ビーチサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集がつないだ30年ぶり同窓会。

同窓会

 待ちに待った同窓会が30年ぶりに浜松サゴーインホテルで行われた。何としてでも成功させなければと言う思いで過ごしてきた約8ヶ月、同窓会を思い立ったのは2004の9月だった。
 30年以上も前の名簿を取り寄せ、人探しに明け暮れた毎日。最初は一人で始めた名簿作りにも協力者が現れ次第に見つかる人の数も増えて いった。
 途中で挫折する事もしばしばあった。インターネットと電話を駆使して多くの人を探し当てた。今思えばその充実した日々、わたしは活き活きとしていたし、どこから見てもうつ病を患っている人間には見えなかっただろう。
 苦労して一人見つけた時の喜びは計り知れないものがあった。相手が自分を覚えていなくとも心よく名簿に掲載する事を承諾してくれた時はまさに「やった!」と言う達成感で一杯であった。
 実行委員メンバーを決めて3月と4月に打ち合わせを行い、同窓会開催の通知を発送したが、どの位の人数が集まるのか不安であった。
 途中経過の報告が入る度に何度もため息をついた。返信締め切りの5月10日を過ぎても返事のない人も複数いた。
 わたしも実行メンバーも最後まで諦めず頑張った。22日直前で発見できた最後の大物、12病棟の婦長さんと連絡が取れた時には大感激であった。
 そうして向かえた開催日、開催2時間前に会場に入り念入りな打ち合わせ、受け付けの準備。わたしはただおろおろするばかりであった。
 体調も今ひとつすぐれなかった事もあったが、「みんなが力を合わせてここまでやってきたのだ」もっとしっかりしろと自分に言い聞かせていた。
 13時を少し過ぎた頃からポツポツと人がやってきた。当時のまま何も変わってない人、全く名前と顔が一致しない人それぞれである。
 会場に来る人たちもそれぞれ不安を抱えながらの来場かもしれないが、それも当然である。何しろ30年という長い年月が経っているのだから。
 開催時間の14時にはかなり大勢の人たちが、遥か昔を思い出しながらにこやかに会話を交わしている。そんな風景にわたしの心もホッと一安心であった。
 そして先生や婦長の来場、がっちりと握手を交わし挨拶をした。80歳を超える老体に鞭打ってやっ て来てくれたのである。
 一体どれだけ集まったのか正確には把握していないが、予想を超える人数であったのは間違いない。開催セレモニーが始まり現天竜養護学校校長の挨拶など、そしてわたしの乾杯でスタートした。
 名刺交換や写真撮影、皆さんへの挨拶や接待、ご馳走を目の前にしながらあちこちと動き回った。そして中日新聞社の取材を受けたりと忙しい。
 時間はあっと言う間に過ぎ、開催終了の時刻…。最後はわたしの詩の朗読で同窓会は終了したが大成功であった。

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イチロー、カムバック!

