歳の若さでついに力尽きてしまう……。
 本書は著者が14歳から18歳までに書き綴った詩を集めた作品集。生命への賛歌を高らかに謳い上げた感動の一冊。


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七夕物語り。

七夕物語



七夕の夜
天の川小舟で渡っていると
星が一人で泣いていた
はぐれたあの娘を追いかけて
流れの中で迷ったの
このまま何処まで行ったとて
あふれる天の川
星の渦巻き 闇の中
夜に紛れて消えた星
お空はとっても広すぎて
あの娘を探し切れないの
せめて今宵の星空だけは
あの娘と一緒の天の川
願いを込めて祈ります



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レインコートにkissの雨。

kissの雨


降りしきる の中を
靴音響かせ 駆け抜けた
水たまりに 弾ける想い
ヒールの底に
乱れた心を 忍ばせながら
ビルの谷間で 時間が溶けて
あなたの影が まといつく

ヘッドライトが 悲しげに
二人の影を 映し出す
止まらぬ車と あなたの背中
夜の帳に 包まれる
捨て台詞 一つ残せず
無常のに さえぎられ
通り過ぎるは 面影ばかり

だから レインコートkiss
降って降って 降り止まぬ
だれ模様のkiss
濡れて滲んだ 心が溶ける
だから レインコートkissの雨
降って降らせて あなたの心
Kissの雨で濡らしてみせる
流れるは kissの雨


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病院食は父親の味(父の日に寄せて)。

病院食

 私が初めて入院を経験したのは小学6年の時だった。心臓病の発見は小学4年の時であったが、約2年間は医者の目に触れることはなかった。そこには劣悪な家庭環境が背景にあり、学校から専門医の診察を受けるよう注意を促されていたにも関わらず、父はみて見ぬ振りを決め込んでいたのである。
 労働意欲の全くない父は、明るい内から酒を飲み顔が夕日に染まる頃には、赤い顔を更に赤くして酔いどれていた。経済力も健康保険証もない状況下では、どんなに病状が進行しても医者に掛かる余裕などなかったのである。
 そんな環境ではまともな食生活が送れる筈もなく、一日三食の日は年に数えるほどしかなかった。栄養不足の私の身体は、病気も手伝って見る見るうちにやせ細って行った。
 「ウー、ウー、ウーッ…」
 けたたましいサイレンを響かせながら、夜の闇を走る救急車の中に、顔を止まらぬ鼻血で真っ赤にした私と酒臭い父の姿があった。藤枝では一番大きく、設備の整った「藤枝市立志太総合病院」に向かって白い車は走った。到着した救急車を待ち受けていたのは、数人の医療スタッフとストレッチャーだった。
 「何処へ連れて行くのだろう…」
 不安な表情を浮かべる私に父が上から語り掛けて来た。
 「とし坊、もう大丈夫だ…」
 酔いが少し覚めた父の口調は優しく温かだった。子どもにとって親の一言がどれだけ大切で救われることか。私は涙を溜めながら「うん」と頷いた。小児科病棟の個室に運び込まれると、その後から慌ただしく看護婦たちが出入りしていた。
 扉には面会謝絶の札が掛かり、病状の重さを物語っていた。点滴がその夜から始まり、3週間近く続いた。個室にいる間は父が時々様子を見に来たが、泊まって行ったのは入院初日の夜だけだった。完全看護とは言え、まだ11歳の子どもである。1人で個室にいるのは淋し過ぎた。ただ、その淋しさを紛らわしてくれたのが朝昼晩の病院食であった。
 1日3回、しかも毎回メニューが替わる食事は、子どもの世界を一変させるほど効果があったし、家にいたらこんな風に毎日ご馳走は食べられない。育ち盛りの子どもにとっては空腹ほど残酷で耐え難いものはなかった。
 その日の夕食は、刺身と肉じゃがにワカメの味噌汁だった。食事中に父が紅い顔をしてやって来た。病棟に酒の臭いが広がるのはとても恥ずかしかった。ガツガツと餌にありついた犬のように食べる私を見て父が言った。
 「みっともないから全部食べずに、少しは残せ…」
 何の苦労もなく子ども時代を過ごした父は人一倍プライドだけは高かった。父の馬鹿げた言葉だったが、そんな言葉に耳を貸すこともなく、私は綺麗に夕食を平らげた。そして味噌汁を一気に飲み干した。その後で父が言った。
 「どうだ、父ちゃんが作った味噌汁とどっちが美味い?」
 「そりゃあ父ちゃんの方が美味いよ」
 「父ちゃんの味噌汁は世界一だもん」
 「そうかー、退院したら毎日作ってやるからな」
 嘘でも嬉しい父の言葉が、病院食の器の中で優しくいつまでも木霊していた。


