05 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 07

うっ血性心不全と抜歯手術。 

抜歯手術

 東京の開花入院中に聞くとは思ってもみなかった。3泊4日程度の短い入院の筈だったが、3月の半分以上を病院で過ごす事になろうとは…。今回の入院抜歯手術を受けるためであり、3月4日の歯科外来で入院の予約を取った。推定される入院期間は2~3日、外来で抜歯という方法もあったが、抱えている心臓疾患とワーファリンによる出血などのリスクを考慮して、入院による抜歯を選択した。
 3月6日、9時30分までに入院受付に行かなければならないため、数年振りに通勤時間帯の満員電車に乗った。入院中は何が起こるか分からない、不測の事態に備えるためパジャマや下着は多めに用意した。
 岩本町駅で降りて三井記念病院までは徒歩15分程度だが、体調が余り思わしくないため息切れが酷く途中何度も立ち止まり深呼吸を繰り返した。この不快な息切れで嫌な予感が脳裏を掠め、「ちょっとやばいかも…」と歩道に向けて捨て台詞を吐いた。
 流れる人ごみの足取りはみな快活で、朝の喧騒が都会の一日の始動を伝えている。病と言う重い足枷を引き摺って病院の門を潜るのとは大違いである。入院受付に着くと、番号札を取り順番を待つ。数分後、簡単な事務処理を済ませ女性事務員に誘導されつつ入院先の13階へと移動。忙しなく肩で息をしている私に看護師が声を掛けて来た。
 「大丈夫ですか?息切れが酷いようですが…」「うん、ちょっと心不全の兆候が出て来て…」心不全のことは全く伝えていなかったため、看護師が驚いた様子で「体重は増えてます?」「一週間ほど前から増えて来て…」「体重測りましょう」。
 体重計に足を乗せると66キロを軽くオーバーしていた。私の標準体重は62~63キロ。僅か一週間で約4キロ増えており、この4キロが殆ど余分な水分で身体中に溜まっているのである。心臓が悲鳴を上げるのは当然のことだった。
 その日の午後に予定していた抜歯手術は急遽延期となり、うっ血性心不全の治療が最優先となった。酸素吸入が始まり、歩行はトイレまで。それ以上の移動は車椅子と酸素ボンベが一緒だった。13階は外科病棟のため、翌日12階の一般病棟へ移動となる。ラシックス20ミリの静脈投与が開始され、水分制限は700mlまで。一日コップ3杯の水さえ飲めないのである。これはかなり辛かったが、水の有り難さを改めて思い知らされることとなった。
 食事に至っては腎不全食のため、塩分は一日4gとこれもまた水分と同様に厳しい内容だった。そうして数日後、漸く体重が落ち始め、呼吸も幾らか楽になったものの胸に溜まった水が中々抜けず、利尿剤のサムスカが増量となる。それが功を奏して入院8日目にしてやっと63キロ台の体重に戻り、心不全の症状も大きく改善した。
 そして15日、本来の目的であった抜歯手術のため、再び13階へと移動。術前の抗生物質の点滴を開始。抜歯は歯科外来の特別室で行われた。上の歯3本を抜くため時間が掛かりそうだったが、意外とすんなり終わり抜歯そのものは40分ほどで済んだ。局所麻酔のため、歯を抜く時の「ミシミシ」という音が頭に響いて血の気が引く思いだった。
 麻酔が切れる頃を見計らって痛み止めのアセリカ点滴開始。3年前の抜歯時、痛み止めのカロナールが全く効かず、2日間眠れぬ夜を過ごし担当医に何度もお願いしてモルヒネを打ってもらったことを思い出した。今回は痛みの不安が早々に解消された点は良かったのだが…。抜歯後の出血さえなければ18日の土曜日には退院出来る筈だった。
 止まらぬ出血に苛立っていたのは私だけでなく、担当医も困り果てていたようだ。「神戸さんのように何日も血が止まらない人は始めてですよ…」。血液をサラサラにする薬のワーファリンとバイアスピリンを長期間に渡り服用しているため、血が止まりにくいのは術前から分かっていることではあったが、私は特に止まりにくい体質のようだった。裏を返せばそれだけ薬が良く効いているとも取れるのだが。
 止血にはガーゼを傷口に当てて噛むしかない。日中はそれでも止まっている時もあるが、夜、眠った後に出血し、口の中に溜まった血液が口元から零れ出てパジャマやベッドのシーツを真っ赤な鮮血に染めてしまった時はショックだった。
 止血用のマウスピースを作りそれを嵌めて様子をみたが、それでも出血は続いた。口の中を何度もうがいする。白い洗面台に鮮血が飛び散りそれをペーパータオルで拭く。その繰り返しだった。術後一週間が経過しても出血が続くため漸く止血剤を使用。すると今までが嘘のようにピタリと出血は止まった。そうして想定外の日々が終わり24日の退院へと辿り着いた。
 24日、歯科外来を受診した後、次の外来を予約して晴れて退院となった。その日はの蕾が一斉に開花するのではないかと思わせるほど温かい穏やかな日であった。それにしても今年も入院なしを目指そうとしていた想いはいとも容易く崩れ去った。抜歯は仕方ないにしても、心不全を起こさない事が目標達成の道しるべであるのに、我ながら情けない結果となった。それでも今回の入院は定期的なメンテナンスと捉え、次のステップとして前向きに受け止めようと思っている。