イチロー

 馬に乗って去って行く男の背中に向けて少年が叫ぶ「シェーン、カムバック」。西部劇の名作『シェーン』のラストシーンであるが、このシーンにつては様々な捉え方が存在する。
 つまりシェーン死亡説の話しであるが、それは置いといて、イチローの電撃移籍で多くのファンやそうでない人たちも一様に驚いていた。
 イチローのファンからしてみれば「イチロー、カムバック!」に違いない。シアトルのセーフコフィールドで行われた移籍会見を見て、彼の頭が余りにも白い事にも驚かされたが、38歳にしてこれほど白髪が多いのはメジャーリーグで活躍して来た11年間がわたしたちの想像を遥かに超える過酷なものだった事を窺わせている。
 身体の大きな大リーガーの中にあって、イチローはどちらかと言えば、小柄で華奢な体格であるが、その彼の何処に年間200本も安打を打つエネルギーがあるのだろうか。
 もちろん彼の優れたバッティングセンスと、ボールを獲物の如く狙い撃つ野生の鋭い眼光を持ち合わせているからであるが、それ以上に彼自身を支えて来たのは、人並みならぬ練習量にあるからだ。
 天才バッター、安打製造機と異名を取るその背景に、人には見せない彼の涙ぐましい努力があったからこそである。
 ヤンキースへの電撃移籍は、若手投手2人と金銭による交換であるが、会見では自らトレードを希望したと話している。
 然しながらその実情は若干異なっている。地元紙がイチローに対するアンケートを実施したところ、1番起用が28%、下位打順で使うが38%、クビ或いはトレードに出すが30%もあったと言う。
 地元での評価がそれだけ低いのが現実だったのである。ある意味でプライドが高い故、自分からトレードに出るという結果になったものと思われる。
 ブラッド・ピット主演の映画『マネーボール』を最近観る機会があったのだが、イチローが活躍しているシーンが盛り込まれていた。
 2000年代初頭のメジャーリーグに於いて、財力のある球団と貧困球団の格差を描いたストーリーであるが、日本のプロ野球に例えれば、読売巨人軍が一時、金にものを言わせ優良な選手ばかりを集めて選手全員が4番バッターと言う、打線重視のチームになったが優勝は出来なかったという苦い経験があり、9人野球のチームワークが如何に重要かを見せ付ける結果となった。
 つまり金の力で優れた選手を集めても、チーム全体が力を発揮する訳ではない事を実証しているのである。
 連続200本安打、ゴールドグラブ賞も途切れたイチローは、確かに衰えを隠す事は出来ない。年齢に付いて回る体力や気力などはスポーツの場合、顕著な形でそのプレーに反映されてしまう。
 されど、11年間マリナーズに貢献して来た彼の功績は揺ぎ無いものであり、誰も彼のプレーを真似する事は出来ない。
 今季で契約が切れるマリナーズにとってみれば、イチローのトレード志願は『大海で浮木に出会う』心境であった筈だ。
 球団は違えど、新天地のヤンキースでヒットを重ねて行く彼の姿を誰もが見たい筈である。イチローにとっての野球人生第3ラウンドのゴングが今、鳴ったのである。

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愛鍵(the key of love.)。

鍵


この
逃げ出してしまわぬよう
この手の平を
すり抜けてしまわぬよう
鍵を作ったの
の奥に
閉じ込めておきたくて
二人の
これ以上
離れ離れにならぬよう
二度と壊れてしまわぬよう
祈りを込めた鍵が
二人を繋ぎ止めてくれますように


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タダでも乗らないオスプレイ。

オスプレイ

 脱・原発デモと同じように、このオスプレイ搬入についても岩国市の住民団体等が大規模な反対集会を開いたが、住民の声はヘリの騒音に掻き消されるが如くに届きはしなかった。
 米海兵隊の垂直離着陸輸送機『MV22オスプレイ』は老朽化した現在の輸送機である『CH46』の代替機と言われているが、過去に幾度となく深刻な墜落事故などを起こし、欠陥品として国内外から批判や疑問視する声が高まっている。
 民間から起用され注目を集めた『森本敏防衛相』であるが、軍事のエキスパートが存在しない日本の現状を打破する為に、国の安全保障が専門である森本氏の手腕に期待する野田総理の大英断だったかどうかは未知数である。
 このオスプレイについては、彼が民間人であった時期にその危険性を最も強く訴えていた筈である。然しながら、国の防衛を担う立場となると、民間人だった時の鋭い洞察力と指摘は影を潜め、言いたい事の半分も話せなくなるという永田町の論理に取り込まれてしまい、身動きが出来ない状態。
 おそらく最も危機感を抱いているのは森本氏自身ではないだろうか。然し国の方針と日米安保という過去の亡霊によって金縛りに合い、米国の言いなりという現状に沈黙を貫き、教条的に為らざるを得ないのである。
 このヘリコプターとも飛行機ともどちらににも属さない様な飛行物体は、実に中途半端な輸送機であり、設計の段階で大きなミスを犯していると思われる。
 設計者はおそらくヘリと飛行機の優れた部分を合体して造ったつもりだろうが、『二頭追うものは一頭も得ず』と言われるように、欲をかき過ぎると悲惨な結果が待ち受けているのである。
 危険極まりないこのオスプレイが世界で最も危険な基地『普天間』に配備されると言うのだから、呆れ果ててしまうが、事故が起こってからでは遅い。
 原発事故で散々な目に遭っていながら、いまだに確実な安全性を手探りで模索している段階で、これを受け入れてしまうと言うのは実に不快極まりない。
 殆ど一年を通して沖縄のみならず、本土の70%以上の上空に150mというおよそ考えも付かないような低空飛行訓練を行うのである。
 国土の狭い日本はアメリカと違い、島国特有の風土と気象条件があり山間部を飛ぶと言えども、何が起こるか分からない不測の事態を想定しているのだろうか。
 代替機を造るのであれば、世界に誇る日本の優れた技術を駆使して製造した方がよっぽど高性能のヘリコプターが造れる筈である。
 日米両政府はオスプレイの事故調査でその安全性を確認後に試験飛行を実施。10月初旬から普天間飛行場を拠点とし本格運用に踏み切る模様だ。
 日本は駐留アメリカ軍の維持費を大部分負担しており、アメリカにはかなりの資金援助をしている。その返礼が日本国民を危険に晒すと言う事であるならば、日米安保は既に頓挫していると言ってもよいだろう。
 例え無料で乗せてあげると言われても、わたしなら即座に断るが皆さんはどうだろう?それでもタダなら一度は乗ってみたいと思うのだろうか…。

