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うっ血肝と肝硬変。 

CT画像

 このCT画像は昨年11月に撮影したもの。慢性腎不全があるため、造影剤は使わなかった。CT検査を受けるに至った経緯は、肝機能に関する血液検査の数値が異常に高かったためである。但し、数値の異常は10年以上前から続いており、特に身体的症状もなかったことから経過観察の範囲であった。
 因みに、ALP=695(106~322)、γ-GTP261(13~64)であり、数値だけで判断すれば肝障害、胆道疾患の疑いを持って当然である。そして放射線科の医師が下した所見は、肝辺縁鈍化、左葉萎縮、脾腫、両腎随質高濃度、石灰化沈着。診断=肝硬変脾腫
 12月14日の循環器・腎臓内科の外来で主治医から「肝硬変」と聞かされた時、私は返す言葉を失っていた。父親が肝硬変で亡くなっていることから、この病気は遺伝する?と主治医に詰め寄った。父の場合はアルコールによる肝硬変だったから、それは当て嵌らないにしても、肝臓の弱い体質は遺伝しているのだろうと思った。
 小学5年生の時、身体中が怠くてたまらず、一晩中おばあちゃんに足をさすってもらった記憶がある。白目は黄色く、身体中に黄疸が出ていた。おそらく私の肝臓はその頃から悪かったのかも知れない。
 循環器の主治医は「様子を見ましょう」のひと言だったが、腎臓内科の医師が、消化器内科の専門医に掛かる手配を早速してくれた。そして年が明け1月6日、初めて消化器内科の扉を叩いた。担当医は三井記念病院の副院長で消化器では名医として知られている田川一海医師。「うんうん、なるほど…」と呟きながら、CT画像を丹念に覗き込む。
 どんな答えが返ってくるのか私は怖くて仕方なかった。心臓疾患に関して言えば『慣れ』が生じているため『恐怖』と言う感情は時の隙間に吸い込まれた過去の遺物となっているが、新たな病気に対しては心臓と同類に受け取る訳にはいかなかった。
 「うん、肝硬変じゃないね…」「ええっ?違うんですか??」。私は天と地がひっくり返ったかのように驚き、もう一度「肝硬変じゃないんですね?」と念を押すように質問を投げかけた。田川医師は、紙に図を描いて詳しく説明をし始めたが、私の頭は肝硬変ではなかったことに安堵し、説明はうわの空だった。
 「超音波検査してみましょう、いつがいいかな?」「では来週の月曜日でお願いします」。そして1月16日、再び来院。超音波検査の結果、うっ血肝、脾腫、胆嚢腺筋症(RA洞=ロキタンスキー・アショフ洞)である事が判明した。
 肝臓と脾臓がかなり腫れて肥大しており、更には胆嚢に袋状の構造をした部屋(憩室)が出来ていることが新たに発見された。然しそれは形成奇形であり、おそらく生れ付きのものと思われる。腫瘍でもなく炎症でもないことから治療の必要性はないようだ。
 うっ血肝と脾腫に関しては慢性心不全を抱えているため、十分な血液が臓器に行き渡らず、障害を生じている状態との診断結果だった。要するに心不全を悪化させない事が最優先事項であり、現時点で肝臓の薬『ウルソ』を使う必要性はなし。
 ALPとγGTPの数値が異常に高い原因について、大量の薬を服用しているためではと尋ねてみたが納得のいく回答は得られなかった。何れにせよ、肝硬変の疑いが晴れたため、病院の帰り道が温かい春の陽射しを受けて希望に光る舗道に見え、これでまた一つ寿命が延びたような気がして足取りも軽く帰路に着いた。そして良い医師に巡り会えたことに感謝。

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娘のカレーは母親ゆずり? 

