ビーチサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

髪を切った。

髪


長く伸びた
に絡みつくから
を切った
ううん…
美容院には
行かなかったわ
あなたが綺麗だねと
褒めてくれたこの
他の人に切らせたくはなかった
だから自分の手で
挟みを入れたの
あなたの
思い出の分だけ伸びた
せめてこの手で
断ち切りたかったから


関連記事

美容師がハサミを置く時。

ハサミ

 わたしが散髪によく行っていた理髪店が店内改装だった為、数十年振りに美容院へ行った。20代の頃は美容院で髪をカットしてもらっていたが、この歳になって美容院へ行くのもと思ったが、良さそうな理髪店が思い浮かばず、立ち寄ったのが瑞江駅ビル内にある美容院だった。
 担当は「望月君」と言ってまだ30そこそこの若者だった。
 「5月に新聞社のインタビューを受けるから恰好よくカットしてよ」などと言う会話を交えながら話が弾んだ。
 美容院も理髪店も髪を切る事に違いはない。だが、髪をカットする時の、鋏の入れ方に違いがあるのをご存知だろうか?
 理髪店は髪を直線で切るが、美容院は斜めにカットする。そして美容院は髭を剃らない。 何故なら法律で禁じられているからだ。
 刃物を肌に触れて良いのは床屋だけ。その後数回に渡り望月君にカットしてもらい、つい先日彼が「鋏を置くことにしました」と言った。
 「うん?何のこと」「足を洗うんです」「何でまた急に?」「もうこの道を極めたので…」何を生意気なと思ったが、彼なりの決断。
 そこにわたしが口を挟む必要はない。カリスマ美容師などと言う言葉が一時ブームになった。髪を切り美しく整えることはもちろんであるが、美容師の仕事はそれで終わらない。人の心の中も美しくカットしてやって初めて一人前の美容師、理容師と言えるのではないだろうか。 

関連記事

シリアに散った日本人の命。

ジャーナリスト

 日本がメダリストたちの凱旋パレードに熱狂している頃、遥か彼方、最果ての地シリアで一人の女性が命を絶った。
 美人女性ジャーナリストの山本美香さんである。内戦が続くシリア北部アレッポで取材活動中に銃撃戦に巻き込まれ、ほぼ即死状態だったと言う。
 一人の日本人が亡くなったところで、熱狂する50万人が集まった銀座パレードの大歓声で、彼女の悲鳴は掻き消され、誰一人その地に視線を向ける事はない。
 くどい様だが、オリンピックが「平和の祭典」ならば、シリアの内戦を食い止めてみろと言いたい。スポーツに酔いしれるだけがオリンピックの役目なのか?そのメダルは平和のシンボルだろう。
 オリンピック開催中にも、シリアでは多くの子どもや女性たちが戦争に巻き込まれ犠牲になっている。戦場ジャーナリストや戦場カメラマンたちは、命を賭けて世界中の紛争地帯に足を踏み入れ、戦争の悲惨さや愚かさをわたしたちに伝える「平和のメッセンジャー」でもあるのだ。
 シリアでは既に27人ものジャーナリストが命を落としており、山本さんが銃撃戦に巻き込まれた当時の様子を、パートナーであり事実上の夫でもある佐藤和孝氏は、その状況を沈痛な面持ちで静かに語っていた。
 政府軍、反政府勢力、そしてイスラム過激派が活動する現地では3方面から攻撃を受ける可能性が非常に高い。
 銃撃事件発生時は、政府軍の戦闘機が上空を飛び交い空爆の真っ最中だったとも言う。シリア政府が自国の住民を無差別に攻撃すると言う、テロと何ら変わらない想像を遥かに超える権力と言う暴力がシリアでは日々平然と行われているのだ。
 異常なまでの執念で反政府勢力を弾圧する国家、それがわたしたちと同じ人間なのである。山本美香さんは幼い頃に新聞記者であった父親の背中を見て育って来た事から、報道の道へと自分の人生を賭けたのであろう。
 平和に対する情熱を人一倍持ち、紛争を通して平和の尊さを世界中に発信し続けた彼女の願いは届いているのだろうか。
 報道の自由を擁護する民間団体の「国境なき記者団」は今回の山本さんの死に伴い、ジャーナリストを攻撃しないよう訴えてはいるものの、争いの当事者たちには自分たち以外は全て敵なのである。
 個人の立場でボランティア活動に勤しんで来た「高遠菜穂子」さんを思い出してしまったが、皆さんの記憶からはすっかり消えている事だろう。
 イラクで過激派の人質に合い、からくも無事に解放されたものの、そのイラクに再び戻りたいと発言したため、世論や当時総理大臣であった小泉純一郎氏からも批判を浴びた。
 彼女はその後、PTSDに悩まされ続け眠れない日々を送っているという。わたしと同じ文芸社から「愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―」が出版されいるので、興味のある方は読んでみるとよい。
 それにしても日本人の「平和ボケ」も此処まで来たかとつくづく思う。銀座のパレードには50万人もの人々が集まるのに、原発再稼働反対デモにはせいぜい10万人。
 国の将来を左右する最も重要と思われる課題に対して、国民自身がこの程度の関心しか示さないのであれば、敗戦のどん底から不屈の精神で立ち上がった国民の意志は、きっと何処かに置き忘れてしまったのではないだろうか。

