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ビーチサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集 天国の地図(レヴュー)。



詩集・天国の地図(文芸社から頂いた書評一部抜粋)。

*作者が20歳から28歳までの間に綴られた、全62作品からなる詩集である。「あとがき」によれば、作者が詩に興味を持ったのは20歳の時だという。そして、最初に手にした詩集は『伊藤整詩集』と『高見順の死の淵より』の2冊だったとも記されている。
作者は幼いころ「心臓弁膜症」に罹患し、最初に手術を受けた時のことを回想して、『手術台に上がれば』を書いたとのことである。それをきっかけに、いつの間にか62作品の詩が出来上がっていたらしい。そして、心臓弁膜症に起因するうつ病を患い、現在は回復の途上にあると記されている。ここに本作品群の最大の特質があると言えるだろう。
「うつ病」を克服し、社会復帰を目指す作者の個人史が、その内面の必然性によって詩文の形に表出した、痛切ながら鮮やかな「青春物語」なのである。
*「記念すべき最初の詩」と作者自身が言う『手術台に上がれば』は、純粋な孤独感を表現した作品と言えるだろう。社会的な関係によって成立する作者の日常世界が、手術という出来事によって断ち切られ、それによって自覚された意識の反復が、言語世界として抽象化されている。
「けたたましい車の騒音が/私の耳をつんざく/ああ――/今日もまた彼等は/あの騒がしいラッシュアワーの中を/仕事に出掛けて行く/愚かな独り言を呟いて/私は又眼を閉じた」―― 「私」は「彼等」とは異なる世界に疎隔されている。かつては自分も所属し、ほとんど意識することもなかった日常世界、それが今は決定的に遠いものとなり、 もはやそこに自分の居場所はない。断念と諦念、その後に訪れた孤絶感の淵に作者は重く佇んでおり、本作品はそれを見事に描き切っているのである。

*『偽りの蒼い空』や『不安』といった作品も強く印象に残る。『偽りの蒼い空』は、破綻した「愛」を扱った詩である。 「荒涼とした海の上を/私の魂は彷徨っている/現在と過去が綾取りをして/記憶の中を交錯している」といった部分では、青春の詩人・ランボーやヘルダーリンを彷彿とさせる、青春期のたゆたうような精神の「彷徨」が率直に表現されていると言えるだろう。また。『不安』では、「宿命」的な「病」への罹患体験 を経て、作者はその奥に「原罪」を見出していく。「眼に見えなく/形のないものが/僕の背中に横たわっている/それは/ずっしりと重く/動かない」―― 「不安」とは、無根拠に人間の精神を蝕み、苦しめ、抑圧するものである。それを作者は「原罪」と読み替えて解こうとしているのである。

*表題作『天国の地図』は、「死」という非日常の実感を「日常」世界に取り込んでしまった、作者にしか表現することのできない、洒脱で、距離感をもった作品と言えるだろう。
実際には余人の想像を大きく上回る苦しみであったに違いない。だが、作者は自己を「他者」として捉える視座を保っており、詩文には見事な距離感が達成されているのである。重みと痛切さの中にも洒脱さが感じられる所以である。
同様の苦しみの中にある読者なら大いに勇気づけられるだろうし、それ以外の人々も深く共感することだろう。


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残暑お見舞い2019。

池上本門寺



残暑お見舞い申し上げます。


※この写真は8月4日、池上本門寺で行われた納涼盆踊り大会撮影に行った時の一枚。池上本門寺と言えば、プロレスの父『力道山』の墓がある事でも有名だが、力道山を語る時、どうしても避けて通れないのが父の事。
 父が府中刑務所に服役中だった時、同部屋に力道山を刺した『村田勝志』がいた。父はその本人から『力道山殺傷事件』の顛末を聞き、報道されている内容と食い違う部分が多々あったと言っていた。その日、赤坂のクラブで些細な事から力道山と口論になったが、先に手を上げたのは力道山だったと言う。然も、相当酒に酔っており善悪の判断すら付く状態ではなかったらしい。
 プロレスラーは身体全身が凶器のようなもの、そこに酒が入り平常心を失った力道山は村田さんの胸ぐらを掴むなり投げ飛ばしたと言う。村田さん自身も身長180cm近くあり力道山に負けないほど体格はよかったが、その身体が6,7mほど飛ばされたと言う。闘争本能に火が付いた力道山相手に勝てるはずもないと、村田さんは瞬時に悟り気が付くと鋭いナイフを握っていた。
 父から聞いた話しが事実であれば、これは正当防衛ではなかったろうか?相手は凶器と化した猛獣のようなものである。腹を刺された事が直接の死因ではないが、己の強さに自惚れた結果なのだろう。
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雲になりたい。

雲になりたい



青い空に
ポッカリ浮かぶ
白いになり
君の住む街まで
飛んで行きたい



※埼玉県戸田市にある人工の湖『彩湖』へ行く途中、荒川水面に映り込んだがあまりに美しかったのですかさずカメラを向けた。写真は新河岸川荒川に架かる笹目橋からのもの。それにしても西高島平駅から歩いて彩湖まで行くと言うのはあまりに無謀と思われるが、地図を見て「これなら歩いて行ける」と判断し実行に移した。
 心地よい風に吹かれ色濃くなった緑の大地を踏みしめながら、そよぐ風景を愉しみカメラに収める。荒川土手ではロードバイクが何台もスピードを上げて私を追い越して行く。いつの日か自分もロードバイクに跨りペダルを漕いでみたいと思いながら彩湖を目指した。この日の歩数は2万4千歩を越えていたが、さほど疲れは感じなかった。次の日には竹芝埠頭へ海と船の撮影に行った。
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観覧車から投げKiss。

