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自民党の毒裁政治が始まった。 

アベノ

 参議院選挙2013夏の陣は、大方の予想通り自民党の圧勝で幕を閉じたが、肝心の投票率は相変わらず低く、戦後の選挙では3番目と言う有り難くない結果だった。
 国民の政治離れが加速する要因の一つが「安定しない政治力」だ。その背景に見えてくるのは、各政治家たちの統治能力の低さであるが、明治以降に始まった近代政治の中では現在が最も顕著である。
 ライバルが群雄割拠し追い付け追い越せと各人が切磋琢磨し、政治力を競い合った時代は遥か彼方に消え失せ、国民に失望感を植え付けて来たその責任は非常に重い。
 それでも、国民の半数が何かしらの期待を持って投票所へと足を運ぶのである。この国がより良くなって欲しいからこそ重き一票を投じるのだ。
 薄れゆく政治への関心を呼び戻す為、「ネット選挙」と言う新しい試みもスタートした。立候補者や政党もツイッターやフェイスブック等を利用して自身や党のアピールに余念がない様子を見ていると、政治が多少なりとも浸透し始めているのではと、新たな希望を見出す事も出来た点は評価したい。
 自民・公明の連立与党が過半数を大きく上回った事で、これまで長きに渡って続いていた「ねじれ国会」に終止符を打つ事になった訳であるが、ねじれているのは国会ばかりではなく、政治家たちの頭の中も相当ねじれており、わたしとしてはそちらの方が余ほど心配ではある。
 都議選の時と同じく大惨敗に終わった民主党は、その責任を取った積りなのか?細野幹事長が辞任すると言うお家騒動が勃発。それに追い打ちを掛けているのが菅元首相の応援問題で、勢いを全く失った政党とはこうも容易く崩れ去って行くのかと思わせるような混乱ぶりである。
 調子の良い時は何をやっても上手く行くのが人生の常であるが、調子の悪い絶不調の時こそ手綱を引き締めて理路整然と振舞うのが賢人と言うものである。
 それとは対照的に大勝の美酒に酔っている暇などないのが、与党たる自民・公明である。金魚の糞さながらに自民に寄り添う公明党だが、その役割は大きく重要である。
 自民党の暴走を抑えるのが公明党である訳で、憲法改正路線にひた走り、自衛隊を「国防軍」と位置付けし「防衛費」と称して莫大な税金を投入、安倍総理ならやりかねない事柄だけに、慎重に見守って行く必要があるだろう。
 余程のマイナス面が生じない限り、おそらく安倍政権は長期に渡って国の運営を預かる事になるだろうが然し、震災・原発事故発生から2年以上が経った今でも数多くの人びとが事故の余波に苦しみ続けている現状がある。
 アベノミクスが話題になり、その効果などを高く評価している声も聞こえて来るが、弱者を救えないアベノミクスであるならば、国民はきっちりと「ノー」を安倍総理の喉元に突き付けるだろう。
 自民党の持つ「毒」が徐々に拡がらないよう、わたしたち国民が監視官としての役割を果たして行くべきであると思う。

