05 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 07

翼を拡げ、新たな年にチャレンジ! 

翼を拡げ

A Happy New Year 2017

 時計が午前0時に差し掛かろうとしていた。「ゆく年くる年」を見ながら除夜の鐘に耳を傾ける。その鐘の響きで凡ての煩悩が消える訳ではないが、心地良い音色に変わりはなかった。2016年の想いが鐘の音とともに溢れ出して来る。
 「今年こそは入院しないぞ!」と誓った元日の陽射しは眩しく、希望の光の如くに輝いて見えた。そしてその目標は現実となり、今こうして時を跨いで新年を迎える事が出来た。「やれば出来るじゃなか…」と呟き、達成した安堵感に包まれている。
 病院外来での検査データを見る限り、決して良くなっている訳ではないが、良くなろうとする前向きな姿勢が大切なのである。
 多くの善良な人たちに見守られ、時には励まされながら着実に目標に向かって歩を進めて来た。酷い不整脈に見舞われ心が音を立てて折れてしまった事もあったが、愛猫タラの意外な登場で救われたりと浮いたり沈んだりしながらも、常に忘れなかったのは「諦めない」の意地にも似た心境だった。
 諦めてしまった方が楽だろう…なんて決して思わぬふてぶてしさは、途方もなく長い闘病生活の中で培われて来た闘志と言えるのかも知れない。
 治る見込みが失われても与えられた「生」の中で最善を尽くすことが生きる事に大きな意味を与えてくれる。この先、何年生きられるだろうなんてネガティブな発想は捨てて、「100歳まで生き延びてやる」くらいの意気込みで日々闊歩して行こう。
 今年の目標は敢えて決める積りはないが、酉年に因んで(由来に関係なく)翼を拡げ大空に羽ばたく鳥になり、あらゆる意味に於いてチャレンジの年にしたいと思う。
 皆様に幸福の翼が舞い降りる事を願いつつ、昨年同様に本年も私とこのブログをよろしくお願い致します。

2017年1月1日 ベッド上にて執筆。
関連記事

テーマ: 病気と付き合いながらの生活

ジャンル: 心と身体

タグ: ゆく年くる年  除夜の鐘  煩悩  希望  不整脈  闘病  酉年  チャレンジ 

[edit]

入院ゼロまでのカウントダウン。 

三井記念病院

 時の流れは想像以上に早く感じるもので、今年も余すところ後1ヶ月と少し。昨年を振り返ってみると丁度今頃は心不全で三井記念病院に入院中であった。年の始めになると毎年のように抱負を語るが、今年もやはり「入院しない」だった。その抱負がもう少しで現実のものになろうとしている。
 過去5年間を振り返ってみると、2012年は1月の循環器外来時、心臓が肥大していたため入院を勧められたが、愛猫タラがいたため入院を断り自宅にて静養。それも入院に含めれば100%の確立で入院を余儀なくされていた。
 最も酷かったのは2013年1~4月に掛けて。既にご存知の方も多いと思うが、私の長い闘病履歴から見れば「万事休す」そのものだったのが脳梗塞である。右半身が完全に麻痺した時の恐怖は簡単に言葉で表せるものではない。然しながら幼い頃から強運の持ちである私はこの時も奇跡的な復活を果たした。
 僅か10日で退院出来、喜び勇んでいたのも束の間で退院から1ヶ月で心不全のため救急搬送、約1ヶ月の入院治療で4つの心臓疾患に加えて慢性腎不全と言う厄介な病名が追加されてしまい、これまで以上に水分管理・食事制限が厳しいものとなった。そしてその年3回目の入院は4月下旬、やはり心不全だった。
 それ以降は毎年11~12月になると救急車を呼ぶ羽目に…。これらは全て自己管理を怠ったための謂わば自業自得の結果であったが、将来的に3回目の心臓手術も視野に入れる可能性が浮上した時、これまでの情けない自分を戒めるように決意を現実のものにする覚悟を決めた。
 病気は自分一人で乗り越えられるものではない。そこには多くの医療関係者、友人、知人、そして同じような悩みを抱える仲間たちがいる。その存在なくして今の自分は有り得ないだろうし、今年の抱負に現実味が増して来たのも応援してくれる有り難い仲間がいるからだ。
 今年も多くの善意に助けられ、感謝の極みである。そして入院を回避出来た事は将来に向けて大きなステップとなり、新たな希望の光と自信に繋がってくれるだろう。今年がまだ終わった訳ではない、手綱を引き締めて油断せぬよう残りの日々を送りたいと思う。