関連記事

恋の糸電話。

糸電話


切れてしまったら
もう二度と聞こえない
糸電話
あなたとわたしを繋ぐ
か細いけれどもしなやかに
あなたのが届くまで
わたしはをそばだてる
微かに聞こえるあなたの
わたしを好きだと
言ってくれるまで
が途切れぬよう
願いを込めて待ってます


関連記事

メダルが涙に濡れる時。

メダル

 7月27日に開幕し、17日間に渡って各種競技が行われたロンドンオリンピックが先日、13日に幕を降ろした。
 参加国は204、約1万1千人のアスリートたちが参加し、26競技302種目に渡り熱い熱戦が連日行われ、時差の関係から日本では深夜に競技が行われる事が多く、テレビに釘付けになり寝不足に悩まされた人たちも多かったのではないだろか。
 日本は、金メダル7個を含む合計38個のメダルを獲得し史上最多となり、日本国民に輝かしいプレゼントを齎してくれた。
 これ程までに日本選手が活躍出来たのは、おそらく昨年に日本を襲った未曾有の大震災と、それに続き起こった福島第一原発事故で大ダメージを受け、その灼熱地獄の中ら這い上がる日本人の不屈の精神力と最後まで諦めない一種の執念が多くのメダルを呼びこんだのではないだろうか。
 世界に日本の底力を見せ付けた思いであり、なでしこジャパンは宿敵アメリカに惜しくも敗れたものの、内容的には一歩も劣らない金メダルにも匹敵するほどの銀メダルだったと思う。
 男子サッカーも快進撃を続けたが善戦及ばず、3位決定戦で韓国に敗れメダル獲得には至らなかったが、未来の男子サッカーに希望を与えた事は確かである。
 それにしても、オリンピックを政治の舞台に利用してしまう韓国には呆れ果ててしまったが、尖閣諸島や竹島などの領土問題が燻る中、これが韓国のやり方なのかと、余りにも下品なやり方を見て、如何にも韓国らしいと苦笑してしまった。
 そして、わたしが最も注目して見ていたのが、女子卓球。わたし自身この重い病気の身でありながら唯一得意なスポーツが卓球だからである。
 福原愛選手のファンでもあり、彼女が幼い頃から応援して来ており、一度でいいから冥土の土産に福原選手と一戦交えたいとさえ思っている。
 シングルスは残念な結果であったが、女子団体ではなんと初の銀メダルに輝いた。これもまたなでしこJAPAN同様に金メダルに匹敵するほどの価値があると思った。
 4年に一度開催されるオリンピックを幾度となく見て来て思うのだが、メダルを手に出来る選手はほんの一握りの選手たちだけである。
 その殆どの選手たちはメダルに縁のない人たちだ。マスコミがスポットを当てるのはメダリストたちだけであり、その影には多くのアスリートたちの流した涙が溢れている事を忘れてはならない。
 そしてまた、オリンピックが『平和の祭典』『スポーツの祭典』と呼ばれて久しいが、昨今のオリンピック裏事情を見ると、『金満オリンピック』と思えてならないのである。もちろん、オリンピックが齎す経済効果は莫大なものであるが、それを目当てに各国が開催地として名乗り出てオリンピック開催候補地がオリンピック招致として金塗れになるのを見てしまうと、この何処が平和の祭典だろうと疑問を抱いてしまうのである。
 メダルを獲って当たり前のオリンピック、それは本当の意味でスポーツの祭典なのだろうか?それが各選手たちにプレッシャーとなって圧し掛かりその結果、実力の半分も出せないまま惨敗してしまうと言うのはよくある事で、今回では男子柔道がそれを如実に表しているのではないだろうか。
 国民もマスコミも「メダル・メダル」と騒ぎ過ぎる。『オリンピックは参加することに意義がある』と言う有名な言葉は既に過去の遺物となり、メダルに執着するあまりメダルの為のオリンピックになり果ててしまったのである。
 メダルはあくまでも目標や結果であり、スポーツ本来の精神を忘れてはいないだろうか。平和の祭典が真実ならば、世界一貧しい国と呼ばれている『バングラディシュ』でボランティアオリンピックでも開催してみればよい。

