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good-bye Tara 

タラ

 脳梗塞で救急搬送された時、愛猫である「タラ」の事を考える余裕など全くなかった。病室に移され病気の経過報告などを聞き、九死に一生を得た安堵感で緊張の連続だった表情に漸く笑みが戻った時、初めて家に残して来た「タラ」の事が脳裏を過った。
 今回だけでなく、過去に数回入院の事態に陥った時、知り合いに預かって貰った事もあったが、そう何度も頼めるものではない事を薄々感じ取ってはいた。心不全になり掛けていた時、猫がいる事を理由に入院を自ら断った事もあった。
 「猫と自分の身体をとどちらが大切ですか?」と、主治医からお叱りの言葉を頂いた事もあったが、「自分の身体が一番です」と即答する事は出来なかった。
 わたしにとってみれば「タラ」は家族も同然である。それはおしなべて猫や犬や鳥などの動物と一緒に暮らしている者であれば納得頂ける筈である。
 とは言うものの、脳梗塞と言う一刻一秒を争う緊急事態が発生した時は、理屈抜きで我が身の事が最優先される。二日三日家を留守にしたところで、インコなどと違い猫はそう簡単にくたばるものではないだろう。
 猫と二人暮らしだった状況で、いざと言う時に頼れる者が近くに居てくれると心強いものである。幸いわたしには東洋大学に通う娘がいたので、落ち着いた頃に娘にメールをし、「タラ」の面倒を見てくれるよう依頼した。
 たまたま娘が通う大学は都営三田線の白山にあったので、学校の帰りにわたしの住む西台(同じ沿線)に寄って餌と水とトイレの世話をして貰う事になった。最初の数日はそれでよかったのであるが、娘は「タラ」を自分のアパートに連れて行く事を思い付き実行しようとしたのであるが、ペット用のバッグに「タラ」を入れて運ぼうとした時、流石に住み慣れた家を出る事に不安を抱いた「タラ」が余りにも鳴いて訴えたため、娘はそれを断念し、途方に暮れながら「連れて行けない…どうしよう」と母親に涙ながらに電話で訴えたそうである。
 タラがわたしと住むようになったのはわたしが離婚した5年前の事。本来であればタラも前妻や子どもたちと一緒に新潟へ行く手筈だったのだが、どうしても猫を飼えない理由があったため、わたしが引き取る事になった次第である。
 現在は元妻のもとでヌクヌクと何不自由なく愛情を惜しげもなく受けて幸せに暮らしているようだ。然し、退院して自宅に戻ると、いる筈のタラがいない事を痛切に実感した。鳴き声を聞くことも出来ず、抱きしめて頬ずりする事ももう出来ないのである。僅か一匹の猫がいなくなっただけで寂寞とした思いに駆られ、それに慣れるまで相当時間が必要だったのは確かであった。
 タラがいなくなったからと言って、もうペットの話題に触れないと言う訳ではない。約8年間のタラとの思い出は数多くあり、これからも折をみて記事にして行きたいと思う次第である。

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天使のマイク(鎮魂歌)追記有り。 

ZARD

天使が
わたしのマイクを
奪ったの
わたしの居場所は
ステージで
白いベッドの上じゃない
それを知ってて
天使が
マイクを奪ったの
だから
わたしは
もう 歌えない
返してください
わたしのマイク
温もり伝わる
命のマイクを
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最後のラブレター。 

ラブレター


これがあなたに送る
わたしからの
最後ラブレター
遠くに立つあなたの
わたしは真っ直ぐ見られない
泳ぐ季節に埋もれて
外はで溢れているのに
あなたはわたしを
もう二度と
見つめてはくれない
だから わたしは
最後ラブレター
あなたにそっと送ります