※初掲載:2012年11月4日0時36分32秒


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爆報!THEフライデーに写真を提供。

爆報フライデー

 去る5月26日(金)19時~、爆笑問題がMCを務めるTBSテレビの人気番組『爆報!THEフライデー』がメインで取り上げた内容は、ビッグダディの元妻・美奈子さんの近況であった。離婚から4年が経った彼女が7人目の出産で危機に瀕しており、妊婦の8人に1人が罹ると言われる妊娠糖尿病との壮絶な闘いで、心臓肥大巨大児などのリスクを抱えつつ、それを見守る家族や医療スタッフそして新ダディの登場と、話題の尽きない内容であった。
 さて、既に気付いた方もいると思うが上の心臓肥大の画像、実は私の心臓のレントゲン写真である。写真の左下に提供:神戸俊樹とあるのがお分かり頂けるだろうか。TBSに写真を提供した経緯は、5月20日FC2のメールフォームから1通のメールが届いた。送信者はTBSテレビで、今回番組で妊娠糖尿病の一環として心臓肥大を取り上げるため、私の心臓のレントゲン写真を使用させて欲しいと言う内容だった。
 余りにも唐突なメールだったため、最初はイタズラ?と思ったが、爆報!THEフライデーは高視聴率を誇る有名な情報バラエティ番組であり、その番組制作に自分の心臓が役に立つのであれば喜んでこの傷だらけの心臓を提供しようと決心した訳である。
 番組制作スタッフの松村さんと何通かのメールのやり取りをし、レントゲン写真の元データをメールに添付し送った。肥大した心臓の写真などは病院に依頼すれば手に入れる事は容易だと思うが、これはまさに個人情報の一部であり、更には患者の立場や患者自身が抱える悩みの原点でもある。その一部を世間の眼に晒すなどと言う事は、相当な勇気と決断力がないと出来る事ではない。
 私自身は子ども時代から心臓病との付き合いが長く、ネット上でも自分の病気について包み隠さず公開している事もあり、その辺りで今回のレントゲン写真について良い意味で私に白羽の矢が立ったものと推察される。
 美奈子さんは懸念された妊娠糖尿病の影響もなく、体重3440gの健康な女児を無事出産。家族全員で考えた名前が柚都(ゆづ)ちゃん。番組の最後に制作スタッフが『新ビッグダディ編』の密着取材を申し出たが、「それはいい、静かに暮らしたい」と笑顔でキッパリ断っていた姿が印象的であった。
※番組関連記事公開と番組の画像使用について快く承諾して頂いた制作スタッフの松村好恵様にこの場を借りてお礼申し上げます。