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初めてのサイン。

サイン

 埼玉県に住む女性がわたしの本を片手にわざわざ尋ねて来てくれた。サインがどうしても欲しいと言う事で、よほどわたしの詩集が気に入ってくれたようである。
 著者としてこれほど嬉しい事はない。早い書店では2月下旬(2005年)から並んでいたようである。予約をして2月中旬には既に手元に届いた人もいた。
 あれから数年も経っているので、現在は何処の書店にも置いてない。毎日新しい本が生み出されては消えていく昨今、どんな本が売れるか分からない時代だから、出版社も書店も売れそうな本を探すのに苦労している。
 出版社は著者の個人情報を本人の了解なしに外部に絶対漏らしたりはしない。それは当然な事であるが、その女性は出版社に電話してサインの事を告げ住所を聞いたらしい。
 当然こちらにその旨連絡が入る。サイン会を開くほど売れればよいがそんな事は夢のまた夢である。サインは数回頼まれて書いたが何処にサインをするか、本の場合は大体決まっている。
 それは扉の何もない白ページ。芸能人ではないので普通に自分の名前を書き、日付と場所を記入する。流石に最初は手が震えた。字が下手なので正直サインするのは好きじゃない。サイン慣れする日でも来てくれればよいのだが…。

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クラゲも反対する大飯原発。

クラゲ

 世論を二分しての大飯原発再稼働であったが、そのフル稼働に待ったをかけたのが人間ではなく、なんと『クラゲ』の大量発生であった。
 誰もが予想だにしていなかった事態に思わず苦笑してしまったが、自然界は人類の叡智を遥かに超える存在でありそしてまた神秘に満ち溢れているという事だろう。
 地震や津波で自然の猛威を嫌と言うほど思い知らされたばかりだと言うのに、原発の再稼働を野田総理は『国民の生活を守る為』と言い放ったが、その言葉に真実味や説得力は最早含まれてはいなかった。
 疲弊する日本経済の再建を最優先に考えた民主党執行部の暴走に他ならないだろうが、15%の節電を余儀なくされた関西電力圏内の地域は、この夏をどう乗り切るかに焦点が当てられ、困惑する市民や原発の恩恵を受けている地元や、工場、企業の思惑が乱れ飛び、再稼働に賛成はするものの、安全対策の確実性に不安を抱く人々は想像以上に多いのが現実である。
 官邸前で行われた先の反対デモの声に対し、総理は「大きな音」と表現する始末。賛否両論の問題については、どちらを選択したにしても反対の声は当然の如く聞こえて来る。それらの声にいちいち耳を傾けていては物事を進める事は出来ないが、総理の発言が人々の声を音と表現した背景に、そのような見識があるとするならば、それは大きな思い違いである。
 党派に属せず、しかもこれまでデモ等とは無縁だった人々はありふれた一般市民たちである。老若男女を問わず、幅広い層の人々が一つの目的で連携し繋がって行く。これは現代に於けるネット社会の現象でもある。
 一見平和に見える日本でも、これまでなりを潜めていた大規模デモや集会が、福島第一原発事故発生以後、各地で相次いでいる。
 その現象を引き起こす起点となっているのが、民主主義を蔑ろにする国民の声が反映されない民意なき国政への不満であるだろう。
 7月16日の集会では、過去最大規模の原発反対集会が開かれ、参加者数は10万人を超えたとも言われており、運転再開の撤回や廃炉を強く訴えたばかりである。
