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忘年会のある風景。

 今年も師走に入りいよいよ1年の締めくくりである。巷では忘年会や新年を迎える準備などで多忙を極めている人も多いだろう。来年の話をしても、もう鬼は笑わないし、2016年を振り返り、宴会で美味しい酒とご馳走を前にして、寒さに引つった顔も綻ぶ事と思う。 私は「酒」と言う言葉に敏感である。嫌いではないが、病気のため殆ど飲めないに等しい。それでも20歳の頃などは正月になれば友人宅で一升瓶の日本酒とウイスキー...

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2016いたばし花火大会in荒川土手。

 8月6日、愛猫タラの癒し効果が背中を押してくれたのか、足取りも軽く花火会場の荒川土手へと出掛けた。家を出たのは16時だが、西台駅から会場まで徒歩で30分程度。夕暮れ時とはいえ、真夏の陽射しが容赦なく照り付けていた。気温は35℃を越えていたと思う。 僅か10分も歩いただけで首筋が汗で滲んでくる。冷えた緑茶と氷を入れたマグボトルに早くも手を付けた。ほんの少しだけカップに注ぎ、グイッと一息に喉の奥へと...

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第56回いたばし花火大会2015in荒川。

 連日35℃を超える猛暑日が続いている日本列島、岐阜県多治見市では39.9℃を記録するなど今年の夏の異常な暑さを物語っており、熱中症で救急搬送される人や死亡する患者が軒並み増えている。 この暑さ、何処かで暑気払いでもしないと身体が持たない…。そんな事を思いつつ、知ったのが自分の住む地元で8月1日に開催される花火大会の情報だった。板橋区に越して来て6年目になるが、2010年8月7日に江戸川区で行われた花火...

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父の日は遠い空からやって来る。

 父の日は母の日に比べるとその存在感が若干薄いような気がしますが、父の働く姿を子どもはあまり見かける機会が少ないため、父親が外でどんな仕事をしているのか、それは日常の親子の会話の中でしか知ることは出来ないかも知れません。プレゼントももちろん大切ですが、それ以上に会話は重要です。  私と父に関しては過去に何度か書き綴って来ましたので想像は付くと思いますが、これから話す内容は私自身も割と最近になって知...

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グッバイ、ママ(母の日に想う事)。

 母の日を迎える度に思い出す、非常に珍しく貴重な写真である。赤ん坊の頃に撮られた写真は、この一枚ともう一枚は叔母に抱かれている写真でまだ歩けない頃のもの。不思議な事に父や母と一緒に写っている写真は一枚もない。 父と母が結婚したのは昭和29年、最初に住んだのは静岡市八番町。祖母の姉や妹が住んでいた2階に部屋を借り、そこで新婚生活が始まった。祖母の姉は日本舞踊の師匠をやっており、私の幼い記憶の中では、...

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踊るサンタクロース。

クリスマスは理屈抜きで楽しむもの 不景気なんて関係なく 苦しい時だからこそ 笑顔を絶やさず せめて心に平和のツリーを灯せ 今宵は 誰もが サンタクロース さあ みんな 踊るサンタに合わせて ステップ踏もう 聖なる夜に 感謝を込めて メリークリスマス...

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ウエディングドレスを押し花に。

 女性であれば一度は着てみたいであろうウエディングドレス。世の中には結婚式もまともに挙げられなかったカップル或いは結婚そのものが許されない男女など大勢いるのだろう。 戦争の為に式も挙げられず出兵し、そのまま帰らぬ人となってしまったり等など。結婚をテーマにして想いを巡らせてみると様々な人間ドラマがある。 わたしは以前にも話した通り、余命一年の宣告を受けたその後に結婚したが、当時ドクターストップがかか...

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地球の片隅で温暖化防止を叫んで見る。

 地球からとってみれば人類も一匹の蟻も同じ生物に変わりなく、共通点と言えば種族を絶やす事無く繁栄させる事だろう。 しかしそれは自然と一体になっていなければならず、おもちゃ箱をひっくり返すように自然破壊を繰り返す人間に今更異常気象だ温暖化防止だのと言ったところでもう手遅れかも知れない。 地球はそれほどお人よしではなく、いつまでも人間のわがままに付き合ってはくれない。植物が酸素を供給し、その酸素によっ...