テーマ: 自民党

ジャンル: 政治・経済

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風と共に去る民主党。 

都議選

 昨年末に誕生した第2次安倍政権だが、発足後半年余り経っても依然として高い支持率を維持したまま推移して来ている。
 大胆とも言うべき「アベノミクス」経済政策を旗印に掲げ、その効果は株価上昇、円高ストップと一見、日本の経済は持ち直して来たかに見える。
 先に行われた都議選は、この勢いに乗った安倍内閣の追い風を受けて、自民、公明とも立候補者が全員当選、そしてなんと常に4,5番手に隠れていた共産党が大躍進し、民主党を跳ね除けて野党第1党に登り詰めると言う前代未聞?の選挙結果となった。
 地方選の一つである都議選だが、規模から言えば国政選挙並である事からも、自民党は「準国政選挙」と位置付けをし、この都議選に全力を注いで来たものと思われる。
 日本の中心(首都)である東京を抑える事は国を抑える事にも匹敵する訳で、この選挙が如何に重要なポストであるかは、おそらく自民以外のどの党も把握していたに違いない。
 但し、今回に限った事ではないが、懸念されるのは投票率が半分にも満たないほど低いと言う事である。半分以上の都民がこの選挙に興味を示さなかった、或いは「諦念」を抱くと言う政治家にとって最も憂慮すべき状況は過去と比べてみても何ら変わっていないと言う事実である。
 投票率が下がれば組織票が俄然その力を発揮する訳で、そこに東京都民の意志がどれだけ反映されているのか疑問すら生じて来る。
 今回の選挙で辛酸を舐める結果となった民主党は、政権が自民党に移った時点で既に終わっていたとも言えるだろう。
 どれほど、民衆に向かってアピールしようとも、過去に連ねて来た「嘘八百」を覆す事は出来ず、民主に向けられた不信感は改善の余地なしと見受けられる。
 橋下・石原両氏が率いる維新については、共同代表である橋下氏の「慰安婦問題」が大きく影響し自滅した形となったが、それも当然の結果だろう。
 約一ヶ月後に行われる「参議院選挙」の結果も、既に見えてしまったと言う、虚しさだけが残りそうな今年の選挙に、風とともに去る民主の断末魔だけが木霊している気がしてならない。

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ブータンより愛を込めて。 

ブータン

 ブータン国王が来日してから早いもので既に一年近くが経過しようとしている。巷では選挙の話題で持ち切りであるが、景気回復の兆しは一向に見えて来ない。
 さて、美形で話題のブータン国王を見た時、誰かに似ていると思った人は少なくない筈。そう、あの若かりし頃のアントニオ猪木に似ているのである。ブータン国王の顎がもう少し長ければ瓜二つだと苦笑してしまった。
 まあ、そんな事はユーモアと理解して頂いて、国王の来日により『国民総幸福量』なる言葉が注目され始めた。
 国民の97%が幸福だと感じているブータンと他国を比較するのは余りにも強引過ぎるし、幸福の尺度もその国々によって異なって来る。
 ブータンが提唱している幸福とは、経済的・物質的豊かさを目指すものではなく、精神的な豊かさを指し示すものである。
 ブータンに於ける宗教観、気質、慣習、文化などは、隣人との関係を重んじる深い信頼関係を築くといった人間関係重視が背景にあるように思える。
 さて、気になる日本の幸福度であるが、既に皆さんもご存じかと思うが65%だそうである。最も幸福度の高かった都道府県は福井県の70%らしい。因みに最も低かったのは大阪だったと記憶しているが、橋下さんが頑張ってくれればそこから脱出する事も可能であるだろう。
 但し、この幸福の尺度を日本全体に反映してみると、年間自殺者3万人という自殺大国日本がとても幸福だとは到底思えないのである。
 生活保護費は3兆円を超え、失業者は増大の一途を辿るばかりであり、大学生の就職内定率は依然として低い水準のままである。
 更に追い打ちを掛けているのが弱者を無視した年金問題であり、公務員の特権『職域加算』を残したままの制度では国民の理解を得られる訳がない。
 政府の一方的な原発事故の収束宣言は、苦悩する福島住民を置き去りにするものであり、甚だ遺憾の極みである。
 幸福論を云々言う前にこれら数多くの問題解決や、自殺者を一人でも多く減らす眼に見える努力をして頂きたいものである。
 寒風吹き荒ぶ高層ビル群の合間を縫って、リクルートスーツに身を包む大学生の後ろ姿に悲哀を感じる今日この頃であった。

