ビーチサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

雨の神田川(Love of the eternity)。

雨の神田川


あなたと二人なら
どこまでも濡れて行きましょう
二人を遮るを捨て
互いの背中は見せっこなし
前だけ見つめて行きましょう
優しい神田川
流れ続けてどこまでも
手と手を取り合いいつまでも
同じみて眠りましょう
流れを止めない神田川
二人も止まらず行きましょう
どこまでもいつまでも
変わらぬを抱きましょう


関連記事

ブータンより愛を込めて。

ブータン

 ブータン国王が来日してから早いもので既に一年近くが経過しようとしている。巷では選挙の話題で持ち切りであるが、景気回復の兆しは一向に見えて来ない。
 さて、美形で話題のブータン国王を見た時、誰かに似ていると思った人は少なくない筈。そう、あの若かりし頃のアントニオ猪木に似ているのである。ブータン国王の顎がもう少し長ければ瓜二つだと苦笑してしまった。
 まあ、そんな事はユーモアと理解して頂いて、国王の来日により『国民総幸福量』なる言葉が注目され始めた。
 国民の97%が幸福だと感じているブータンと他国を比較するのは余りにも強引過ぎるし、幸福の尺度もその国々によって異なって来る。
 ブータンが提唱している幸福とは、経済的・物質的豊かさを目指すものではなく、精神的な豊かさを指し示すものである。
 ブータンに於ける宗教観、気質、慣習、文化などは、隣人との関係を重んじる深い信頼関係を築くといった人間関係重視が背景にあるように思える。
 さて、気になる日本の幸福度であるが、既に皆さんもご存じかと思うが65%だそうである。最も幸福度の高かった都道府県は福井県の70%らしい。因みに最も低かったのは大阪だったと記憶しているが、橋下さんが頑張ってくれればそこから脱出する事も可能であるだろう。
 但し、この幸福の尺度を日本全体に反映してみると、年間自殺者3万人という自殺大国日本がとても幸福だとは到底思えないのである。
 生活保護費は3兆円を超え、失業者は増大の一途を辿るばかりであり、大学生の就職内定率は依然として低い水準のままである。
 更に追い打ちを掛けているのが弱者を無視した年金問題であり、公務員の特権『職域加算』を残したままの制度では国民の理解を得られる訳がない。
 政府の一方的な原発事故の収束宣言は、苦悩する福島住民を置き去りにするものであり、甚だ遺憾の極みである。
 幸福論を云々言う前にこれら数多くの問題解決や、自殺者を一人でも多く減らす眼に見える努力をして頂きたいものである。
 寒風吹き荒ぶ高層ビル群の合間を縫って、リクルートスーツに身を包む大学生の後ろ姿に悲哀を感じる今日この頃であった。

関連記事

手編みのマフラー(小6女児の鎮魂歌)。

マフラー


お月さま お月さま
わたしとおんなじ一人の
お月さま
わたしマフラー編んでるの
今年の冬まで
間に合うように
母さん お風邪を引かぬよう
一生懸命編んでるの
お月さま お月さま
見ててもよいけど
完成するまで内緒だよ
だあれに言ってもいけません
お月さま お月さま
学校行くより楽しいの
お家でひとり
マフラー編んでる方が楽しいの
でもでも わたし
完成まえに
自分の首に巻いちゃった
細い細い首に巻いちゃった
そしたら手編みのマフラーが
わたしをお空に連れてった
遠い遠い空に連れてった
お月さま お月さま
わたし 今
あなたの隣にいるんです
続きを読む
関連記事