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退院祝いは上天丼で。

上天丼

 前回の記事がいささか暗すぎたため、明るい話題で話しを盛り上げ気分転換を図ってみたと思う。自宅から歩いて数分も掛からないほどの近距離に和食レストラン「とんでん」と「ジョナサン」がある。10分も歩けば100円均一でお馴染みの「くら寿司」や牛丼の「松屋」などがあり、外食には事欠かない環境。
 先日、退院祝いを口実に娘を誘い「とんでん」にて会食。私が注文したのは上天丼の単品と生ビール(中)、娘はまぐろアボガド丼と桜肉のユッケ風を注文。久しぶりの天丼に舌鼓を打ち、よく冷えた生ビールで乾いた喉を潤した。
 普段は厳しい食事・水分制限の管理下にある身体のため、自分では意識せずとも相当のストレスが鬱積しているように思う。食べたい物を腹一杯食べられない環境に慣れるまで随分と時間が掛かった。数年前、牛丼を3日続けて食べたら心不全になってしまい入院した経緯がある。主治医に牛丼の話しをすると、「神戸さん、駄目ですよ~牛丼は…」と怒られてしまった。
 それ以来、牛丼を食べるのを止めた。他にも止めた物は沢山ある。パスタもやはり食べ過ぎると心不全の元になるので止めた。大好きだったチョコレート、ジュース、漬物、ラーメン、果物etc…。心臓や腎臓に負担の掛かる物は食べる量や回数を減らさなくてはならない。
 外食は味付けが濃く塩分も多めに作ってあるため、それを計算に入れながら何を食べるか選択する。会食の時くらいは病気の事など忘れて、眼の前にある料理に箸を進めたいものである。
 「パパ、これ全部食べたらヤバイかもなぁ…」と娘に問い掛けながらエビ天を口一杯に頬張る。娘の顔から笑みが零れ、それに釣られてつい私も笑ってしまった。年に数回の外食だから、普段は煩い神様もきっと見逃してくれるだろう。

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薬の増量が希望を打ち砕く。

増量

 出口の見えない長い長いトンネルに入り込んでしまったようなこの一ヶ月。風薫る新緑の溢れる清々しい季節だと言うのに、春と夏が同居しているようなこの時季、激しい気温差や、低気圧が近づいて来ると酸素が薄くなるため、その影響で体調不良を訴える人も多い。
 5月10日、循環器腎臓内科の外来へ。一時増えた体重は63キロ台に戻り退院時と同じになったにも関わらず、病院までの足取りは重く息切れも酷かった。長い連休明けの外来はどの科も普段の倍に近い患者たちで混雑しており、座るスペースを確保出来ないほどだった。
 退院後の体調があまり芳しくない事を主治医に訴える。日中から夜にかけて両脚が浮腫み、近所のコンビニまで買い物に行くだけで息切れが起こる始末。これまでとは明らかに違う心臓の違和感に不安を抱き、その影響で心も疲弊していた。
 電子カルテを覗き込み、処方されている薬の種類を見詰めながら眉をしかめる主治医。「これ以上増やすとしたら利尿薬くらいしかないですね…」「サムスカ増やせます?」「うーん、それは最後の手段かなぁ…」。「そうなんですか…」。内科的治療の限界点に近づいている事を示唆しているような会話のやり取りだった。
 思い付いたような口調で主治医が言った。「アルダクトン出してみましょうか」。アルダクトンもサムスカやラシックスと同じ利尿薬であるが、前者とは性質の違う利尿作用はそれほど強くはないが、カリウムの排出を抑える心不全治療薬である。カリウムを体内に溜め込むため、高カリウム血症のリスクが増える。そのため定期的な血液検査は必須。
 現状の病態を改善出来るのであればどれほどリスクの高い薬であれ、藁にも縋る思いでその処方に理解を示した。何れにせよ3回目の心臓手術が現実味を帯びて来たことは言うまでもない。
 あと何年この心臓が持ち堪えられるのか、それはおそらく主治医にも分からないだろう。年々悪化して行く心臓に希望をもたらす新薬が登場してくれる事を願って私は今日も生きている。

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桜便り(Pale love)。

桜便り


の便りとともに届いた
あなたからのメッセージ
まっさらな便箋にひと言
元気にしている?――
忘れるはずだった
あなたの 優しい笑顔
あなたの 熱い眼差し
舞い散る花びらとともに
消えた淡いだったのに
桜並木に手を振って
仕舞いかけた この心
咲かずに散った 未練花
頼りないわたしの心に
桜便りの風が吹く