 国民の意思表示に対し、電力会社や政治家たちにとってみればやはり『耳障りな騒音』としか聞こえていないかも知れないが、大飯原発や北陸電力志賀原発について、専門家が指摘している原発直下の活断層の存在は、安全を脅かす大きな威嚇になっているのも事実であり、早急に現地調査をする必要に迫られてはいるものの、これは全く順序が逆なのである。
 本来であれば、安全が保障されてからの再稼働である筈なのに対し、大飯原発は電力会社の曖昧な調査をそのまま鵜呑みにしてのフル稼働に走った。
 『国民の生活を守る』の意味が全くの口実でしかなく、再調査に至っても電力会社に委ねてしまうのであれば既に結果は明らかであり、電力会社優先の再調査は稼働に問題はないとの回答であり単なる時間稼ぎに過ぎず茶番劇となるであろう。
 ここはやはり何処にも属さない公平な立場の識者たちで構成された第三機関を発足させての再調査に踏み切るべきであり、そうでなければ国民の不信を払拭する事は不可能である。
 大津市の男子生徒が自殺したいじめ問題についても、漸く野田首相本人からのメッセージが届いたものの、政治がこのいじめ問題に今後どう向き合って行くのかその本気度が試されている。原発事故が原因で自殺に追い込まれた人もいるが、これもまた捉え方を変えてみれば東電が招いた殺人でもある。罰せられない企業やそして教育関係者たちに対し、行政トップの指導力が全く発揮されていない現実を見ると、政治生命を懸ける総理の言葉が絵空事にしか聞こえて来ないのである。民主党離れが加速する野田政権の声は虚ろな空回りで何の説得力も有りはしない。

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その頃、17歳の少年はフォークシンガーを目指していた。

17歳

 『モーリス持てばスーパースターも夢じゃない』というキャッチコピーに釣られた訳ではないが、最初に購入したギターがこのモーリス。
 1万2千円、当時のわたしの給料は2万5千円。如何に苦労して手に入れたギターであるかお分かり頂けると思う。
 ブルースハープはトンボで1本800円。ギンガムチェックのシャツが流行り、そしてベルボトムのジーンズと長髪。これがフォークブームの象徴であった。
 吉田拓郎が大好きだったので、腕時計まで似た物を買った。青春の歌、マークⅡ、旅の宿。友達オンステージは実況録音盤で実に面白かったし、夏休みは最高だった。
 わたしの得意だった『ともだち』は完璧にコピーした。井上陽水、六文銭、古井戸、RCサクセションのメンバーが当時は3人だった。
 天地真理がアイドルで、拓郎のLP『元気です』売り上げは惜しくも2位だった。せんこう花火、リンゴはドラマ『同棲時代(沢田研二、梶芽衣子)』の挿入歌だった。
 泉谷しげる『春夏秋冬』ケメの『通りゃんせ』ガロ『学生街の喫茶店』友人と観たコンサート『唄嵐』サディスティックミカバンド、 泉谷、チューリップ、ガロ、RC…、海援隊がノーギャラで出て『母に捧げるバラード』を歌っていた。
 今思えばなんと贅沢なライブだっただろう。山下達郎率いるシュガーベイブ、センチメンタルシティロマンス、かぐや姫、はっぴいえんど。映画『旅の重さ』の主題歌は『今日までそして明日から』で、挿入歌はあの所ジョージがお気に入りの『恋の歌』もちろんこれも拓郎の曲だった。主人公の高橋洋子は若く、秋吉久美子も出演していた。