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ハリケーン「オバマ」。 

オバマ

 米大統領選の真っ最中に、ハリケーン「サンディ」が米東部に上陸。ニューヨークでは広範囲に渡り浸水被害に見舞われた。
 このハリケーンに伴いオバマ大統領は重点地域での遊説を急遽中止し、対策に全力を注ぎつつ被害に合った地域を訪れ民衆に向かって励ましの言葉を送った。
 結果的にオバマVSロムニーの大統領選は、オバマ大統領の圧勝と言う形で幕を下ろし、オバマ氏が引き続き第45代アメリカ合衆国大統領に就任する事となる。
 オバマ氏が自然の猛威を味方に付けたかどうかは知らないが、ブッシュ前大統領の時の初動対応の緩慢さに民衆の怒りを買い、政権の危機管理の甘さを露呈しているだけに、過去の例が少なくとも影響していると言う背景が見てとれる。
 アメリカはその歴史が物語るように選挙の国であり、国民が政権の中心に存在し国を動かしているのは事実である。
 ジョン・レノンの歌う「パワー・トゥ・ザ・ピープル」が人々の根底に流れているからでもあるが、アメリカの選挙戦を見る度に思うのは、日本との大きな違いである。
 我が国の場合、選挙は国民のものではなく、政治家たちの為に存在しているようなもの。薄れ行く政治への関心度を見るにつけ、国民の意識が低ければ低い程に優れた政治家が存在しないのは確かなのである。
 優秀な政治家を創り育て上げるのは、わたしたち国民の責務ではないのだろうか?日本と言う国をこよなく愛し、更に発展しより良い国作りを望んでいるのはわたしたち一人ひとりの筈である。
 もちろん、アメリカや他の国がその手本となる訳ではないし、それぞれの国で抱えている問題も様々であるが、根底に根付いている想いは同じ平和と調和である。
 今回のハリケーン対策で、オバマ氏がパフォーマンスとしてそれを利用したとの噂も聞こえて来るが、それは天が彼に与えた「抜き打ちテスト」のようなもの。
 その行動に有権者たちが合格点を与えた結果が再選へと導いたとも言える。「災い転じて福となす」ではないが、瞬時の状況判断がそれ以後の結果に大きな影響を及ぼす事は間違いないであろう。

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踊る石原!風雲急を告げる。 

石原

 その日(25日)、巷に号外が飛び交った。「石原慎太郎東京都知事 辞職」、それは政界再編成に向けて風雲急を告げる「石原流」特有のパフォーマンスだったのだろうか。
 政権末期状態にある民主党の陳腐な辞任劇、就任後一カ月も経たずして、田中法相の「外国人献金問題」発覚。更には暴力団との癒着なども含めれば「辞任止む無し」ともなるが、全く大臣としての仕事をしていなくとも「前法務大臣」と言う「肩書」が付いてしまうのだから呆れてしまう。
 適材適所を熟知した大企業の人事異動も短いスパンで発令されるが、民間ではなく税金を頂く公務員、それも一国の中枢を司っている与党という絶対的立場にある政権内部から、自ら綻びを拡げてしまうような野田総理の人員選出ミスを見る限り、緊張感の欠片もない政治家たちのサラリーマン体質が永田町に蔓延しているのではないかとさえ思ってしまうのである。
 このような無責任国政の在り方に業を煮やしたのか定かではないが、安倍新総裁の誕生、橋下大阪市長率いる「日本維新の会」などの動向を元に「新党結成」のタイミングなどを計り国政復帰に向けて準備(第三極の結集)を進めていたものと思われる。
 石原さんは1968年に自民党から(参議院)全国区に出馬し、本業の作家活動を続けつつ、政治家の道を歩み始めた。
 1972年には参議院を辞職。同年12月に衆院選に無所属で出馬し当選、その後自民党へ復帰。然しながら石原氏の自民党時代はそう長くは続かなかった。
 その3年後、1975年に議員を辞職し、東京都知事選に挑戦するも惜敗。その悔しさを振り払うかのように1976年に国政へと復帰を果たし、当時の福田(改造)内閣では「環境庁長官」に就任しており、ここからが石原氏の本格的な政治家活動と言えるだろう。
 議員生活約25年と言う節目で唐突な議員辞職表明は、当時の国会を混乱の渦に巻き込み周囲からは「身勝手な男」と冷ややかな視線を浴びたものの、石原氏本人は「我が道を行く」を貫き通した。
 そして1999年に都知事選に再挑戦し当選したが、この時の都知事選は有力候補者がひしめいており大苦戦を強いられた(鳩山邦夫、舛添要一)等がいた。
 そして約14年間に渡り、日本の心臓部と呼ばれる大都会「東京」の監督責任者として、その辣腕を発揮して来た訳であるが、元々自民党の「タカ派」集団に属していた事もあり、その言動や行動に首を傾げる人も決して少なくはなかった。
 例えば国際都市東京の宿命とも言うべき、外国人による凶悪犯罪の増加に伴っての「三国人」発言は、当時の記者団に「差別用語」との指摘を受けていたが、本人曰く「古い人間だから…」で片づけられてしまうほど、作家人生の長い石原氏の表現方法とは思えぬデリカシーの欠如に落胆してしまう訳である。
 人間は誰しも一長一短があり完璧な人間など居る筈もないが、国を動かすほどの権力者ともなれば、辞任が相次ぐ民主党のような醜態は出来るだけ晒して頂きたくないものである。
 定年制のない政治家たちに取ってみれば、国会の場と言うのは美味しい職場だったりするのかも知れないが、80歳にして国政へ復帰と言う政治への執念深さを、良い意味で捉えれば石原氏のような信念の持ち主に政治を任せてみたいという気持ちにもなり得るが、果たしてこれから何年間政治を続けられるのかその辺が心配の種でもある。