関連記事

百恋歌(作詞に挑戦)。


 恋愛をテーマにした曲は数多くあるが、その中でわたしが最も気に入っている歌が、高杉さと美が切々と歌う『百恋歌』である。
 彼女は、映画『西遊記』のイメージソングに使われたシングル『旅人』で歌手デビュー。2007年に日本有線大賞・新人賞、日本レコード大賞・新人賞、ベストヒット歌謡祭2007新人アーティスト賞などを受賞し、新人歌手としては出来過ぎるほどの輝かしいデビューを果たした。
 『旅人』はオリコンチャート10位、『百恋歌』は20位とヒットしているので、この曲を聴いた事がある人多いのではないだろうか。
 2枚目のシングルとなった『百恋歌』は四季折々の自然を背景にして、切ない恋心を胸の奥に秘めながら、哀愁たっぷりに歌い上げる彼女の艶のある美声に人の心を魅了するメロディが重なり合って、恋に落ちている人ならば瞳に涙が溢れてくるのではないだろうか。
 わたしも恋愛をテーマにした詩は得意分野であり、『詩集・天国の地図』に収められている中にも恋愛を率直に表現した作品が幾つかある。
 『雨』『過ち』『偽りの蒼い空』『優しさ』などはその代表である。天国の地図には4人の女性が登場するが、わたしは女性と一年以上付き合った試しがない。
 このように書いてしまうと、わたしが如何にもプレイボーイ(遊び人)のように思われてしまうが、決してそうではない。
 天国の地図はわたしが20歳から28歳の間に書いた62篇の作品からなる、わたし自身の青春そのものである。
 20歳と言えば多感な年頃でもあり、一目惚れするタイプのわたしは恋多き時期でもあった。一旦好きになると相手にのめり込む性格で、恋の渦に巻き込まれ自分自身を見失ってしまう危うい部分も持っていた。
 意外と相手の女性の方が大人であり冷静さを保っていたりする。おそらくこれはわたし自身が母親の愛情を知らずに育ってしまったため、相手の女性に母親像を重ねてしまった結果ではないかと思われる。
 男女関係の難しさを自分なりに説いている作品が『男と女』である。恋の数が多い分もちろん失恋も多かった。
 記事タイトルにある『作詞に挑戦』と言うのは、詩は書けても詞が書けないのはどういう事かと、自分に問いただし、この分野も自分の持てる言葉をぶつけてみようと思ったからである。
 この『百恋歌』を何度も聴いているうちに、これは自分の持つ詩世界にも通じていると思われた。作詞が出来あがった時にはそれにメロディも付けてみたいと思っている。幸いわたしはギターが弾けるので、それほど難しい事ではないが他の方が作曲をしてくれても構わない。
 そして、それを歌ってくれる人物が現れれば尚一層うれしく思うし、CD化されれば作詞家としてもデビュー出来るのではと、大それた野望すら抱いてしまう。
 自分の命がある限り、人は様々な事に挑戦してみるべきだと思う。失敗や成功などの結果は関係なく、それをやり遂げる事に意義があると思う。
 この『百恋歌』のPVも実によく出来ており、曲のエンディングでは高杉さと美が、水の中を泳ぐシーンが出て来る。それはまさに『ビーチサイドの人魚姫』だと勝手に感動してしまった。