女優が舞台を降りる時(追悼:森光子さん)。

森光子

 人生を一つの舞台として捉えれば、わたしたちもまた自分の人生を演じている訳であるが、何れそのステージから降りなくてはならない時期が来る。
 それが「死」をもって人生の完結とするかは人によって捉え方は様々であるが、自分がどのような舞台を踏んで来たかによって故人が人々に与える影響は大きく、死後も尚その舞台があたかも魂を得たかのように存在しているのは間違いないだろう。
 先日10日に肺炎による心不全でこの世を去った女優の森光子さん(92)は、激動の昭和と平成の時代を70年に渡り生き抜いた偉大なる女優の一人である。
 彼女の芸歴やこれまでの活躍などをこのページだけで語り尽くせるものではないが、わたし個人としてみた女優「森光子」を語ってみたいと思う。
 先に亡くなった大滝秀治さんが、「名脇役」と知られているように、彼女もまた脇役からのスタートだったようである。
 70年という長さを省みれば、日本に於ける戦争の歴史をある程度紐解く必要があるだろう。1937年に勃発した日中戦争の影響もある中、当時の映画製作が激減した事などにより、歌手を志望し1941年に上京。
 戦火の拡大が本土を超えて中国大陸など各地に飛び火して行く中、藤山一郎、田端義夫、淡谷のり子らと同じステージに立ち、戦地慰問なども経験している。
 わたしはもちろん年代的に言っても彼女の歌を一度も聴いてはいないが、戦後は進駐軍などの施設でジャズやアメリカン歌謡などを歌っていたようである。
 この様に若い頃からの様々な経験や体験によって現在の「森光子」が誕生した訳であるが、彼女の女優デビューは決して楽観的なものではなかった。
 彼女の名を最もポピュラーにしたのが言わずと知れた「時間ですよ」である。わたしと同期の年代の方たちであれば皆そう思う筈。
 わたしの見た「時間ですよ」は、1970~1973年に渡りTBS系列で放映されたものであり、この人気ドラマの中で女将さん役が大当たりし一躍彼女の名がお茶の間を賑わすようになり、一般視聴者にまで知れ渡る事となった。
 「おかみさん時間ですよ」で始まるこの愉快なドラマからは多くの人気タレントや歌手が誕生しており、わたしの青春時代の一ページを飾ってくれている。
 堺正章を始め、悠木千帆(樹木希林)、天地真理、そしてわたしが最も好きだったタレントの浅田美代子が「赤い風船」でデビューしたのもこの番組だったと記憶している。
 国民的人気番組の主人公として森光子はお茶の間に欠かせない存在となったが、やはり本業はブラウン管の中ではなく、舞台女優と言うことだったのだろう。
 それは「放浪記」との出会いによって確立されたものに成長して行く事となるが、彼女がエンターティナーと呼ばれる所以は舞台だけでなく映画、テレビドラマ、バラエティショーなど数多くの場面で培われて行ったその芸風にあるのだとわたしは思う。
 病床にあっても尚、舞台に立つ事を諦めず、生涯現役を貫いた役者魂は多くのファンや後輩たちの心を熱く揺さぶるものであった。
 時を同じくして亡くなった政治評論家の三宅久之さんや、そしてまた治療の甲斐も虚しく亡くなった桑名正博さんのお二方の分も含めて心よりご冥福をお祈り致します。

関連記事

ひと恋列車。(再掲 特別編)

ひと恋


ちぎれるほどに右手を振って
ありったけの笑顔
あなたに見せた
ありがとう さようなら
そう つぶやきながら
窓越しに揺れる あなたは陽炎
また逢えるよね
逢ってくれるよね
心の中に不安が募る
二人の距離
列車とともに遠ざかる
一緒に連れてって
そう言えないわたしに
線路が霞んで見えた
人影まばらのプラットホーム
佇むわたしは
ひと恋列車