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デモは参加する事に意義があるのか? 

デモ

 たわわに実った果物や野菜、そして米など。実りの秋、収穫の秋がやって来ている。連日続いたあの猛暑が嘘のように、ここ数日は実に涼しく爽やかな秋の風が高い空を吹き抜けて行く。
 そんな自然の営みを余所に、この夏を振り返って見ると、「デモ一色」だったような気がする。「原発再稼働」「脱・原発」そして「オスプレイ配置」などであるが、デモに参加した民衆の呻きにも似た叫び声は、虚構の空に虚しく消えて行った。
 耳栓よろしくそれらの声に全く動ずる事も耳を傾ける事すらしない役人や政治家たちには、幼子の鳴き声ほどにも聞こえなかったのであろう。
 そして今、海外に眼を向ければ言わずと知れた中国の「反日デモ」である。尖閣諸島を取り巻く領土問題でヒートアップする中国の人々。
 9月中旬から8日連続で行われた反日デモは、その一部の民衆が暴徒化し日系企業を襲撃し、店舗などがその荒くれどもに取り囲まれ略奪行為にまで及ぶと言う、これは謂わば一種の戦争状態と言ってもよいほどであった。
 中国による反日デモは過去に何度も繰り返されて来てはいるが、やはりその根底に渦巻いている憎しみは戦争が産み落として行った日本による中国の植民地支配にあるだろう。
 切っ掛けは日本政府による尖閣諸島(中国名:釣魚島)の国有化に反発するデモであるが、それが中国の各地に飛び火し、大規模デモに発展した訳である。
 然しながらこのデモを当局が操っていたと言う噂も実しやかに流れており、デモの背景に当然の如く中国上層部が関与している事は明らかである。
 金銭を払ってまでデモに参加させると言う辺りは、実に狡猾な中国の手法であり、そこには何のイデオロギーも存在してはいない。
 反日デモは現在鎮静化してはいるものの、これもまた当局の操作によるものと言う推測の域を出ないのである。
 それに取って変わるように、中国国家海洋局と民政省による発表は尖閣諸島の山・岬などの計26ヶ所に中国独自の地名を付与し公表した。
 この領有権を巡る問題は双方が歩み寄らなければこれからも半永久的に続いて行くと思われるが、アメリカに依存する日本にとっては、自力での外交努力だけで解決する事は皆無であるだろう。
 日本国内で行われた「デモ」は20世紀初頭の頃であるが、江戸時代に勃発した「百姓一揆」もまたデモの部類に入るのではないだろうか。
 原発デモについて言えば、永田町の首相官邸を取り囲んだ民衆の大波は、1960年(昭和35年)に起こった「60年安保闘争」以来であるが、その中身は50年前のものと比べ大きく異なっている。
 つまり政党や労働組合などとは関係なく個人の意思によって人々が一堂に集まる事が多い。インターネットが全国的に普及している現代では、それらのネットを駆使し呼びかけを行うという、まさに現代の情報化時代を象徴した動きであり現象とも言えるだろう。
 然し、そこに本来のデモクラシーは存在しているのだろうか?民主主義を紐解けば、国そのもは国民一人ひとりの集合体であり、国を動かしているのは我々国民と言う事になる。つまり民主主義体制下に於いての権力者は政治家ではなく国民なのだ。
 50年前とは時代も大きく変化し、ある一定の水準を手に入れた日本経済の下で、わたしたちはなりふり構わぬ時代を疾走し、平和と安定した暮らしを手にしたかに見えたが、その対極に犠牲と痛みを伴う忘れ物を残して行った気がしてならない。
 核家族化が訪れ否応なしに人間本来が持つ労いやスキンシップが失われ、傍観者のみが巷に溢れだし、その行く末に待っていたのは孤独死や自殺者が増加する無縁社会である。
 大震災や原発事故によって、それらは曲りなりにも本来の人間性を取り戻してはいるものの、充分だとはとても言い切れないのが現状である。
 日本人と違い、韓国や中国の人々は感情の表現があからさまで時にはそれらに嫌悪感を抱いてしまう事さえあるが今回のデモを見ても分かるように、国内と国外では非常に対照的である。
 日本人の持つ奥ゆかしさは美徳ではあるが、無関心とは全く別である。オリンピックは参加する事に意義があると説いているが、さて、これらの「デモ」についてはどう判断すべきだろうか。