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酒と涙のクリスマスケーキ。

 貧困は、時に子どもの心を傷つける。わたしはそれを子ども時代にうんざりするほど味わって来た。昭和30年代にクリスマスプレゼントの慣習が日本に存在したか知らないし、記憶として残ってもいないが、唯一それらしい出来事を今になって思い出す。 泥酔しきった父が真っ赤な顔をして「とし坊、土産」と差し出した小さな白い箱の中身は、酒臭いイチゴのショートケーキだった。 わたしはそれが嬉しくてたまらず、涙を浮かべなが...

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ハロウィンの夜が更けて行く。

 ハロウィンを分かり易く説明すれば、日本でいうお盆。宗教が変わっても、霊に対する慈しみは変わらない。日本の場合は玄関に砂をまいておくと、帰って来たご先祖さまたちの足跡が残ると言う。まあこれはわたしの住んでいた藤枝の風習だったが。 仏壇のある家は竹を二本用意して飾りを付け、茄子やきゅうりに割り箸を刺して、動物に例える。そしておはぎやら果物、飲み物を供え精霊たちが道に迷わないように迎え火を焚く。 日本...

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その頃、23歳の青年はボクサーを目指していた。

 そんな訳ありません。心臓病のわたしがボクサーになれる訳がないですよね。このボクシンググローブ、実はわたしの父の形見の一つでした。  父がボクサーだった訳ではなく、父(極道)の舎弟分がバンタム級のプロボクサーだったんです。その彼が練習用に父に預けた物です。  父は喧嘩がかなり強かったので、殴り方などよく教えてくれました(いじめの記事を参照)。街中で昼間から喧嘩に借り出されることしばしば。揉め事を収め...

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心に花束を持って。

 2005年10月、綿菓子を溶かしたような白い秋の雨が降りそぼる頃だった。東京都済生会中央病院に、中央聖書教会の牧師「石原先生」が入院しておられたので、早速お見舞いに行った。小雨の中、傘も指さずオーバーヒート気味のわたしの身体には丁度よい冷たさだった。 わたしの場合、多少の雨であれば傘を指さない。雨に濡れるのが好きな少し変わった所がある。雨も天の恵みに変わりなく、わたしにとっては心地良かった。 術...

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美容師がハサミを置く時。

 わたしが散髪によく行っていた理髪店が店内改装だった為、数十年振りに美容院へ行った。20代の頃は美容院で髪をカットしてもらっていたが、この歳になって美容院へ行くのもと思ったが、良さそうな理髪店が思い浮かばず、立ち寄ったのが瑞江駅ビル内にある美容院だった。 担当は「望月君」と言ってまだ30そこそこの若者だった。 「5月に新聞社のインタビューを受けるから恰好よくカットしてよ」などと言う会話を交えながら...

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今もそこにある戦争(終戦記念日を迎えて)。

 1945年(昭和20年)1月9日、神戸信夫(父13歳)は、自宅近くにある蓮正寺の境内で日向ぼっこを楽しんでいた。 戦時中の正月がどのようなものであったか定かではないが、食料の配給下では満足に腹を充たす事など皆無ではなかったかと思う。 藤枝では有数の資産家だった神戸家にとって見れば、戦争の影響による衣食住に困窮する事は全く無かったが、家族二人が南方へと出兵し帰らぬ人となっている。この二人の戦死は後...

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核兵器はもう要らない。

 人類最大の過ちが広島を一瞬にして焼き払った原子爆弾が投下されてから、今年で67年という歳月が流れた。 実際に原爆の犠牲者となった人たちは大量の放射能に晒されながら、現在でも生存しておられる方々も年々少なくなって来ているのが現状である。 あの日雲一つない快晴の空に銀色のB29が悪魔を連れて飛来した。広島市の朝はいつもと変わらず平常通りの通勤風景や一日の始まりに、忙しい朝を迎えていた。  夏休みを満...

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