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いじめは犯罪である。

アンケート

 事の重大さに漸く気付いたか、或いは世論の反応に促されたかは知らないが、滋賀県警による強制捜査のメスが自殺した少年の通っていた中学と教育委員会に入った。
 これまで少年の親が再三に渡り警察に被害届けを提出していたにも関わらず受理されることもなく、警察の対応は冷たく門前払いの繰り返しだった。
 警察の職務は一般市民の安全や命を守る事であるが、その一般市民には当然ながら子どもも含まれる。仮に親が地元の政治家や警察官だったとしたら、真っ先に学校、教育委員会、警察は真相究明に向けて動き出しただろう。
 何処にでもいるありふれた一市民は上記のような特別な存在ではなく、その他大勢の類いとして差別化されるのである。
 この世の中が如何に不公平に満ち溢れているか、このいじめ問題が歴然と物語っているだろう。教育の現場に警察の捜査が及ぶのは過去に例がなく前代未聞のことではあるが、この異例とも呼べる捜査はある意味に於いて『いじめは犯罪』である事を実証しているものとも受け取れる。
 13歳の少年がマンションから飛び降り自殺をしたのは昨年の10月、学校側は10月と11月に渡り全校生徒を対象にしたアンケートを実施したが、その内容について全面公開に至らずアンケートの一部分しか公表していなかった。
 2回目のアンケートに至っては、そのアンケートそのものが隠蔽されており、教育委員会の事無かれ主義と隠蔽体質が根深い事を浮き彫りにした結果となり、世論から批判の声が殺到し、マスコミもこの問題を大きく取り上げ、9カ月も経ってから漸くわたしたちの元にも届くに至った。
 男子生徒がクラスメートから殴られたり、ズボンをずらされるなどの暴行を受けていた事実はアンケート結果によって判明した事ではあるが、2度目のアンケート結果では『自殺の練習と称して首を絞められた』、『葬式ごっこ』などの重大ないじめの回答があったにも関わらず、市教委はそれを『見落としていた』などとうそぶく始末。
 子どもたちの事より自分たちの立場を優先し、責任を取ろうとしない未熟な大人たちを見ていると、怒りを通り越して吐き気さえ催してしまうのである。
 少年をいじめた生徒はもちろん悪いが、それ以上に性質が悪いのはいじめを見て見ぬ振りをする傍観者たちである。その意味から言えば生徒も大人たちも同罪ではないだろうか。
 自殺した少年に『告白』する勇気があったなら、死なずに済んだかも知れないと思うと無念でならないのである。
 然しながら、中学生ともなれば思春期の入り口であり、多感な年頃でもある。最も信頼出来る親にさえ話せないのは親に心配を掛けたくないと言う優しさでもあるが、命を絶つ事によってしか解決の糸口を見出せなかったのであれば、それは余りにも悲し過ぎる事ではないだろうか。
 わたし自身も小中校時代、辛いいじめに苦しんでいた時期があったが、わたしはそのいじめから逃げる事なく敢然と立ち向かい、いじめ地獄から脱却した経験がある。
 昭和30~40年代の頃は、クラスに必ずいじめを止めに入る子どもが存在していた。忘れもしない、その子は『中村正子』と言うクラスメートだった。いじめグループ数人に取り囲まれ、わたしは彼らに突き飛ばされ、足を踏まれるなどしていた。
 その場にやって来た彼女は「あんたたち、そんな事して何が面白いの、止めなさいよ」と教室中に響き渡るほどの大声でいじめグループを一喝した。
 その言葉にしらけてしまったのか、いじめっ子たちはわたしから離れ散り散りになった。教師による暴力が日常茶飯事で許されている時代でもあったが、そこには生徒と教師による信頼関係の証もあったし、生徒から見れば教師は絶対的存在でもあったが、いじめについては教師の力を借りて解決する事は一度もなかった。
 わたしもこの自殺した少年のようにズボンを脱がされた事がある。昼休み、いじめっ子の一人から声を掛けられた。