関連記事

テーマ: 病気と付き合いながらの生活

ジャンル: 心と身体

タグ: 入院  心不全  循環器  闘病  脳梗塞  麻痺  心臓疾患  慢性腎不全 

[edit]

心不全シンドローム。 

11入院

 11月17日、救急外来の時計は午前0時を回っており、こんな深夜に救急車で運び込まれたのは始めての事だった。それでも心不全の兆候が現れ始めて直ぐに連絡を入れた為、点滴を必要とする事もなく内服薬だけで入院も短期間で済んだ。
 ところが自宅に戻って一週間ほど経った頃、38℃の発熱。市販の薬は使えないため、栄養ドリンクをお湯割りにして飲み、二日間寝込むと熱は下がったが、また暫くして今度は呼吸困難と息切れが…。
 深呼吸をすると胸の奥がキュッと締め付けられるような、心不全の症状とは明らかに違うため、再入院を覚悟したが退院して間もないため、自分の免疫力を信じ自力で治した。16日の循環器外来でその事を話すと、直ぐ外来へ来るようにと主治医に怒られてしまった。
 インフルエンザに限らず何らかのウイルスに感染し炎症を起こしていた場合、最も危惧されるのは、心内膜炎やウイルスによる人工弁閉鎖不全。最悪の場合は緊急手術となるからで、主治医が怒るのも当たり前の事だった。
 さて、人工弁と言えば、阿部寛が主演する人気ドラマ『下町ロケット・ガウディ計画編』では、国産初の心臓人工弁の開発が至上命題となっており、心臓弁膜症で苦しむ多くの子どもたちの命を救うと言う、医療ドラマとしても見応えのある内容となっており、私も関心を持って観ていた。
 かつては私も弁膜症に苦しむ子どもであり、11歳の時から長きに渡り闘病生活を送る事となったが、東京から入院先の藤枝市立志太総合病院へ著名な心臓外科医が招かれ、私も診察を受けた。体力の無い幼少期では手術をしても助かる確率は50%以下と低く、体力が着く年齢を待って手術に踏み切る方が賢明と言う見立てだった。
 そして19歳の春、3月に静岡市立病院の心臓センターに入院し、静岡県では最も腕の良い心臓外科医『秋山文弥医師』の下で僧帽弁形成術を受けた。当時の生体弁や人工弁は耐久性に劣っていたため、年齢と弁の損傷を鑑みた上で最も適した術式となったが、それは将来もう一度手術を受ける時期が来る事を予見していた。
 そして33歳になった時、蒲田自宅火災のストレスが引き金となり弁膜症が急激に悪化。三井記念病院の循環器センターを受診、担当医から『余命一年』を告げられ弁置換術を受ける事となった。埋め込まれた人工弁は、米国セント・ジュード・メディカル社製のSJM弁と言い、『パイロライトカーボン』と言う素材で出来ており、耐久性と信頼性に最も優れた機械弁で現在でも主流となっている。
 この手術により弁膜症は劇的に改善し、蒼白の顔面が紅味を帯び見る見る内に元気を取り戻す事が出来た。内服は一生続けなければならないが、入院のような闘病からは解放されるとその時は思っていた。
 術後15年を経過した辺りから異変が生じ始めた。心臓の右心房と右心室の間にある三尖弁の逆流、そして糸球体腎炎の疑い。この二つの病変については治療の必要性なしとの見解であったが、どちらも弁置換術の副産物でもあった。そして2008年6月、不安定狭心症で緊急入院。カテーテル治療により右冠動脈にステントを挿入。この時の検査で『収縮性心膜炎』の疑いありと診断される。
 このようにして現在の自分に至る訳であるが、年齢と入院を重ねて行く度に心臓は良くなるどころか悪化の一途を辿るばかりであり、薬の種類は覚えることさえ面倒なほどに増え続けて行く。それでも自分を諦めず、未来の医療に希望を託し生き続けている。こんな傷だらけの私ですが、来年も私とこのブログを宜しくお願い致します。