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うっ血性心不全と抜歯手術。

抜歯手術

 東京の開花入院中に聞くとは思ってもみなかった。3泊4日程度の短い入院の筈だったが、3月の半分以上を病院で過ごす事になろうとは…。今回の入院抜歯手術を受けるためであり、3月4日の歯科外来で入院の予約を取った。推定される入院期間は2~3日、外来で抜歯という方法もあったが、抱えている心臓疾患とワーファリンによる出血などのリスクを考慮して、入院による抜歯を選択した。
 3月6日、9時30分までに入院受付に行かなければならないため、数年振りに通勤時間帯の満員電車に乗った。入院中は何が起こるか分からない、不測の事態に備えるためパジャマや下着は多めに用意した。
 岩本町駅で降りて三井記念病院までは徒歩15分程度だが、体調が余り思わしくないため息切れが酷く途中何度も立ち止まり深呼吸を繰り返した。この不快な息切れで嫌な予感が脳裏を掠め、「ちょっとやばいかも…」と歩道に向けて捨て台詞を吐いた。
 流れる人ごみの足取りはみな快活で、朝の喧騒が都会の一日の始動を伝えている。病と言う重い足枷を引き摺って病院の門を潜るのとは大違いである。入院受付に着くと、番号札を取り順番を待つ。数分後、簡単な事務処理を済ませ女性事務員に誘導されつつ入院先の13階へと移動。忙しなく肩で息をしている私に看護師が声を掛けて来た。
 「大丈夫ですか?息切れが酷いようですが…」「うん、ちょっと心不全の兆候が出て来て…」心不全のことは全く伝えていなかったため、看護師が驚いた様子で「体重は増えてます?」「一週間ほど前から増えて来て…」「体重測りましょう」。
 体重計に足を乗せると66キロを軽くオーバーしていた。私の標準体重は62~63キロ。僅か一週間で約4キロ増えており、この4キロが殆ど余分な水分で身体中に溜まっているのである。心臓が悲鳴を上げるのは当然のことだった。
 その日の午後に予定していた抜歯手術は急遽延期となり、うっ血性心不全の治療が最優先となった。酸素吸入が始まり、歩行はトイレまで。それ以上の移動は車椅子と酸素ボンベが一緒だった。13階は外科病棟のため、翌日12階の一般病棟へ移動となる。ラシックス20ミリの静脈投与が開始され、水分制限は700mlまで。一日コップ3杯の水さえ飲めないのである。これはかなり辛かったが、水の有り難さを改めて思い知らされることとなった。
 食事に至っては腎不全食のため、塩分は一日4gとこれもまた水分と同様に厳しい内容だった。そうして数日後、漸く体重が落ち始め、呼吸も幾らか楽になったものの胸に溜まった水が中々抜けず、利尿剤のサムスカが増量となる。それが功を奏して入院8日目にしてやっと63キロ台の体重に戻り、心不全の症状も大きく改善した。
 そして15日、本来の目的であった抜歯手術のため、再び13階へと移動。術前の抗生物質の点滴を開始。抜歯は歯科外来の特別室で行われた。上の歯3本を抜くため時間が掛かりそうだったが、意外とすんなり終わり抜歯そのものは40分ほどで済んだ。局所麻酔のため、歯を抜く時の「ミシミシ」という音が頭に響いて血の気が引く思いだった。
 麻酔が切れる頃を見計らって痛み止めのアセリカ点滴開始。3年前の抜歯時、痛み止めのカロナールが全く効かず、2日間眠れぬ夜を過ごし担当医に何度もお願いしてモルヒネを打ってもらったことを思い出した。今回は痛みの不安が早々に解消された点は良かったのだが…。抜歯後の出血さえなければ18日の土曜日には退院出来る筈だった。
 止まらぬ出血に苛立っていたのは私だけでなく、担当医も困り果てていたようだ。「神戸さんのように何日も血が止まらない人は始めてですよ…」。血液をサラサラにする薬のワーファリンとバイアスピリンを長期間に渡り服用しているため、血が止まりにくいのは術前から分かっていることではあったが、私は特に止まりにくい体質のようだった。裏を返せばそれだけ薬が良く効いているとも取れるのだが。
 止血にはガーゼを傷口に当てて噛むしかない。日中はそれでも止まっている時もあるが、夜、眠った後に出血し、口の中に溜まった血液が口元から零れ出てパジャマやベッドのシーツを真っ赤な鮮血に染めてしまった時はショックだった。
 止血用のマウスピースを作りそれを嵌めて様子をみたが、それでも出血は続いた。口の中を何度もうがいする。白い洗面台に鮮血が飛び散りそれをペーパータオルで拭く。その繰り返しだった。術後一週間が経過しても出血が続くため漸く止血剤を使用。すると今までが嘘のようにピタリと出血は止まった。そうして想定外の日々が終わり24日の退院へと辿り着いた。
 24日、歯科外来を受診した後、次の外来を予約して晴れて退院となった。その日はの蕾が一斉に開花するのではないかと思わせるほど温かい穏やかな日であった。それにしても今年も入院なしを目指そうとしていた想いはいとも容易く崩れ去った。抜歯は仕方ないにしても、心不全を起こさない事が目標達成の道しるべであるのに、我ながら情けない結果となった。それでも今回の入院は定期的なメンテナンスと捉え、次のステップとして前向きに受け止めようと思っている。