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音楽が時空を超える時。 


 五月晴れの空が足音を立てて近づきつつあった4月も半ば過ぎの4月21日。わたしは池袋駅北口から徒歩10分程度の所にあるライブハウス(RED ZONE)へと向かっていた。
 その日は前日の小春日和とは打って変わり、季節が2ヶ月逆戻りしたような冷たい北風がビルの谷間を行き交い、街ゆく人々を震え上がらせていた。
 冬物の服は既に箪笥の奥へと仕舞い込んでしまったから、春物を何枚か重ね着して風邪を引かぬよう用意万端整えてそのライブ会場へと急いだ。
 「林利樹と愉快な仲間たち」と銘打ったそのライブ情報を知ったのは、「下町の台所ごはん」管理人のマムチ(TAKA)さんのブログであった。彼女とはブログを通して何度かコメントのやり取りをしている内に、彼女が「ピンクサファイア」の元ギタリストだと言う事を知り、益々興味が湧いて来た事もあり是非そのライブを観に行きたいと思った次第である。
 ピンクサファイアと言えば、1989~1990年に渡りバンドブームの火付け役となった人気番組「イカ天(イカすバンド天国)」からデビューした4人組の女性ロックバンドである。
 このオーデション番組はわたしも大好きで、深夜番組にも関わらず毎週欠かさず見ており寝不足に悩まされていた事を懐かしく思い出す。
 マムチさんの話によると、彼女自身はその当時ピンクサファイアのメンバーではなく、違うバンドで出演しており、その後デビューが決定していたPSにスカウトされギタリストとして参加したようである。
 彼女は野村義男率いるバンド「FUNK ROCKET」に在籍していた事もあり、ギタリストとしての実力は言うまでもなく折り紙付きである。
 彼女の一声で始まったこのライブであるが、リハサール等は殆どしておらずまさにぶっつけ本番の「日本版ウッドストック」と言ったら褒め過ぎだろうか(´∀`*)。
 ライブは前半後半の2部構成になっており、1ステージに出演する筈だったバンドがアクシデントにより出演出来なくなり急遽駆け付けたバンドが「RE:VIBE」であった。
 予定で行けば18:30分開場、開演19:00であったのだが、ライブハウスに駆け付けたファンが余りにも多く、遠くはアメリカからこのライブを観に来たと言う熱烈なファンもおり、日本全国にPSのファンがどれだけ多く存在しているかが頷ける。
 開演から約30分ほど遅れてライブは始まった。RE:VIBEのVo「江田智樹」さんを聴いた時、どことなくB'zのヴォーカルと重ね合わせてしまったのはわたしだけだっただろうか?
 そして彼らの2曲目でわたしは全身に鳥肌が立つのを覚えた。それもその筈でステッペン・ウルフの大ヒット曲「ワイルドで行こう」を披露してくれたからである。この曲は歌詞を丸暗記していた事もあり、あれから数十年の時を経てもしっかりと記憶の底に留めていた。
 そしてあの映画のワンシーンが走馬灯のように脳裏を掠めて行った。1969年に公開され、アメリカン・ニューシネマの代表作となった「イージー・ライダー」である。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがチョッパーハンドルのハレーに跨り、荒野を疾走して行くあのシーンを今でも忘れない。そして余りにも衝撃的な予想外の結末に心が震えたものである。
 この曲の歌詞内容に「ヘヴィ・メタル・サンダー」という部分が出てくるが、実はこれが切っ掛けとなり「ヘヴィメタル」と言う音楽ジャンルが誕生したと言われている。
 ピンクサファイアのメンバー4人は全員揃ってはいたものの、4人全員がステージに上がる事はなかったが、TAKAさんの熱い想いとラブコールがメンバーとそしてバンドの仲間たちを一堂に集結させ、ファンの心を再び鷲掴みした事は言うまでもない。
 2ステージで姿を見せたTAKAさん、そして一夜だけのコンビ復活となったPSのヴォーカル「AYA」さん。二人はどんな思いでこのステージに立ったのだろうか。それはおそらく不可能と思われた長年の夢を再び実現させたと言う万感の思いで一杯だったに違いない。
 音楽は時として時空を飛び越える…まさにこの言葉がぴったり来るライブだった。披露された曲はオリジナルやカバーも含めて10曲ほどだったと思うが、ラストにレッド・ツェッペリンのロックン・ロールなどを持って来るところなどは、まさにファンへのサービスを重視した彼女と彼らの思いやりと優しさに満ちた熱く心揺さぶられるライブだったとわたしは思う。
 その中でわたしが取り上げた曲が、always gonna love youであるが、わたし自身この曲には思い入れがあり、まさかこの会場で聴けるとは思っておらず、イントロが流れた時、やはり全身鳥肌で感動しきりであった。
 偉大なロックギタリストの一人であったゲイリー・ムーア。僅か58歳と言う若さでこの世を去ってしまった。80年代を代表する天才的ギタリストに敬意を表してこの曲を選曲した次第である。
 ライブに参加してくれたバンドの皆さん、そしてTAKAさん素敵なライブの一夜をありがとう。参加メンバーは次の通りです。
 TAKA・マムチ(G)・AYA(Vo) 、岩佐友晴(Vo)ex RABBIT、江田智樹(Vo)RE:VIBE、芝越康裕(B) ex RABBIT、村上貴洋(B) RE:VIBE、林利樹(Dr) ex RABBIT、橋爪ノリユキ(G) G.D.FLICKERS、サポート滝上修幸(G) RE:VIBE。
 PS:マムチさんのレシピ本が主婦の友社より出版される事が決定しております。出版された折にはまたお知らせしたいと思います。