 「神戸君、ちょっと見せたい物があるから体育館の裏に来なよ」そう言って彼はわたしを無理矢理連れて行った。
 そこにはいつものいじめっ子たちが数人待っており、数人でわたしを体育館の壁に押し付け、手足が動けないようにきつく締め付けて来た。
 そしていじめっ子のボスがわたしの半ズボンに手を掛けると、一気に足の先まで摺り下げたのである。わたしは涙を堪え、声も出さず眼を閉じ必死でその屈辱に耐えていた。
 いじめっ子数人が口を揃えて「くっせぇー、きったねぇー」と連呼…。そしてそのパンツさえもずらしたのである。
 下着を買って貰えないほどわたしの家は貧しかったので、一枚のパンツを裏返しにしたりして何日も履き続けていたのである。
 当時、いじめに会う対象の子どもは現代とは違い、明らかに見た目などの差別化があった。毎日同じ服を着、風呂にもまともに入っていなかったからわたしの身体から異臭がしていたのは事実であった。
 隣の席の女子生徒がいきなり先の尖った赤鉛筆でわたしの手を思い切り刺して来たり、フォークダンスでは手を繋いでくれなかったり、床屋に行く金がなく髪を伸ばし放題にしていれば、「女だ、女だ」と男子生徒から罵声を浴びるなど言葉のいじめも多かった。
 いじめについて、わたしは父に一度も相談した事はなかったが、ある日、顔に青あざを作って家に帰ると、それに気付いた父が「喧嘩でもしたのか?」と訊いて来た。
 「うん…」「勝ったのか?」「負けた…」いじめによる痣ではなく喧嘩によるものだと嘘を付いた。「喧嘩は先手必勝だぞ」「やられる前にやっちまえ」次の日、わたしは父の言葉を実行したのである。
 複数を相手にすれば敵わないのは分かっていたので、いじめっ子たちを一人ずつ呼び出した。最も効果的だったのは生徒全員が揃っている教室でいじめっ子の一人を床に叩きつけた事である。
 それ以来彼らはわたしに対しいじめをぴたりと止めた。わたし以外にいじめられている者がいれば、そこへ割って入りいじめを止めさせた。
 この逸話は小学校4,5年だった頃の思い出であるが、中学に入り心臓病の悪化により藤枝中学から天竜養護学校に転校してからもやはりいじめはあった。
 病気の子どもたちが大勢親元を離れ集団生活を送るという特別な環境下の中にあっても、そこには上下関係が発生するのである。
 中学1年の時だった。同じ12病棟で同部屋だったわたしより一つ年下の小学6年生だった彼は、身体がわたしより数段大きく力も強かった。
 ある日、わたしと彼と二人きりになった部屋で、彼はわたしをベッドに突き倒し上から圧し掛かって来たのである。
 力の強い彼に圧倒されわたしは身動き一つ出来ずにいた。彼は言った。「俺の子分になれ…」年上のわたしが年下のこいつの子分になどなりたくもなかった。力に負けたわたしは小さく頷くしかなかったが、このまま引き下がる訳にはどうしても行かなかった。
 子どもたちが一堂に集まる場所は食事時間、病棟の大部屋にある大食堂である。夕食の時だった。わたしは意を決して少年の座っている席に歩いて行き、「人の事をなめるんじゃねぇぞ…」と言うなり彼の頭に張り手を一発見舞ってやった。
 賑やかだった食堂が一瞬静まり返り、多くの子どもたちの視線がわたしと彼の元に注がれた。彼は何も言わず黙っていたが、その顔に驚嘆の表情がありありと浮かんでいた。そして彼は素直な小学6年生に戻ったのである。
 わたしは暴力という手段によっていじめを克服したが、痛い目に会わなければ分からない人間が多すぎる。暴力を肯定する気持ちは爪の垢ほど持ち合わせていないが、それは時と場合による。
 学校や大人が子どもを守れないのであれば、子どもはどうすればよいのだ…。全国のいじめられっ子たちよ、今こそ勇気を奮い起し立ち上がるのだ。
 自分の身は自分で守れ、行政はいじめ問題に対しあれこれ対策を立ててはいるが、一向に減らないのが現状である。
 何の罪もない子どもたちが、これ以上無責任な大人たちの犠牲になってはならない。学校はいじめ問題を必須科目として授業の中に取り入れ一週間に一度でよいから、教師も交えて徹底的に論議する必要があるだろう。