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忘れられない僕の人。

僕の人


君は 忘れられない僕の人
ポニーテールが よく似合う
白いうなじを 見せてくれ
笑った口もと 白い歯キラリ
忘れられない 僕の人
くちびる囁く 愛の歌

だめよ だめだめ僕の人
赤いリボン目隠しすれば
小指に絡まる 愛の糸
結んだ約束 解いておくれ
忘れられない僕の人
眠れぬ夜は 愛の歌

囁く君は 僕の人
長い髪を 束ねて眠る
抱いて抱かれた 夜が降り
朝を待つ君 に濡れた
忘れられない僕の人
歌っておくれよ 恋蓮花


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Fitbit(フィットビット)で健康管理!

フィットビット

 年明け早々の1月5日、息子の勇樹から誕生日プレゼントが届いた。7日に届くようAmazonに注文したらしいのだが、プライム商品だったため、注文した翌日に届いてしまったようだ。さて、今回のプレゼントは私が予てより欲しいと思っていたアイテムで、心拍数を測定出来る腕時計型のフィットネスファッションを両立したリストバンド。
 本場アメリカでは60%を超える圧倒的なシェアを誇る健康サポートアイテムである。身に付けるだけで、その人の健康状態を記録し管理までしてくれる便利な機能が小さなボディに凝縮されており、その内容は「歩数」「移動距離」「消費カロリー」「運動強度」「睡眠状態」「体重管理」等など幅広く、更には自分と他者の健康状態を比較出来るという優れものだ。
  使い方はいたって簡単で、スマフォやパソコンと同期させ、Fitbitiアプリをダウンロードするだけで直ぐに使用可能。ベルトは着脱式であるため、その時の気分に合わせてベルトの色を変えられる点はアクセサリーとしても十分通用する。使い始めて1ヶ月足らずなので全ての機能を把握している訳ではないが、興味を引いたのは睡眠リズムの記録。
 就寝中の「寝返り回数」や「目覚めた回数」までも記録してくれるのだ。因みに私の平均寝返り回数は18回。もし数回しか寝返りを打たなかったとしたら、血流のうっ滞が起こり、エコノミークラス症候群のような症状を起こすリスクが発生する。
 寝返りは身体の歪みを防ぐ意味もあり重要な行為である事がお分かり頂けるだろう。多くの病気を抱え、健康とはほど遠い私であるが、それでも健康的な生活を送ることは出来るし、それを実践することが病気の悪化を防ぐことに繋がって行く。水分補給や食事内容なども記録することが出来るため、水分・食事制限のある私にはとても有難い。
 もちろん、ダイエットに役立つ機能も満載で、あまり動かないでいると「散歩に出掛けませんか」や「ウォーキングを始めましょう」などの運動を促すメッセージが流れたりする。基本はやはり身体を動かすことであり、心不全のリスクに晒されている私でさえも動かないことが一番身体によくないことをこの小さな機械が教えてくれるのである。
 腕時計代わりにもなり、アラームも設定出来、そしてもちろん防水である。このFitbitiで息子と繋がっているため、不測の事態に陥った時も安心である。年々健康志向が強まる現代人にとってはうってつけのアイテムであると私は思うのだが如何だろうか。