関連記事

テーマ: 医療・病気・治療

ジャンル: 心と身体

タグ: 入院    開花  抜歯  手術  ワーファリン  看護師  心不全  車椅子  麻酔 

[edit]

入院ゼロまでのカウントダウン。 

三井記念病院

 時の流れは想像以上に早く感じるもので、今年も余すところ後1ヶ月と少し。昨年を振り返ってみると丁度今頃は心不全で三井記念病院に入院中であった。年の始めになると毎年のように抱負を語るが、今年もやはり「入院しない」だった。その抱負がもう少しで現実のものになろうとしている。
 過去5年間を振り返ってみると、2012年は1月の循環器外来時、心臓が肥大していたため入院を勧められたが、愛猫タラがいたため入院を断り自宅にて静養。それも入院に含めれば100%の確立で入院を余儀なくされていた。
 最も酷かったのは2013年1~4月に掛けて。既にご存知の方も多いと思うが、私の長い闘病履歴から見れば「万事休す」そのものだったのが脳梗塞である。右半身が完全に麻痺した時の恐怖は簡単に言葉で表せるものではない。然しながら幼い頃から強運の持ちである私はこの時も奇跡的な復活を果たした。
 僅か10日で退院出来、喜び勇んでいたのも束の間で退院から1ヶ月で心不全のため救急搬送、約1ヶ月の入院治療で4つの心臓疾患に加えて慢性腎不全と言う厄介な病名が追加されてしまい、これまで以上に水分管理・食事制限が厳しいものとなった。そしてその年3回目の入院は4月下旬、やはり心不全だった。
 それ以降は毎年11~12月になると救急車を呼ぶ羽目に…。これらは全て自己管理を怠ったための謂わば自業自得の結果であったが、将来的に3回目の心臓手術も視野に入れる可能性が浮上した時、これまでの情けない自分を戒めるように決意を現実のものにする覚悟を決めた。
 病気は自分一人で乗り越えられるものではない。そこには多くの医療関係者、友人、知人、そして同じような悩みを抱える仲間たちがいる。その存在なくして今の自分は有り得ないだろうし、今年の抱負に現実味が増して来たのも応援してくれる有り難い仲間がいるからだ。
 今年も多くの善意に助けられ、感謝の極みである。そして入院を回避出来た事は将来に向けて大きなステップとなり、新たな希望の光と自信に繋がってくれるだろう。今年がまだ終わった訳ではない、手綱を引き締めて油断せぬよう残りの日々を送りたいと思う。

関連記事

テーマ: 病気と付き合いながらの生活

ジャンル: 心と身体

タグ: 入院  心不全  循環器  闘病  脳梗塞  麻痺  心臓疾患  慢性腎不全 

[edit]