初掲載
2012/10/23 00:27
続きを読む
関連記事

ハリケーン「オバマ」。

オバマ

 米大統領選の真っ最中に、ハリケーン「サンディ」が米東部に上陸。ニューヨークでは広範囲に渡り浸水被害に見舞われた。
 このハリケーンに伴いオバマ大統領は重点地域での遊説を急遽中止し、対策に全力を注ぎつつ被害に合った地域を訪れ民衆に向かって励ましの言葉を送った。
 結果的にオバマVSロムニーの大統領選は、オバマ大統領の圧勝と言う形で幕を下ろし、オバマ氏が引き続き第45代アメリカ合衆国大統領に就任する事となる。
 オバマ氏が自然の猛威を味方に付けたかどうかは知らないが、ブッシュ前大統領の時の初動対応の緩慢さに民衆の怒りを買い、政権の危機管理の甘さを露呈しているだけに、過去の例が少なくとも影響していると言う背景が見てとれる。
 アメリカはその歴史が物語るように選挙の国であり、国民が政権の中心に存在し国を動かしているのは事実である。
 ジョン・レノンの歌う「パワー・トゥ・ザ・ピープル」が人々の根底に流れているからでもあるが、アメリカの選挙戦を見る度に思うのは、日本との大きな違いである。
 我が国の場合、選挙は国民のものではなく、政治家たちの為に存在しているようなもの。薄れ行く政治への関心度を見るにつけ、国民の意識が低ければ低い程に優れた政治家が存在しないのは確かなのである。
 優秀な政治家を創り育て上げるのは、わたしたち国民の責務ではないのだろうか?日本と言う国をこよなく愛し、更に発展しより良い国作りを望んでいるのはわたしたち一人ひとりの筈である。
 もちろん、アメリカや他の国がその手本となる訳ではないし、それぞれの国で抱えている問題も様々であるが、根底に根付いている想いは同じ平和と調和である。
 今回のハリケーン対策で、オバマ氏がパフォーマンスとしてそれを利用したとの噂も聞こえて来るが、それは天が彼に与えた「抜き打ちテスト」のようなもの。
 その行動に有権者たちが合格点を与えた結果が再選へと導いたとも言える。「災い転じて福となす」ではないが、瞬時の状況判断がそれ以後の結果に大きな影響を及ぼす事は間違いないであろう。

関連記事

正しい豚の育て方 byモモコ。

モモコ

 ペットを飼う時は、一応その動物の特性などを調べる為に、飼い方の本を購入して知識を得る。捨て猫や捨て犬を拾った場合でも、やはり知恵を得る為に育て方の勉強をする。
 今から4年ほど前の事であるが皆さんは覚えているだろうか?ペットショップで子豚の「モモコ」が0円で売られていた為、男性が引き取った話である。
 買い手の付かない動物を哀れと思ったかは知らないが、自宅に連れて帰る途中、公園に立ち寄ったところ「モモコ」が物凄い勢いで草を食べ始めた。
 その姿に圧倒され、男性は餌代に不安を抱き、その場に捨てて帰ってしまったという。男性は大阪府警に動物愛護法違反容疑で書類送検されたが…。
 わたしは15歳の時、養護学校を卒業した後に、直ぐに就職はせず清水にある療養型訓練施設に一年半入所した。
 その施設は病気を抱えた老人たちばかりが社会復帰を願いつつ、手に職を付けながら病気の治療もするという、市の福祉施設だった。
 中にはどう見ても復帰は無理と思われる老人も何人かいたし、まるで姥捨て山に思えたものである。その施設で農業の実習があり、約3ヶ月ほど豚の世話をした事がある。
 最初は嫌で仕方がなかった。正直言って豚は臭いし汚いと言う先入観があったからだ。長靴とゴム手袋に身を固め、鼻先を摘みながらの世話が始まった。
 もちろん、初めての体験なので先輩の老人からノウハウを聞いていたが、当時のわたしは反抗期であった為、人の言う事に逆らってばかりいた。親がいないため、反抗の相手は常に先生や施設の職員だった。
 豚の世話をする時一番気をつけることは「餌」だった。豚の食欲は非常に旺盛だが、その丸々太った身体は人間よりもデリケート。
 人間の食べ残した残飯を大きな鍋に移し、じっくりと火で煮込む。これが非常に力仕事で時間がかかり大変であった。
 大きなしゃもじで丸い風呂釜ほどの鍋の中に、たっぷりと入った残飯をどろどろになるまで掻き回して行く。
 そして出来上がった餌は人間が食べたものだから栄養満点である。少し冷ましてから与えるのだが、待ち焦がれていたように奇声?を発して勢いよく食べ始める2匹の豚。
 ホースで水を掛け、身体をたわしで擦りマッサージしてやるととても喜ぶ。豚が綺麗好きだと知ったのはこの時だった。
 毎日このように豚と触れ合っていると、不思議なことに友情のようなものが芽生える。世話をしてくれる者への気持ちが伝わってくるし、こちらも愛情が湧いてくる。
そして実習が終わり少し経った頃、朝、豚子屋を見ると口から血を吐いて倒れている豚の姿があった。死因は食中毒だった。
 家畜として育てられる豚、牛、鶏など彼らは人間の為に生きている。自分の一生を自分で決められない動物たちである。役に立たない人間よりも彼らの方がよっぽど優れていると思ったりしたものである。