関連記事

今もそこにある戦争(終戦記念日を迎えて)。

終戦

 1945年(昭和20年)1月9日、神戸信夫(父13歳)は、自宅近くにある蓮正寺の境内で日向ぼっこを楽しんでいた。
 戦時中の正月がどのようなものであったか定かではないが、食料の配給下では満足に腹を充たす事など皆無ではなかったかと思う。
 藤枝では有数の資産家だった神戸家にとって見れば、戦争の影響による衣食住に困窮する事は全く無かったが、家族二人が南方へと出兵し帰らぬ人となっている。この二人の戦死は後に神戸家衰退の大きな要因となった。
 日当たりの良い境内に胡坐をかき、高級もののタバコに火を点け一点の陰りもない正月の空を仰いでいた。この頃から不良少年だった信夫は町内のガキ大将で有名だった。
 朝の静寂を切り裂く空襲警報が町中に鳴り響き、青い空を恐怖で震えさせる。神戸家はお稲荷さんを祭っており、その裏側に家族全員が入れる防空壕があった。
 藤枝市(旧藤枝町)の片田舎にも米軍爆撃機B-29が飛来したのである。東から西に飛来した1機のB-29は5発の爆弾を投下し去って行ったが、その目的は単に機体を軽くするためだったという。
  この空爆で藤枝町役場の職員十数名が犠牲となった。一発の爆弾が落ちた場所は、藤枝市役所の直ぐ脇であり、そこは戦後埋め尽くされることもなく戦争の傷痕として残されたが、いつしか湧き水によって鯉が数十匹泳ぎ、夏にはここで水浴びを楽しんだり、釣りをする子どもたちの憩いの場へと変わっていった。
  子どもの頃、父からこのような戦争の話をよく聞かされたが、当時(昭和30年代)の子どもたちの間で流行っていたのは『戦争ごっこ』。ただし、太平洋戦争 ではなく『日露戦争』『日清戦争』が遊びのモチーフになっていた。負けた戦争より、勝った戦争で遊べと大人から言われていたのかも知れない。
  そしてやはり子ども時代によく口ずさんだ歌が『軍歌』だった。『ラバウル小唄』『麦と兵隊』などは強く印象に残っている。そしてもう一曲が『酋長の娘』、こちらは軍歌ではないと思われるが、当時のわたしはこの曲も軍歌だと認識していた。詞の内容がそのように思えたのである。
―わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人―
 この歌は『酋長』の部分が好ましい表現ではないとされ放送禁止歌になっており、現在歌われることはない。
 今年67回目の終戦を迎えたが、この戦争に直接間接を問わず多くの人間が関わって来た。人によっては、いまだ戦争を終わらせることが出来ず、悩み苦しんでいる人たちも多い。わたしたち現代人の生活の中にも戦争の影を垣間見ることがある。
  子どもたちがプールや風呂場で戯れ遊ぶ時に使う『水鉄砲』や冬になれば厚手のコートを羽織って外出するが、これは軍服がモチーフとなって今に至っている。 人間同士が殺し合う戦争は絶対に避けるべきであるが、それ以外にも戦争と呼べるものは多くあり、いまだに『万歳』を叫ぶ日本人がわたしには理解不可能。
 戦争からわたしたちは一体何を学んで来たのか、本当の戦争の姿は何処にあるのか、もう一度歴史を振り返りつつ、後世に戦争の有り様を残し伝えて行かなくてはならない。

関連記事

恋しぐれ。

恋しぐれ


しぐれが
あなたの声を
掻き消していく
初夏に出逢った
わたしたち
まだ ほんの少しの
時間だけれど
ネットの向こうに
あなたの笑顔
でも 片思い
わたしはひとり
しぐれ
のように儚い
短い命を咲かせるの