モルヒネと26年振りの手術室。 

2014入院

 2014年の正月を無事に迎える事が出来、今年こそは入院0を目指そうと意気込んでいたその矢先の事だった。それは僅かな歯の痛みから始まったが、それがやがて緊急入院の切っ掛けになるとは思いもしなかった。
 1月20日、昨年末に予約しておいた三井記念病院の歯科外来へ行き、痛みのある奥歯の事を伝え、一週間後に神経の治療をする事になり、痛み止めのロキソニンと抗生剤を三日分処方して貰った。翌日の朝、左顎に違和感があり少し腫れているように思ったが、さほど気にも止めず処方された薬を服用してやり過ごしたが、22日の朝、鏡を見ると左の頬が昨日の倍ほどに大きく腫れ上がり、口を大きく開ける事もままならなかった。
 痛みはそれほどでもなかったが、その腫れ具合からして尋常ではない事が起こっていると察しが付いた。夜になってから流石に心配になり救急外来へ電話を入れると、明日朝一番に歯科外来へ連絡するようにと告げられた。
 この時、既に入院の予感が脳裏を掠めたので心の準備だけはしておいた。翌朝8時30分丁度に電話を入れると、「腫れてしまいましたか…」と、予想していたかのような返答だった。直ぐに来院する事と入院の可能性もあるとの事だったので、入院グッズをバッグに詰め込み支度を済ませた。
 体重も増えて心不全の兆候もあったが、顎の腫れで救急車を呼ぶ訳にもいかず、かと言って電車で行く元気もなかったのでタクシーを呼んだ。
 歯科外来の待合室にいる時、看護師がやって来て顔の腫れ具合を確かめて行った。1時間ほど待った後、診察室に入るといつもの担当医が「かんべさん、ごめんなさいね…」と頭を下げて来た。担当医はわたしが心不全を繰り返し何度も入院している事を知っているし、心臓の事を気遣ってこれまで歯の治療をしてくれていたのだが、今回の腫れを起こした炎症が心不全の切っ掛けにもなっているのだろうと責任を感じている様子に見えた。
 「入院になりますので、内科と連携して治療に当たります…」
 昨年と同様に12階の一般病棟へと緊急入院、心不全も併発している事から、担当医は歯科と内科の二人が付いた。左蜂窩織炎(ほうかしきえん)での入院となる為、循環器ではなく、一般内科のようであるが、治療方針は前回と同様、ヘパリンに加え抗生剤点滴、そして体重を落とす為に利尿剤のラシックス投与となり、先ずは「左蜂窩織炎」と心不全の治療が優先される事となった。
 炎症を起こしている部分や歯全体の検査をした結果、残存不可能な奥歯が親知らずも含め3本ある事が分かりその3本とも抜歯しなくてはならず、炎症が収まり心不全が軽快した時点で抜歯手術を受ける事となった。
 2月5日、心不全が軽快した為、一旦内科を事務手続き上退院となり、翌日6日に病棟もベッドもそのままで今度は歯科・口腔外科での再入院となる。手術は6日の夕方5時頃を予定していたが、2時間ほど早まり午後3時半頃に手術室からお呼びが掛かった。
 薄いブルーの手術着に着替え、点滴のヘパリンは外して車椅子で看護師一人に付き添われ7階にある中央手術室へと向かった。手術室へ入るのはこの病院で「僧帽弁置換術」を受けて以来26年振りの事となるが、今回は意識を完全に保ったままの入室である。
 7階入口に到着すると、執刀医や麻酔科医、手術室看護師ら数人が笑顔で出迎えてくれた。その横には既に手術を終えた患者が一人、ストレッチャーに乗せられて病棟へと戻る所であった。ドアが開き中へと入って行く。
 物々し医療器材があちこちに見受けられたが、そこから更に部屋が幾つかに別れており、私はその中の第9手術室へと運ばれた。約15畳ほどあるかと思われる空間の丁度真ん中辺りに小さな手術台があり、その上から手術用の照明器具である「無影灯」が満月の様に白く輝いていた。
 その周りを囲うように立ち並ぶ医療器材の数々はどれも見覚えのあるものばかりだったが、人工心肺だけは見当たらなった。車椅子からその小さく狭い手術台へと移り、仰向けになった。顔が動かぬ様に頭の部分が枕で固定され目隠しをされた後、口の部分だけが大きく開いた布らしき物が顔に被せられた。