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病室。

病室


を削る

かんなの音が

今日も

病室

響いている


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シンシンのすくすく子育て日記。

パンダ

 上野が活気付いている。2011年2月、中国からレンタルされた2頭のジャイアント・パンダ『リーリー』と『シンシン』の間に待望の赤ちゃんが誕生したからである。
 東京スカイツリーの人気に押され、客足が遠のいていた上野動物園であるが、この赤ちゃんパンダの誕生で、テレビでは速報テロップが流れ、街には号外が踊った。
 待ち焦がれていた瞬間だっただけに、パンダファンのみならず、動物園関係者やそうでない人たちも一様に笑顔を浮かべた。
 ところがその一方では、パンダに全く関心を示さない石原都知事が、皮肉をたっぷり込めた毒舌を早速つぶやいた。
 「2年経ったら返さなくちゃいけない…」「センセンとカクカクと名付けたらいい…」尖閣諸島を巡る中国との問題をこの赤ちゃんパンダ誕生に被せる発言。
 石原さんらしいコメントと言えばそれまでだが、実はこの方パンダの隠れファンだと言う事を皆さんはご存知だろうか?
 パンダの話をする時、彼の眼は活き活きと輝きその表情に浮かんだ重畳たる笑みをわたしは見逃さない。石原さんはかなりの照れ屋であり、そしてまた天の邪鬼でもある。
 人が右と言っても彼は左を貫き通す、頑固一徹なところがあるから都知事が務まっている部分もあるが、彼も人の子で可愛いものは可愛いのであり、それを素直に認めないだけの事。
 パンダが中国の外交に使われる事に対し今更とやかく言う積もりもないが、パンダ外交そのものが千年の歴史によって培われて来たことは事実であり、パンダが中国の国宝であるという背景を見れば頷ける内容ではある。
 然しながら、希少動物を政治の道具にする中国のあからさまなやり方に、違和感を覚えるのはわたしだけではないだろう。
 パンダ自身の事だけを考えれば、生まれた土地で暮らす事が一番望ましいとおそらく誰もがそう思っているに違いない。
 ただ、絶滅危惧種であるジャイアント・パンダは約1000頭しかおらず、厳しい自然環境の中で彼らを絶滅させない為には人間の手で保護する必要があるのも事実であるが、パンダも含め全ての動物たちは、人間の行うビジネスの道具として扱われ、それによってわたしたちは恩恵を授かっている事を忘れてはならないだろう。
 可愛いだけでは子どもは育たない、子育ての難しさと大切さを動物の子育てを通して学ぶ事が出来る、それが動物園の良さでもある。
 赤ちゃんがオスだと言う事も判明したが、最新情報によれば母親の胸元から落ちてしまい、現在は保育器の中にいるようだ。今はとにかくこの小さな命が無事にすくすく育ってくれる事を願うばかりである。
 命の大切さを全く理解していない大津市の教育委員会には怒り心頭であるが、このいじめによる自殺の件はまたいずれ日を追って追求してみたいと思っている。

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念願の平積み。

平積み

 本を出版すると様々な反応がある。本は書店に置かれ平積みされる事がベストであり、多くの出版経験を持つ人の最高の夢ではないだろうか。
 しかしそこまでたどり着くのは容易な事ではない。まず出版社選びからスタートしなくてはならない。その前に立ちはだかるのがジャンルという問題。
 詩集の場合を考えてみると不幸としか言いようがないのである。日本は仏教の国である為、詩に対しての評価が低い、と言うより短歌や俳句に比べて歴史が非常に浅い。その為、欧米と違い詩そのものが庶民の生活の中に定着していないのである。
 一時期ブームになった事はあるが、それは学生運動が活発だった頃の話。それも大したブームではなかった。
 書店が一番嫌う本が詩集だ。それは売れないからである。書店は本を売って成り立っているから売れそうな本しか置かない。
 詩集はあるが片隅の目立たない所にポツンと小さく設けてある程度。書店のレベルを考えた時、如何に大型書店と言えども詩集の置いてない書店は二流と言えるだろう。