関連記事

その頃17歳の少年は吉田拓郎に憧れていた。

拓郎

 古い写真を整理していたら、火事で焼けてしまったと思われていた懐かしい写真が見つかった。1973年の夏、おそらく7、8月頃のものだろう。
 壁に貼ってある写真を見れば吉田拓郎だと、わたしと同年代の人は直ぐ気付くはずである。吉田拓郎に付いては過去にも話をした事があるが、デビュー前は新宿の飲み屋で用心棒のアルバイトをしていた。
 そんな暴れ者の拓郎も今は肺がんに罹り、闘病生活を続けながらもコンサート活動を続けている。わたしは8歳でビートルズに出会い大きな影響を受け、それから洋楽ばかりを聴くようになったが、しかし吉田拓郎との出会いがわたしにギターを与えてくれたのである。NHKのラジオで『若いこだま』と言う音楽番組があり、真空管で出来た中古のラジオから『今日までそして明日から』が流れてきた。
 ビートルズの『ツイストアンドシャウト』を聴いて以来の衝撃だった。
 世の中にこんな歌があったのか…。ギターとハーモニカだけで延々と、それはこれまで全く聴いた事のない未知の世界で、新鮮なメッセージソングだった。
 この曲は素九鬼子原作の小説『旅の重さ』を映画化した作品の中で主題歌にもなっており、主演の高橋洋子が実にフレッシュだったし、秋吉久美子も出演していた。
 ちょうど時代はフォークブームということもあり、レコード店に毎日のように通い始めた。アルバム『元気です』を買い、散々聴きこんだ。当時歌謡界にはアイドルと呼ばれる人気女性歌手が登場し始めていた。
 天地真理、山口百恵、桜田淳子、アグネスチャン、森昌子、南沙織、浅田美代子、麻丘めぐみなど。この部屋の隣には麻丘めぐみのポスターが貼ってある。歌謡曲など興味はなかったのだが、麻丘めぐみだけは違った。
 彼女のデビュー曲『芽生え』がとても気に入ってしまったのである。そして2枚目のシングル『悲しみよこんにちは』これも好きであったが、それ以上歌謡曲は購入しなかった。
 初めてのギターは安い1万2千円のモーリスギターを、静岡市では一番大きなレコード店の『すみや』で購入。安いとは言っても当時の給料は3,4万だったから大きな買い物だった。
 自分も拓郎や陽水のように、フォーク歌手になりたいと思っていた。仕事が終われば会社が用意してくれた共同アパートで練習に励んだものである。
 最初に覚えた曲は何だっただろ?思い出せないが『青春の歌』か『イメージの詩』辺りだろう。誰にでも訪れる青春だが、嬉しい思い出ばかりではなく、苦く切ない失恋や自分自身に行き詰まり、挫折感や疎外感を味わうことの方が多かった。
 孤独なんていうほど大それたものではなく、まだまだ未熟でほろ苦い涙の味だった。現代は死に急ぐ若者が多すぎる。
 自殺などいつでも出来る。青春を謳歌しているか疑問を問いただせ、汗を流して若さを表現しろ。今でしか出来ないことが山ほどあることに気付け、そして苦悶しつつ自分を磨くのだ。

関連記事

くちびる哀歌。

くちびる


くちびるを重ね合わせると
あなたの
が見えて来た
あなたのくちびる
いつもの
わたしの味でなく
知らない人の
味だった
嫉妬の色を隠すため
今日もわたしは
口紅着けて
あなたのを塗りつぶす
わたしの味が戻るまで
何度も 何度も
塗り返す


関連記事

核兵器はもう要らない。

広島

 人類最大の過ちが広島を一瞬にして焼き払った原子爆弾が投下されてから、今年で67年という歳月が流れた。
 実際に原爆の犠牲者となった人たちは大量の放射能に晒されながら、現在でも生存しておられる方々も年々少なくなって来ているのが現状である。
 あの日雲一つない快晴の空に銀色のB29が悪魔を連れて飛来した。広島市の朝はいつもと変わらず平常通りの通勤風景や一日の始まりに、忙しい朝を迎えていた。
 夏休みを満喫している子どもたちは、プールや水遊びを計画していたに違いない。そしてその三日後、長崎にもう一発の原爆投下。
 降り注ぐ死の灰は人々の遺伝子まで破壊して行く。大量の放射能は容赦なく二重被爆の惨劇を生み出した。
 当時アメリカは核爆弾を三つ所持しており、一つはニューメキシコの砂漠地帯で実験済みだった。残った二つを何としても地上で実験したかったアメリカ。
 キノコ雲が高い青空に烈火の如く咲いた模様を眺め、トルーマン大統領は悪魔の雄たけびを上げたのである。
 「我々の科学と歴史的瞬間が勝利し大成功したのだ」暗黒の紫雲下でどんな地獄絵図が起こっているかなど、大統領の頭には思い付きもしなかったのだろう。
 それから数年後、各国で相次ぐ核実験が行われ続け、核兵器開発に膨大な予算をつぎ込む事となる。自国の武力を誇示するアメリカや、核保有国の言い訳は戦争の抑止力などと言う、曖昧な定義で唯一の被爆国である日本の叫び声はかき消されて行く。
 核を持ちたがる国は後を絶たず、イラン、北朝鮮など戦争を起こしかねない導火線を持った国にも及んでいる。
 戦争が生み出す悲劇、それはあらゆる兵器を使用する人間の愚かさと、戦争によってもたらされる利益と人の命を天秤にかけ武器商人と取引するテロ国家など、その温床は武器を作り続ける国同士の終わりなき悪夢の連鎖。
 もう核兵器も武器も要らない、必要のない国作り。武器を捨ててこそ真実の勇気が生まれ、地球上に真の平和が訪れるのではないだろうか。長崎が被爆地ラストである事を願うばかりである。
 東電が招いた福島原発事故によって、途方もない放射性物質が海、山、川などに飛び散り広島同様の苦しみが今、この日本を襲っている。
 痛みがなければよいのか、見えなければ平気でいられるのか、汚染された空気を吸いながらそれでも地上の緑は活力を失わない。然しそれは人類の眼が盲目だからその様に見えるだけなのである。犯した過ちは二度と取り戻す事は出来ない、哀れな人間たちのエゴイズムの為に…。