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うっ血肝と肝硬変。

CT画像

 このCT画像は昨年11月に撮影したもの。慢性腎不全があるため、造影剤は使わなかった。CT検査を受けるに至った経緯は、肝機能に関する血液検査の数値が異常に高かったためである。但し、数値の異常は10年以上前から続いており、特に身体的症状もなかったことから経過観察の範囲であった。
 因みに、ALP=695(106~322)、γ-GTP261(13~64)であり、数値だけで判断すれば肝障害、胆道疾患の疑いを持って当然である。そして放射線科の医師が下した所見は、肝辺縁鈍化、左葉萎縮、脾腫、両腎随質高濃度、石灰化沈着。診断=肝硬変脾腫
 12月14日の循環器・腎臓内科の外来で主治医から「肝硬変」と聞かされた時、私は返す言葉を失っていた。父親が肝硬変で亡くなっていることから、この病気は遺伝する?と主治医に詰め寄った。父の場合はアルコールによる肝硬変だったから、それは当て嵌らないにしても、肝臓の弱い体質は遺伝しているのだろうと思った。
 小学5年生の時、身体中が怠くてたまらず、一晩中おばあちゃんに足をさすってもらった記憶がある。白目は黄色く、身体中に黄疸が出ていた。おそらく私の肝臓はその頃から悪かったのかも知れない。
 循環器の主治医は「様子を見ましょう」のひと言だったが、腎臓内科の医師が、消化器内科の専門医に掛かる手配を早速してくれた。そして年が明け1月6日、初めて消化器内科の扉を叩いた。担当医は三井記念病院の副院長で消化器では名医として知られている田川一海医師。「うんうん、なるほど…」と呟きながら、CT画像を丹念に覗き込む。
 どんな答えが返ってくるのか私は怖くて仕方なかった。心臓疾患に関して言えば『慣れ』が生じているため『恐怖』と言う感情は時の隙間に吸い込まれた過去の遺物となっているが、新たな病気に対しては心臓と同類に受け取る訳にはいかなかった。
 「うん、肝硬変じゃないね…」「ええっ?違うんですか??」。私は天と地がひっくり返ったかのように驚き、もう一度「肝硬変じゃないんですね?」と念を押すように質問を投げかけた。田川医師は、紙に図を描いて詳しく説明をし始めたが、私の頭は肝硬変ではなかったことに安堵し、説明はうわの空だった。
 「超音波検査してみましょう、いつがいいかな?」「では来週の月曜日でお願いします」。そして1月16日、再び来院。超音波検査の結果、うっ血肝、脾腫、胆嚢腺筋症(RA洞=ロキタンスキー・アショフ洞)である事が判明した。
 肝臓と脾臓がかなり腫れて肥大しており、更には胆嚢に袋状の構造をした部屋(憩室)が出来ていることが新たに発見された。然しそれは形成奇形であり、おそらく生れ付きのものと思われる。腫瘍でもなく炎症でもないことから治療の必要性はないようだ。
 うっ血肝と脾腫に関しては慢性心不全を抱えているため、十分な血液が臓器に行き渡らず、障害を生じている状態との診断結果だった。要するに心不全を悪化させない事が最優先事項であり、現時点で肝臓の薬『ウルソ』を使う必要性はなし。
 ALPとγGTPの数値が異常に高い原因について、大量の薬を服用しているためではと尋ねてみたが納得のいく回答は得られなかった。何れにせよ、肝硬変の疑いが晴れたため、病院の帰り道が温かい春の陽射しを受けて希望に光る舗道に見え、これでまた一つ寿命が延びたような気がして足取りも軽く帰路に着いた。そして良い医師に巡り会えたことに感謝。

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