関連記事

本田美奈子に捧げる鎮魂歌。

美奈子


マイク片手に
ベッドの上で
発声練習していたね
自分の寿命を知っていた?
だからあんな嘘ついて
強がり笑顔作ったの
白い血液赤くなれ
元気ですよと言いながら
月の裏側散歩する
そのまま兎と戯れて
二度と帰らぬ人ととなる
歌っておくれよもう一度
殺意のバカンス
腰振って


関連記事

病院食は父親の味(父の命日を偲んで)。

病院食

 わたしが初めて入院を経験したのは、小学6年の時だった。心臓病の発見は小学4年の時であったから、約2年間は医者の目に触れることはなかった。
 そこには、劣悪な家庭環境が背景にあり、学校から専門医の診察を受けるよう注意を促されていたにも関わらず、父親はみて見ぬ振りを決め込んでいたのである。
 労働意欲の全くない父親は、明るい内から酒を飲み顔が夕日に染まる頃には、赤い顔を更に赤くして酔いどれていた。
 金も健康保険証もない状況下では、どんなに病状が進行しても医者に掛かる余裕などなかったのである。
 そんな環境では、まともな食生活が送れる筈もなく、一日三食の日は年に数えるほどしかなかった。栄養不足のわたしの体は、病気も手伝って見る見るうちにやせ細って行った。
 「ウー、ウーッ…」
 けたたましいサイレンを響かせながら、夜の闇を走る救急車の中に、顔を血だらけにしたわたしと酒臭い父の姿があった。
 藤枝では一番大きく、設備の整った「藤枝市立志太総合病院」に向かって白い車は走った。到着した救急車を待ち受けていたのは、数人の医療スタッフとストレッチャーだった。
 「何処へ連れて行くのだろう…」
 不安な表情を浮かべるわたしに父が上から語りかけた。
 「とし坊、もう大丈夫だ…」
 酔いが少し覚めた父の口調は優しく温かだった。子どもにとって親の一言がどれだけ大切で救われることか。
 わたしは涙を溜めながら「うん」と頷いた。小児科病棟の個室に運び込まれると、その後から慌ただしく看護婦たちが出入りした。
 扉には面会謝絶の札が掛かり、病状の重さを物語っていた。点滴がその夜から始まり、三週間近く続いた。
 個室にいる間は父が時々様子を見に来たが、泊まって行ったのは入院初日の夜だけだった。完全看護とは言え、まだ11歳の子どもである。1人で個室にいるのは淋し過ぎた。ただ、その淋しさを紛らわしてくれたのが朝昼晩の病院食であった。
 一日三回、しかも毎回メニューが替わる食事は、子どもの世界を一変させるほど効果があったし、家にいたらこんな風に、毎日ご馳走は食べられない。育ち盛りの子どもにとっては、空腹ほど残酷で耐え難いものはなかった。
 その日の夕食は、刺身と肉じゃがにワカメの味噌汁だった。食事中に父が紅い顔をしてやって来た。病棟に酒の臭いが広がるのはとても恥ずかしかった。ガツガツと餌にありついた犬のように食べるわたしを見て、父が言った。
 「みっともないから全部食べずに、少しは残せ…」
 何の苦労もなく子ども時代を過ごした父は人一倍プライドだけは高かった。父の馬鹿げた言葉だったが、そんな言葉に耳を貸すこともなく、わたしは綺麗に夕食を平らげた。
そして味噌汁を一気に飲み干した。その後で父が言った。
 「どうだ、父ちゃんが作った味噌汁とどっちが美味い?」
 「そりゃあ父ちゃんの方が美味いよ」
 「父ちゃんの味噌汁は世界一だもん」
 「そうかー、退院したら毎日作ってやるからな」
 嘘でも嬉しい父の言葉が、病院食の器の中で優しくいつまでも木霊していた。