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モスラからの伝言(伊藤エミ追悼)。

モスラ

 先ず初めに、名司会者でありマルチタレントだった『小野ヤスシ』さん、そして「ちい散歩」でお馴染の個性派俳優『地井武男』さん(「北の国から」で中畑役の彼が大好きだった)このお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 本来であれば、個々の記事を綴りたいところではあるが、自分としては最も思い入れのある伊藤エミさん(ザ・ピーナツ)の訃報について触れてみたいと思う。
 1960年代の歌謡界に於いて、その時代の寵児となった『ザ・ピーナツ』。「恋のバカンス」「恋のフーガ」など数多くのヒット曲を世に送り出した双子デュオである。
 その姉である『伊藤エミ』さん(71歳)が他界した。死因などは明らかにされていないが、末期がんだったと思われる。
 わたしは、ザ・ピーナツの歌う『モスラの歌』『インファントの娘』が大好きで、子どもの頃はよく口ずさんでいたし、今でもフルコーラスを歌う事が出来る。
 怪獣ブームの先駆けとなった東宝映画の代表作『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』『モスラ』『キングコング対ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』などは、当時の子どもたちに無限の夢と空想を与え、娯楽としての怪獣映画が定着した時代でもあった。
 小学生時代のわたしはいじめられっ子で、当時の様子を思い出したくもないほどであるが、そんなわたしに付いたあだ名が『怪獣博士』だった。
 普段は教室の隅で出来るだけ目立たず小さくなっていたが、怪獣の話題になると「怪獣の事なら神戸君に聞け」と言われ、その時だけわたしはクラスの人気者になり、ヒーロー気分を味わう事が出来た。
 怪獣の名前や特徴を全て暗記しており、架空のものだけでなく恐竜などについても詳しく、学術名やその特徴までも記憶していたからである。
 漫画を描く事も好きで得意なゴジラやモスラなど机の上や教科書、ノートに至るまで描けるスペースのある所は全て怪獣の絵で埋め尽くされていた。
 父が府中刑務所に服役中だった時、「ザ・ピーナツが慰問に来た」と教えてくれたりしたので、「刑務所って大スターに会えるんだ、いいなぁ」などと思ったものである。
 伊藤エミさんは、1975年に沢田研二さんと結婚しそれを機に芸能界を引退。それ以後ザ・ピーナツの姿をTVなどで見掛ける事はなくなった。
 結婚の数年後には長男を授かるなど円満な結婚生活を送っていると思われたが、沢田と女優の田中裕子の間で不倫愛が発覚、1987年に協議離婚しているが、最後まで沢田姓を貫いたのは子どもの事が背景にあったからであろう。
 ザ・ピーナツでもう一つ忘れてならないのが1961年~1972年にかけて放映されたバラエティ番組の『シャボン玉ホリデー』である。
 ハナ肇とクレイジーキャッツをメインに、コント、歌、トークなどでお茶の間の人気を独占、この番組から誕生した歌手の代表が『布施明』や『伊東ゆかり』ではないだろうか。
 番組のエンディングでザ・ピーナツが歌う『スターダスト』の音色に酔いしれながら、ハナ肇の毒舌じみたコントに肘鉄を食らわす2人の姿を見るのも楽しみだった。
 きっと今頃は天国でハナ肇に肘鉄を一発お見舞いしているのではないだろうか…。心よりご冥福をお祈り致します(合掌)。

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プロフィール

俊樹

Author:俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開800篇を超える作品が出来上がっている。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作を現在執筆中。
父をモデルとした小説「網走番外地」執筆開始。
東京都在住。
血液型O型/星座/山羊座
七草粥の日に産まれる。
2013年より大衆文藝雑誌ムジカにて創作活動中。
詩集・天国の地図 電子書籍化 
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