関連記事

恋花火。

恋花火


愛しいあなたに向けて
今宵 わたしは
束の間 恋花火
夜空を色とりどりの
絵具で染めて
わたしから儚い命の
メッセージが見えますか
やがて消えゆく
運命ならば
せめて わたしの
束の間 恋花火
わたしの想いで
今宵 あなたを
焦がします


関連記事

短編小説『冬の蛍』。

冬の蛍

 重い瞼を開けると、靄のかかった朝が見えてきた。ベッドの傍らには父が椅子に座って居眠りをしている。
 午前5時を少し回っていたが、冬の外は星が置き去りにされたまま慌てるように光っていた。カーテンの隙間から漸く覗いた朝焼けは、大きな欠伸と共にやってくる。
 6畳ほどの個室にはベッドが2つ並んでおり、1つは次の客を待ちわびるように白いマットだけが寂しげだった。
 「コンコン」とドアをノックする音が聞こえる。体温計を片手に看護婦が声を掛けて来た。
 「満生君どう、昨夜は眠れたかな?」
 柔らかく温かな手が満生の身体に触れた。血の気を失った手や顔は、薄暗い部屋の空気で、より一層蒼白さを増していた。
 ベッドの横には、昨夜の残りをぶら下げた点滴瓶が、そのまま宙に浮いている。
 「看護婦さん、今日も点滴するの?」
 「そうだね、満生君まだ常食無理でしょう…」
 3日前に救急車で夜遅くに運ばれた満生は、干からびたミイラのようだったし、看護婦の言葉は当然だった。
 「あぁあ、また一日縛られたままか…」
 「もう少しだから、頑張れ」
 トイレにさえ自由に行けない身体を、看護婦が優しい微笑みでなだめてくれた。看護婦が出て行った後になって、漸く目覚めた父の顔は二日酔いで少し疲れているようだった。
 「満生、よく眠れたか?」
 「僕は大丈夫、父ちゃんこそ眠れたの?」
 昨夜の父はかなり泥酔状態で、足元も覚束ず部屋に来るなり、空いたベッドに沈んでいた。半分食べ残した朝食を、赤ら顔の父がきれいに平らげる。二日酔いのくせによく食べられるものだと、感心しながら見詰めていた。
病院は朝から忙しなく、検査の連続だった。
 「看護婦さん、今日は何の検査するの?」
 「今日はね、心電図かな」
 車椅子を押しながら、若い看護婦が言った。
 「ふーん、それって痛い?」
 「ううん、痛くなんかないよ」
 それを聞いて少し安心し、車椅子の居心地を楽しんでいた。検査を終え、部屋に戻ると父の姿はなく、開けたままの窓から冬の冷たい空気が色を変えながら流れ込んでいた。
 この3日間、様々な検査を受けて来たが、正式な病名は知らされていなかった。入院から1ヶ月が過ぎた頃、東京から1人の医者がやって来た。「榊原仟」、東京女子医大の心臓外科医だった。
 その外科医がどんな医者なのか満生は知らなかったし、医者が誰であろうと関係なく、病気を治してくれるのであれば誰でもよかった。
 数日後、心臓外科医が下した診断に誰もが息を呑んだ。
 「本人には知らせないでおきましょう」
 主治医と看護婦たちの前で、満生の病気について説明がなされていた。
―拡張型心筋症― 原因不明の不治の病だった。現代の医学では手の施しようがなく、運を天に任せるしかなかった…。
 窓辺から覗く冬の夜空を見上げながら満生が呟いた。
 「父ちゃん、見てほら、まるで蛍だね」
 夏になると必ず捕まえてきてくれた、父のプレゼント。源氏蛍を想い出していた。
 「満生、蛍捕まえて来ようか」
 「え?父ちゃん、冬に蛍なんかいる訳ないよ」
 父の馬鹿げた話しに耳を貸さず、満生は漫画を読み始めていた。
 その夜はとても冷え切って、この冬一番の寒さだった。看護婦が深夜の巡回を終える。ナースセンターには、心電図モニターの光だけが狂った心臓のリズムを刻んでいる。