関連記事

テーマ: 医療・病気・治療

ジャンル: 心と身体

タグ: 阿部寛  下町ロケット  人工弁  心臓弁膜症  闘病  手術  カテーテル  狭心症 

[edit]

猫の手も借りたい闘病記録。 

猫の手

 新年を故郷や海外で迎える人たちの帰省ラッシュがピークを迎えている。それぞれの想いを抱えた2013年がもう直ぐ終を告げる。そこに待ち受ける新しい産声を聞く為に、その声に新たな希望を託して人はまた未来に向けて歩き始める。
 今年もいよいよ数日を残すのみとなりました。街角ではカウントダウンの鐘が鳴り響いている事でしょう。年賀状の投函も済ませ、後は除夜の鐘を聞くのみと言った所ではないでしょうか。私の場合、詩は兎も角として小説などは自分を追い込んでギリギリになるまで書かない性格なのですが、それが持病にまで影響し、心不全を発症しているのにギリギリまで我慢してしまうんですね。
 もう限界となった時点で漸く救急車を呼ぶ…、搬送先の病院で看護師に「もっと早く来なければ駄目ですよ」といつも怒られてばかり、まるで子どものようです。
 2013年を振り返ると、やはり闘病の一年でした。病気が治る訳ではないので闘病自体死ぬまで続くのですが、今年は特別でした。正月早々心原性脳梗塞で倒れた時の事がトラウマになっております。深夜1時、部屋の灯りを消す為にベッドから起き上がろうとした所、身体が全く動かない…、初めての経験で、それは言葉に出来ないほどの恐怖でした。
 自分の身体に何が起こっているのかその時はまだ理解しておらず、動かない手足を何とかしようともがいている内にベッドの下に転落。その時かなり強く打った為、今でもその打撲痕が消えずに残っています。
 右半身の感覚が全くないため痛みは感じませんでしたが、骨折しなかったのが不思議な位で、右腕がどんな状態になっていたのか想像すると恐ろしくなります。ベッドの下で一時間ほどもがいていたでしょうか…、兎に角助けを呼ばなければと思い、自由に動く左腕のみを頼りにベッドへと戻りました。そして左手で携帯を握り締めたまではよかったものの、右腕を必死に携帯の所に持って行こうとするのですが、全く力が入らず成す術もないまま携帯を見詰めておりました。
 「万事休す」人生の終わり、つまり「死」を悟った瞬間でした。声も出ず助けも呼べず、孤独と絶望に打ちひしがれた正月の深夜…。流れ出るのは鼻水と涙とだらしなく開いた口元からの唾液のみ。然し、そうやって地獄の淵に佇む私に向かって、またしても幸運の女神が微笑んだのです。
 入院から10日後には脳梗塞の後遺症も全くなく、奇跡の復活を遂げた訳です。この様な「九死に一生」体験をすると、その年は運が悪い大凶と思ったりしますが、結果を見ると「大吉」ではないかと考え直し前向きの姿勢に修正出来たりするものです。
 脳梗塞の後、立て続けに起こった「心不全」によりまたしても救急搬送され、今年前半は病院生活に費やされてしまった訳ですが、病気を活力の源と置き換える事が出来れば、闘病生活の中に希望の光を見出す事が出来るのではないでしょうか。
 絶望からスタートした2013年も終わり、何はともあれ生きている事の喜びを噛み締めて、来年は希望からのスタートにしたいものと思っております。この一年、私のブログに訪問して頂いた皆さま方全ての人に幸多き年となるよう心からお祈りし感謝致します。
 今年一年ありがとうございました。そしてまた来年もどうぞよろしくお願い致します。

管理人:神戸俊樹
関連記事

テーマ: 人生を豊かに生きる

ジャンル: 心と身体

タグ: 新年  帰省  年賀状    除夜の鐘  正月  脳梗塞  心不全  闘病 

[edit]