関連記事

ハロウィンの夜が更けて行く。

ハロウィン

 ハロウィンを分かり易く説明すれば、日本でいうお盆。宗教が変わっても、霊に対する慈しみは変わらない。日本の場合は玄関に砂をまいておくと、帰って来たご先祖さまたちの足跡が残ると言う。まあこれはわたしの住んでいた藤枝の風習だったが。
 仏壇のある家は竹を二本用意して飾りを付け、茄子やきゅうりに割り箸を刺して、動物に例える。そしておはぎやら果物、飲み物を供え精霊たちが道に迷わないように迎え火を焚く。
 日本は仏教だから見た目はハロウィンと違い地味である。わたしはこのハロウィンが来る度に1992年のアメリカで起きた「日本人留学生射殺事件」を思い出す。あの時の言葉を今でも忘れる事が出来ない。
 そう「フリーズ」である。今ではパソコン用語にもなり小学生まで知っている英語だが、それを「プリーズ」と聞き間違え、銃で撃たれて死亡した日本人留学生の服部剛丈さんの事。
 この事件に寄り、アメリカの「銃社会」の実情が浮き彫りになった。住めば都というが、その土地の風習に慣れるまではかなりの時間を要する。
 たった一言が取り返しのつかぬ事態を招く危険が潜んでいる為、不用意な言葉は慎まなくてはならないだろう。
 他所の土地に行くのであれば、先ずはその土地の習慣をよく学ぶべきである。水が変われば人の考え方も変わる。自分の常識が通用しないことを前もって知っていれば、不慮の事故は防げるのである。


関連記事
プロフィール

俊樹

Author:俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開800篇を超える作品が出来上がっている。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作を現在執筆中。
父をモデルとした小説「網走番外地」執筆開始。
東京都在住。
血液型O型/星座/山羊座
七草粥の日に産まれる。
2013年より大衆文藝雑誌ムジカにて創作活動中。
詩集・天国の地図 電子書籍化 
ダウンロード販売中!

ムジカ04号絶賛発売中!
お求めは… 池袋リブロ、青山リブロ、吉祥寺リブロ、新宿紀伊國屋、池袋ジュンク堂、渋谷丸善・ジュンク堂、吉祥寺ジュンク堂、神田三省堂、神田書泉グランデ、横浜有隣堂東口店、浦和パルコ五階紀伊國屋、他各書店、大衆文藝ムジカ編集部
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
心と身体
7位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
病気・症状
2位
アクセスランキングを見る>>
FC2カウンター
応援よろしくお願いします。
ブログ村は相変わらずポイントが全く反映されない為、中止致します。
最新記事
最新コメント
ブロとも一覧
カテゴリ
リンク
このブログをリンクに追加する
最新トラックバック
おきてがみ
カレンダー
10 | 2012/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
月別アーカイブ
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