 バイタルチェックの準備も整い、執刀医や第一助手が優しく声を掛けて来る。
 「麻酔を数本打ちますからね~、ちょっと痛いけど御免なさいね…」
 「直ぐ傍にスタッフがいますから何かあれば合図して下さいね」
 「メリメリ、ミシミシ…」「はーい、一歩抜けました」それは想像していたより遥かに容易く抜けてくれたようで安心したのと、ワーファリンの影響でかなり出血するのではと不安が募るばかりであったが、そんな不安も取り越し苦労に終わってくれた。
 続けざまに、2本3本とトラブルもなく予想時間の2時間を大幅に短縮して抜歯手術は終わった。
 「麻酔が切れるとかなり痛みますよね…」私はその後の事が気になっていたので訊いてみた。
 第一助手が抜いた歯を3本小さなケースに入れて渡しながら言った。
 「48時間が痛みのピークです、個人差はありますが痛み止めもありますから…」
 私は抜けた自分の歯を見詰めながら、小さく頷くと車椅子に移り「これからが大変かな?」と独り言を呟いた。部屋の外に出ると病棟の看護師が笑顔で待っていた。
 「随分早く終わりましたね~、出血も殆どなくて良かったですね~」
 「想像していたより簡単に終わってくれたみたいで安心したよー」と私も笑顔で言葉を返した。ベッドに戻り暫くすると抜いた部分にジワジワと鈍痛が走り出した。様子を伺いに来た看護師にすかさず痛み止めをお願いした。処方された痛み止めは私が予想していたロキソニン等と違って「カロナール」と言う薬だった。それを2錠服用し痛みの去るのを待ったが、時間が経っても一向に痛みは治まらない。
 薬が効かない事を告げると次は「ペンタジン」の点滴が始まった。抗生剤の「ヒクシリン」も始まっていたので、点滴瓶を2本ぶら下げる事となった。然し、そのペンタジンも効果がなく痛みは治まってくれない。
 その内に今まで出血していなかった傷口から夥しい出血が始まる。殆どの患者が寝静まっている病棟で、私だけが痛みと出血に悩まされ続けていた。止血はガーゼを傷口に押し当てるしか方法がない。然し、痛みでガーゼをまともに噛む事すら出来ず、うがいとガーゼ交換でまる二日眠る事が出来なかった。
 ガーゼが役に立たない事から、抜いた部分を型どって透明の止血プレートを作り、それを被せて漸く出血は収まって行ったが、出血の原因は痛みにより血圧が急激に上昇した為であった。痛み止めの定番と言えば、ロキソニンやボルタレン座薬であるが、腎機能が低下している私にはそれを使えない為、それに代わる痛み止めを何種類か試したが結局どれも役立たず、最後の手段として「モルヒネ」の投与となった。
 まさか此処で「モルヒネ」のお世話になるとは想像だにしていなかったが、さすが「麻薬」だけの事はあり、その効き目は抜群で、それまでの痛みが嘘の様に跡形もなく消えて行った。然し、内科の担当医はそのモルヒネを使うにあたり、かなり慎重で中々首を縦に振ってはくれなかった。
 痛みが去ってしまうと抜歯後の回復も早く、体調を見て抜糸した後に退院となる筈だったが、結局抜糸は次回外来時に行う事となり、東京に二度目の大雪が降り始めた14日の午前中に退院となった。心不全から開放され、息切れもなく足取り軽くいつもの道を闊歩し、途中好きな「神田川」で記念撮影をして普通に歩く事の出来る有り難さを満喫しながらそぼ降る雪の中を家路へと急いだ。
 結局の所、今年も例年通りの入院で始まってしまったが、それでも生きている喜びを噛み締めて、どんな状況下にあっても希望と笑顔は絶やさず前向きで歩んで行きたいと思った。多くの善意ある人たちに背中を押されている自分に気付けば、やはり自分も誰かの背中を押したりさすったりして生きているんだとつくづく思う。
 今回のブログ休止で訪問者の皆さまには大変ご心配をお掛けした事お詫びするとともに、急遽お見舞いに駆け付けて下さった、女流詩人のKさん、後輩の村木剛、そして「茜の海」著者の高林夕子さん、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