テーマ: 尖閣諸島問題

ジャンル: 政治・経済

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尖閣諸島波高し。 

尖閣

 尖閣諸島や竹島を巡り、領土問題に揺れる日本にその荒波が押し寄せている。中国や韓国など、相手国が強硬姿勢を見せてから漸く事の重大さに気付く日本政府は、今も昔も後手後手の対応。
 100年以上も前の文献を埃の被った倉庫から引っ張り出し、それを証拠として日本の領土だと言い張っても、彼らはそんな昔の事など眼中になく、現在が最も重要なのである。
 それまで何の策も打たず、放置状態を続けて来たそのつけが今、まさに日本を脅かしているのである。政府の対応に業を煮やした石原東京都知事が尖閣諸島を東京都が購入すると爆弾発言。その方向で島の地権者と話しが進んでいる事に面目丸つぶれの野田総理とその側近たち。
 東京都による尖閣諸島上陸申請を早速不許可。同じ祖国の中で領土問題に対して足並みが乱れ、混乱しているようでは、北方領土も含めこれらの問題は前途多難である。
 日本のトップでさえ、いまだ足を踏み入れていない「竹島」に韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が自らの足で竹島の土を踏みしめた。
 これに対し日本政府は、独島訪問の抗議内容が入った書簡を韓国側に送ったものの、殆どが門前払いという情けない結果に終わった。
 竹島が日本の領土であるとされる証拠が「ラスク書簡」。1951年、米国のラスク国務次官補が、竹島の領有権を主張する韓国政府に送ったものであるが、その中身には「朝鮮の一部として取り扱われたことが決してない」とう内容の事が記されているようだ。
 韓国側の不法占拠を明確に示す決定的な資料であるが、この文書の存在がどれほどの影響力を持つかは全く未知数である。
 相手は物の道理が通じない、それこそ未知との遭遇。戦前・戦後の忌まわしい過去(従軍慰安婦問題等)を両国が引き摺っている限り、韓国と日本の間に「友愛」という絆は生まれる事はない。
 それにしても韓国の日本に対する猛反発は人種の大きな違いを見せ付けてはいいるものの、日本人が大人し過ぎるのか、それとも単なるお人好しなのか。原発デモ行進やパレードは兎も角としても、領土問題ではデモを起こす気にすらならないのだろう。
 こんな自分さえ良ければの自己中心主義が蔓延るからこそ、国内外から「平和ボケ」と指摘されるのも頷けるのである。これだからあるブロガーに「竹島なんぞくれてやれ」と毒舌を噛まされるのだ。
 中国が「釣魚島」と呼び、領有権を主張している尖閣諸島(魚釣島)については、米政府が公式呼称として「センカク」を採用していることが明らかになっているが、あらゆる所に米国の影が存在し、日本が自国のみで解決に至らない弱みを他国に曝け出しているようなもの。
 それに付け込む中国や韓国の暴走。それを止められない弱小政府を見ていると、如何に日本の基盤が弱体化している事を見せ付けられる思いだ。
 領土問題を個人レベルで捉えてみれば、人間の持つ浅ましい姿がそこに垣間見えて来る事だろう。土地絡みの利権問題、財産分与などや隣人との争いごとに至るまで、強欲な人間の罪深さだ。
 相手のテリトリーを一切侵さない野生動物とは大違いで、地球・自然・共生という最も基本的テーマから大きく道を踏み外すのも残念ながら人間の特徴なのであろう。