 病気が悪化しているせいか、満生にとっては寝苦しい夜が続いていた。
 満生が枕元の異変に気付いたのは、深い夜が重く佇み始めた時であった。
 恐るおそる瞼を開けてみると、枕元に小さな虫籠が置いてあり、その中で数匹の蛍が淡い緑色を放っていた。
 満生は夢だと思った。
 「えっ?まさか…」
 何度も眼を擦り確認してみたが、確かにそれは紛れもなく蛍だった。姿は見えなくとも、その光輝く存在は明らかに夏の風物詩。
 蛍の光を追いながら見上げると父がそこに佇んでおり、微笑みと陽炎のような閃光が父を包み込んでいた。
 「誰?父ちゃんなの?」
 幻でも見るように満生が呟く。
 「満生、お別れだ。父ちゃんもう行かなくちゃならん…」
 「やっぱり父ちゃんなんだね、何処へ行くの…」
 満生の振り絞るような声が病室に木霊した。
 「満生に最後のプレゼントだ、その蛍は永遠に輝き続ける…」
 「父ちゃん…」
 虫籠の蛍が一際輝きを増し、部屋中が緑色の帯となって満生を包み始めた。その煌めきの中で父の姿だけが薄れて行くと、満生の顔が徐々に赤味を帯びて行った…。
 早朝の検温が始まり、看護婦の声で眼が覚めた。
 「あれ?看護婦さん父ちゃん知らない?」
 「お父さん?そうか、満生君にはまだ知らされてなかったんだね」
 「昨夜はいたけど…」
 不思議そうに満生が看護婦に尋ねた。
 「お父さんね、満生君が入院した3日前に交通事故で…」
 「………」
 「あら、珍しいこの時季に蛍?」
 ベッドの傍らに数匹の蛍の死骸が転がっていた。数日後、ナースセンターは満生の心臓が蘇えった話で持ちきりだった。
 「それにしても不思議よね」
 「蛍もすごいけど、満生君の心臓が治ったなんて」
 冬の夜空を彩る蛍が、満生に優しく微笑んでいた。

関連記事
プロフィール

俊樹

Author:俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開800篇を超える作品が出来上がっている。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作を現在執筆中。
父をモデルとした小説「網走番外地」執筆開始。
東京都在住。
血液型O型/星座/山羊座
七草粥の日に産まれる。
2013年より大衆文藝雑誌ムジカにて創作活動中。
詩集・天国の地図 電子書籍化 
ダウンロード販売中!

ムジカ04号絶賛発売中!
お求めは… 池袋リブロ、青山リブロ、吉祥寺リブロ、新宿紀伊國屋、池袋ジュンク堂、渋谷丸善・ジュンク堂、吉祥寺ジュンク堂、神田三省堂、神田書泉グランデ、横浜有隣堂東口店、浦和パルコ五階紀伊國屋、他各書店、大衆文藝ムジカ編集部
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
心と身体
7位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
病気・症状
2位
アクセスランキングを見る>>
FC2カウンター
応援よろしくお願いします。
ブログ村は相変わらずポイントが全く反映されない為、中止致します。
最新記事
最新コメント
ブロとも一覧
カテゴリ
リンク
このブログをリンクに追加する
最新トラックバック
おきてがみ
カレンダー
07 | 2012/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
月別アーカイブ
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