関連記事

テーマ: 病気と付き合いながらの生活

ジャンル: 心と身体

タグ: 歯科  入院  抜歯  手術  痛み止め  点滴  抗生剤  退院  モルヒネ  車椅子 

[edit]

腎不全定食は如何ですか? 

腎臓食

 わたしは入院する毎に病院で出された食事をカメラに収めておく。記念撮影などと悠長な事は言ってられないが、朝、昼、夕と毎日のメニューを撮影し、退院してからの食事管理に役立てようと思っているからだ。
 心不全入院した場合の治療方法はほぼ決まっているものの、担当医によってその治療方針は若干異なって来る。わたしのように年に何度も入院を繰り返す患者の場合は、前回入院時のカルテを参考にして更に一歩踏み込んだ治療方法を模索する。
 基本的には点滴を打ちながらの絶食がお決まりコースで、心臓への負担を出来るだけ軽くする為の処置。これに加えてラシックス(利尿剤)を投与。これは増え過ぎた体重を減らし身体の浮腫を取る為であるが、余り大量に使うと腎臓に負担を掛けてしまうので、血液検査をしながら慎重に行われる。
 そして最も重要なポイントが食事療法。心臓食の場合、一日の摂取カロリーは1600~1800Kcal迄とし、塩分は一日6g、それに加えて水分もかなり制限があり、入院初日~一週間は一日500ミリリットルと非常に厳しいものになる。
 絶対安静と絶食、そして食事療法によって一週間も経てば体重は4~5キロ落ち、心臓もかなり楽になり、呼吸もスムーズに出来るようになるから身体の状態によっては酸素吸入も外せるようになる。
 絶食をする理由は心臓への負荷を減らす為であるが、食べ物が胃に入ると身体の血液が一気に胃に集中しその為に心臓が普段の倍近い働きをしなくてはならない。食事=心臓への負担が増える…と言う事になる訳で、更に胃が膨張すると心臓を圧迫して呼吸困難になってしまうため、食事の量も出来る限り抑えなくてはならない。
 脳梗塞で右半身が完全麻痺し、救急搬送された1月、その時の食事は「心臓食1800Kcalであった。心不全を併発している訳ではなかったので、脳梗塞の状態(これと言った治療はなかった)が、安定した事を確認(後遺症は全くなし)し、10日ほどで退院出来たのだが、その一ヶ月後に心不全救急搬送
 心不全を起こした原因が前回入院時の担当医が新たな心不全の薬を経過もそこそこに投与した為、その副作用によるものであった。その問題の薬(メインテート)を中止して、脳梗塞以前に服用していた薬に一旦戻し、いつもの絶食と食事療法で体重を戻した後に約一ヶ月の入院期間を経て退院となったが、食事内容に若干の変化があった。前回1800Kcalだったものが、1600へと僅かに減量されていた。
 そしてその約2ヶ月後の4月末にまたもや心不全救急搬送となる。3回目の入院で大きく変化したのが食事内容であった。食事が出された時、何かの間違いではないかと思い、看護師に思わず詰め寄ってしまったのだが、それは担当医の指示によるものであった。
 腎不全食…と書かれた紙を眼にし、ため息を付いてしまった。心臓食でもかなり厳しい制限があるにも関わらず、今度は更にその上を行く腎臓食である。確かに腎臓も健康な人と比べればかなり機能も落ちて弱って来てはいるが、とうとう食事にまでそれが及んでしまったかとがっくり肩を落とす羽目になってしまった。
 腎臓食は12歳の時に入院した藤枝の志太病院小児科病棟以来であった。摂取カロリー1500、最も厄介なのは蛋白質の厳しい制限である。一日40グラムと言われて、それ以来買い物する度にタンパク質の含有量を気にしている。
 独身男性が自宅で病院食とほぼ同じメニューを作るのは極めて難しい。撮影した病院食を参考にしながら出来るだけそれに近い物をと思っているが、中々思い通りには行かない。つい「腎不全定食がコンビニで売ってないかな(宅配は高い)…」と愚痴を零したくなるのである。
 退院する時に冗談で「病院食の宅配とかやってくれると助かるのにねぇ…」と、栄養士に話を振ってみたが、「採算が合わないよね」とあっけない幕切れだった。
 さて、今回、体重増加による心不全の症状が出た為、ブログを暫く休止し、皆さ様方には大変ご心配をお掛けし申し訳なく思っておりますが、入院時の環境を自宅で再現出来る筈もなく、無謀とも思える自力療法で増えてしまった体重を約5キロ落とし短期間でブログ復活となった訳でありますが、医師の指示に逆らうようなわたしの真似は皆さん絶対にしないで下さい。
 自力で回復出来たその背景には長年の闘病生活の中で培って来た、これは主治医にも分からない病気である本人にしか理解出来ない闘病マニュアルがあるからであり、そのノウハウは先進医療や優れた薬剤をも凌ぐ生きる為のバイブルとも言えますが、難点は自分にしか通用しないと言う事です。が、然し、そのエネルギーの源は、人との触れ合いの中で育まれ、成長して行く事だろうと思います。
 所詮、人間は一人では生きられない、ならばお互いに助け合って笑顔を絶やさず前向きに明日を信じて歩いて行こうではありませんか。これからもビーチサイドの人魚姫と神戸俊樹をよろしくお願い致します。

関連記事

テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性

ジャンル: 心と身体

タグ: 心不全  腎臓  心臓病  病院食  入院  救急搬送  利尿剤  点滴  絶食  脳梗塞 

[edit]