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母の日を封印した少年。 

母の日

僕があなたを
追いかけているわけではなく
あなたが
僕を追いかけてくる
振り切っても
払いのけても
あなたの見えない影が
この僕にまとわりつく
母さん
僕はもう
疲れちまったよ
追いかけっこは
もう止めようよ
ねえ母さん
あなたはいつも
空から僕を
見つめるだけで
この僕に
触れることさえ
しないのに
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CCUから愛を込めて。 

退院

 今年三度目の救急搬送。救急車を呼ぶ事にもう躊躇いはなかった。1月5日脳梗塞、2月5日心不全、そして4月28日またもや心不全。奇しくもこの日は25年前に僧帽弁置換術を施行した日でもあった。
 GWのさ中でもあり、到着した三井記念病院の救急センターはいつもより運び込まれる患者が少なく閑散としていた。通常であれば2,3人の若い研修医が待ち受けている筈だったが、その研修医たちはは18時で早々に切り上げてしまったようだ。
 急患の連絡を聞き駆け付けた当直の医師がわたしの顔を見るなり話掛けて来た。「あら、神戸さんお久しぶりね、わたしの事覚えてる?」「覚えてますよー、忘れる筈がないです」とお互いに笑顔で挨拶代わりの会話を交わした。
 4年前になるだろうか…、やはり同じく救急外来に心不全で駆け込んだ時の担当医がこのY女医であった。いつものように左腕にラインを取りながら彼女は呟いた。
「研修医たちは?」看護師の一人が応える「18時で帰りましたよ」「あっそう…GWだからね」全て一人で対応しなければならない事に苛立ちを見せながら、右手首の動脈から採血を始める。
 救急隊員から症状の報告を聞きつつ、手馴れた手付きで電子カルテの内容をチェックしていた。血液検査の結果が届くと、今の状態を詳しく話してくれた。「ワーファリンが過剰に効きすぎて、いつ何処から出血してもおかしくないです…」この言葉の意味を瞬時にわたしは重く受け止めた。脳裏を過ぎったのは「脳内出血」だった。
 本来であれば前回と同様にバルーンを尿道に挿入するところであるが、管が尿道を傷付けて出血する可能性が高い事から今回は見合わせる事となったが、わたしとしてはその辛さを知っていたのでほっと胸をなで下ろした。
 然し、今回このタイミングでの緊急入院も脳梗塞の時と同様に、何処か神懸かり的な部分を含んでいるような気がしてならない。つまり、担当医が言った「どこから出血してもおかしくない状態」と言うのは、脳内出血のリスクがかなり高まっていた事を示唆してるからだ。
 19歳の時、静岡市立病院で弁形成術を受けたが、その時に不思議な話を聞いて驚いた事がある。わたしの父はその一年前に亡くなっていたのだが、わたしが手術のため入院した時に、親戚の伯母の枕元に父が現れ、伯母にこう告げたと言う「俊樹が心臓の手術で入院しているから見舞いに行ってやってくれ…」。それは一週間続いたと言う。