カレーライス

 昨年12月上旬の事、娘が約1週間ほど私の所に滞在する機会があった。子どもと一緒に数日を過ごすのは離婚して以来7年振りとなるため、若干緊張したがやはり嬉しいものである。
 私の部屋は狭く、シングルベッドが置いてあるので、誰かが泊まりに来ても寝るスペースを確保するのが難しい。狭いながらも楽しい我が家(古過ぎて知らないか)ではないが、それでも収納スペースは意外と広く、2階がロフトになっているためそこに就寝してもらう事にした。
 私が12月を意外と元気に乗り切ることが出来たのは、やはり愛猫タラの時と同じで、最愛の娘と同じ屋根の下で過ごせたことが大きな要因となっているのは言うまでもない。離婚を二度も経験しているので偉そうなことは言えないのだが、家族に恵まれなかった子ども時代を振り返ると、如何に家族の大切さや必要性が身に染みて分かるのである。
 親にとって子どもは自分の分身だから、娘や息子の姿を通して自分自身を見詰め直すことが出来る。父親として自分は十分過ぎるほどの愛情を子どもに注いで来ただろうか?子どもたちは親の意外な部分を鮮明に覚えていたりするもので、「え!そんなことあった?」などと言う会話も少なくない。
 「今日の夕飯はカレーを作るからこれ買って来て」そう言って渡された紙切れに、ニンジン・パプリカ・玉ねぎ・キノコ・鶏むね肉・茄子・牛乳の文字が無造作に書かれてあった。「パプリカって何?」「ピーマンみたいな野菜で赤とか黄色の」「ジャガイモは?」「私、ジャガイモ嫌いだから」こんな会話をした後に近くのスーパー『アコレ』まで買い出しに出掛けた。
 娘が作ってくれる料理を食べるのは初めてだったので、「母親の味に似ているだろう」と思っていたが、それは全く見当外れで、食材の段階で既に母親のそれとは異なっていた。狭いキッチンにブツブツ文句を言いつつも、手際よく野菜の皮を剥きサクサクと包丁を入れて行く。私は娘の後ろでその様子を感心しながら見詰めていた。
 業務用の大きな鍋にカットした野菜などを入れ、油で炒める。立ち上る白い湯気の中に家族の温もりが見える気がした。水を少し加えた後に牛乳を500㏄入れる。「私、牛乳をたっぷり入れたクリーミーなカレーが好きだから」「ふーん、そうなんだ…」。それはまさしく母親のものでなく娘オリジナルのチキンカレーであった。
 気の利いた食器があればもう少し美味しく見えるのだが、男の一人暮らしだから、100均で買った安っぽい食器しかない。娘と向かい合わせに座り、小さなテーブルに並んだカレーを見て食事は一人より二人、二人より三人…、そうやって家族で囲んで食べるのが何よりの幸せだとつくづく思った。
 甘口のカレーが、娘の優しさを代弁しているかのように口の中一杯に拡がり、身体中が娘とそして家族の味に充たされて行くようだった。

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野に咲く花のように。 

野に咲く花



野に咲く名もないのように
に吹かれ に打たれ
凍てつくの日にも
土の温もりを友として
けなげに咲くことを諦めない
そんなのような存在になりたい

野に咲く名もないのように
人生という大地に根を張り
揺るぎない意志と情熱を持ち
うろたえることもなく
一心に咲き続ける
そんなのような存在でありたい


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翼を拡げ、新たな年にチャレンジ! 

翼を拡げ

A Happy New Year 2017

 時計が午前0時に差し掛かろうとしていた。「ゆく年くる年」を見ながら除夜の鐘に耳を傾ける。その鐘の響きで凡ての煩悩が消える訳ではないが、心地良い音色に変わりはなかった。2016年の想いが鐘の音とともに溢れ出して来る。
 「今年こそは入院しないぞ!」と誓った元日の陽射しは眩しく、希望の光の如くに輝いて見えた。そしてその目標は現実となり、今こうして時を跨いで新年を迎える事が出来た。「やれば出来るじゃなか…」と呟き、達成した安堵感に包まれている。
 病院外来での検査データを見る限り、決して良くなっている訳ではないが、良くなろうとする前向きな姿勢が大切なのである。
 多くの善良な人たちに見守られ、時には励まされながら着実に目標に向かって歩を進めて来た。酷い不整脈に見舞われ心が音を立てて折れてしまった事もあったが、愛猫タラの意外な登場で救われたりと浮いたり沈んだりしながらも、常に忘れなかったのは「諦めない」の意地にも似た心境だった。
 諦めてしまった方が楽だろう…なんて決して思わぬふてぶてしさは、途方もなく長い闘病生活の中で培われて来た闘志と言えるのかも知れない。
 治る見込みが失われても与えられた「生」の中で最善を尽くすことが生きる事に大きな意味を与えてくれる。この先、何年生きられるだろうなんてネガティブな発想は捨てて、「100歳まで生き延びてやる」くらいの意気込みで日々闊歩して行こう。
 今年の目標は敢えて決める積りはないが、酉年に因んで(由来に関係なく)翼を拡げ大空に羽ばたく鳥になり、あらゆる意味に於いてチャレンジの年にしたいと思う。
 皆様に幸福の翼が舞い降りる事を願いつつ、昨年同様に本年も私とこのブログをよろしくお願い致します。

2017年1月1日 ベッド上にて執筆。
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