テーマ: 領土・領海・・経済水域

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民主党57人の刺客。 

造反

 自公民による密室の談合と批判の矢面に立っていた消費税増税法案は、賛成363と言う圧倒的な数字を持って可決され、参議院に送られた。
 今回の採決で最も注目を集めたのが、民主党内からの反対票、いわゆる『造反者』がどれだけ出るかだったが反対票96の内、民主党からは57人が反対に回った。
 これに棄権、欠席者19を含めれば造反者は76となり、離党を示唆している小沢一郎元代表が「よし」と力強く頷いたのもこの数字に満足した結果であるだろう。
 これにより民主党は事実上の分裂状態となり、法案そのものは可決されたが野田首相の心中は穏やかではなく、造反者に対し「厳正に対処する」と言う具体性の見えない曖昧な答弁が民主の将来が『風前の灯火』である事を如実に物語っている。
 小沢グループを擁護する積もりは毛頭ないが、果たしてこの反対票が『造反』と簡単に片づけられるものだろうか。
 社会保障分野の主要政策をマニフェストに掲げ、圧倒的な勝利を自民党から力づくで政権をもぎ取った2009年の衆議院選挙は国民の期待を一身に受けての勝利だった筈である。
 政権奪取から3年余りが過ぎ、蓋を開ければ次々とマニフェストは塗り替えられ、『国民との契約』は果たされず政策放棄と言う国民への裏切り行為ばかりが目立って行った。
 このような状況を踏まえれば、造反者は賛成票を投じた民主党の大多数の議員たちの方ではないだろうか。つまり国民への造反なのである。
 いつの世も常に煮え湯を飲まされるのは国民であり、将来に於いて消費税が20、30%になったとしても、政治家たちの財布が国民の税金によって潤っている以上、彼らにとっては痛くも痒くもない他人事なのである。
 迫りくる後期高齢化社会をスムーズに受けれるに当たり、将来的増税は止むを得ない事ではあるが、増税のみが一人歩きしいている現状では国民を納得させるだけの材料も見当たらず、社会保障の全体像すら描けない状況で増税分の使い道に対しても明確な答えは出ていない。
 法案に対し賛成票しか認めない、反対票は事実上禁止と言う政党の傲慢なやり方は、民主主義に反する行為であり、投票の自由と言う権利を奪い取る歴史に逆行した暴挙としか思えないのである。
 政権交代の大義を大きく捻じ曲げて増税に突き進む野田首相の責任は極めて大きく重い。民意を軽視する野田政権が今後どこまで政局に留まっていられるかは時間の問題であるだろうが、増税反対ばかりをお経のように唱えている議員たちに国民がなびくかどうかは大いに疑問ではある。

テーマ: 消費税増税・復興税

ジャンル: 政治・経済

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