 伯母は余りにもしつこいので父に向かってこう言った「あんまりしつこいと行ってやらないよ」。次の日から父の姿は見えなくなったと言う。
 わたしのところには一度も現れる事はなかった父であるが、この広い空の何処かで今でも見守ってくれているような気がしてならない。
 CCUに二日、循環器専門病棟に1日、そして今回は4年前にお世話になった17階の一般病棟へ。迎えてくれた看護師さんたち、循環器病棟でもそうであったが笑顔で話し掛けて来てくれた。
「神戸さん以前にも入院してますよね…」「はい、また戻って来ました」新人ナース以外は殆ど顔見知りなので会話もスムーズである。
 さて、医療にある程度詳しい人であれば、この胸部レントゲン写真を見てその異常な心臓を容易く見抜く事が出来ると思う。右側が5月9日、左側が28日の入院時に撮影したもの。心臓が大きく肥大している事が良くお分かり頂けるだろうか。
「神戸さんの心臓は至る所が悪くて血液の逆流も起こりかなり疲弊しています」「今回は利尿剤を増やさず食事療法と新たな薬(メインテート)の投与でここまで回復しました」。確かにそうだった。外来ではワーファリンの効果を下げる為に「ビタミンK」を点滴したほどであるが、前回の時のように「ワソラン」「ラシックス」と言った心不全治療に於ける定番の薬は一切使用しなかった。
 ヘパリンの点滴はワーファリンの効果が安定するまで続いたが、それも早めに終わった。入院二日目から食事が出たのであるが、その内容に戸惑ってしまった。それもその筈でいつもの心臓食ではなく「腎不全食」だったからである。
 心臓食よりも更に制限の厳しい腎不全食は、カロリー1600、塩分6グラム、それに加えて蛋白制限がある。病院で出された食事は蛋白40グラム。
 中学1年の時に食べた腎臓食以来であり、最初は何かの間違いかと思ったほどであるが、心臓と腎臓は密接な関係にあり、長い期間に渡り利尿剤のラシックスを服用して来た為に腎臓にかなり負担を掛けてしまっている。
 腎臓は一度悪くなってしまうともう後戻り出来ないほどデリケートな臓器である。心臓は以外とタフであり人間の臓器の中では最も丈夫に出来ている。腎臓をこれ異常悪化させない為に必要な事は負担をなるべく減らす事を心がけるしかないが、それは食事内容に大きく左右されるため、重要なポイントである。
 病気の為にわたしはこれまで多くのものを諦めて来た。然しその諦めた分それ以上のものを手に入れる事が出来たのも事実である。健康は手に入らないが健康である事の素晴らしさを知る事が出来たし、病気を通して様々な人たちと出会い触れ合う事も出来た。
 心臓病になっていなければ詩集を出版する事もなかったし、詩を書く事もしていなかっただろう。失ったものは確かに途方もなく大きいけれども、わたしは希望の光を常に絶やさず前を向いて歩く事を病気から教えて貰った気がしている。
 常に感謝の気持ちを忘れず直向きに生きて行こうと思っている。皆さん、これからもこのわたしをよろしくお願い致します。

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