大観覧車



高い所が苦手だからと
下から見上げる貴方に
熱い熱い想いのこもった
投げKiss


葛西臨海公園に行った目的は先にアップしたポピーではなく、この観覧車。「ダイアと花の大観覧車」は、日本一大きな観覧車と聞いていたので何としてでも撮影したいと思っていた。本来であれば誰かと乗って観覧車を楽しむのだろうが、「乗る」と言う発想は全く思い浮かばなかった。
 日中の明るい内の観覧車はただ大きいだけで被写体としての魅力は感じなかったが、陽が西に沈み、夜の帳が訪れるとその観覧車の表情が一変する。見事にライトアップされた大観覧車がその存在を夜の大空に浮かび上がらせる。私は時間も忘れて夢中でスマフォのシャッターを切りまくった。おそらく観覧車だけで30枚は撮影しただろう。
 時間が20時に迫っていたので帰る姿勢で観覧車を見上げながら歩いていた時、それまで全く気付かなかった観覧車の姿を発見!それは池に映り込むもう一つの観覧車だった。
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東京ガスのタンク三兄弟。

ガスタンク



新河岸川沿いに仲良く並ぶ丸いガスタンク。もしこれが転がったら!
想像すると怖い。
美しさと恐怖は紙一重なのだろう。




※自宅から自転車で高島平方面に20分あまり走った所に「板橋区立熱帯植物館」がある。その直ぐ近くを流れる新河岸川沿いにある巨大な丸いガスタンク。その日は熱帯植物館が目的だったので、日を改めて訪問してみた。
 このガスタンク夕陽が当たったらさぞ美しいだろうと、頭の中に被写体のイメージを思い描く。カメラの撮影はこの時点で既に始まっているもの。時間を掛けて時の流れを観察するのも撮影の醍醐味である。この見事な夕陽に恵まれた事、そしてそれをカメラに収める事が出来、イメージ通りの構図を与えてくれた太陽と雲と川とガスタンクに感謝!。
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運河を渡る風になれ。

モノレール



※運河の上を走るモノレールを撮影するため幾つかの運河を渡り歩いた。勝島運河京浜運河天王州運河新芝運河、そして芝浦運河と。お蔭で東京の運河には随分と詳しくなった。その運河の景観も場所によって随分と違いがある。アップした写真は5月30日、レインボーブリッジを撮影する為に田町駅から歩いて芝浦埠頭へ行く途中であった。
 芝浦アイランド近辺にはお洒落な高層ビル群やその縁を運河が縦横無尽に走っており、芝浦埠頭に着くまでに随分と眼を楽しませてくれた。モノレールを撮影するスポットを幾つか巡り、何度かスマフォのシャッターを切った。写真はその中の一枚である。その後に目的地の芝浦埠頭に到着。下から眺めるレインボーブリッジは圧巻であった。そして歩いてレインボーブリッジを往復。気付くとその日は2万歩を遥かに越えていた。

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アザレアの誘惑。

アザレア



アザレアのように美しい君に
僕の心は奪われそうだ



※このアザレアは真冬の気温だった4月下旬に撮影したもの。撮影と言えば日中の明るい内に撮影する事が多い。だが、私は敢えて闇に浮かび上がる妖艶なの姿を撮りたくて夜10時過ぎにを探しに出掛けた。近所の公園に行けば沢山のが咲いている。然し、私が求める構図が中々見つからなかった。
 幾つかの公園を巡り最後に辿り着いたのが西台駅近くのありふれた小さな公園だった。その一角にそれはまるで私が来るのを待っていたかのように開いていた。「よし!これだ」そう呟き、スマフォシャッターを切った。自分の思い描いていた構図写真が撮れた時の喜びは、カメラを持つ者であれば理解出来るだろう。

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紫陽花の恋。

紫陽花



あなたが
心変わりしないうちに
あなた色に染まりたい
わたしです



※雨の日の浅草界隈を撮影しようと思い、浅草橋で降りたところで雨が止んでしまった。そのまま神田川を下り隅田川に出た時に見つけたのがこの紫陽花
写真の醍醐味はその被写体が持つ魅力を最大限に引き出すところにある。のまま撮影するのではなく、そこにストーリー性を含ませる事。そうする事での魅力がより一層際立ち自身も喜んでくれるだろう。
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可愛いポピーに首ったけ。

ポニー



たくさんの花の中から
君だけを
見つけたんだよ



葛西臨海公園観覧車ポピー畑。この日は風が強く、このポピーを撮るのに随分と苦労した。高価な一眼レフカメラなど買えないのですべてスマフォで撮影。ある意味、写真撮影はスポーツだと思う。被写体を探し求めてよく歩くし、集中力、観察力、体力が不可欠。この日の歩数は2万歩を越えた。距離に換算すると13キロ余り。休憩は食事の時に10分程度で後はひたすら歩いていた。
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あの日(遠い記憶の彼方で)。

こと江


あの日 僕は母さんに
会いに行ったんだよ
木町に帰っていると
父から 聞いたから
父は 会いに行って来いと
言ってくれたんだよ
だから 僕は少し照れ臭かったけれど
勇気を出して 行ったんだよ
でもね 母さん 
僕の眼には女の人が三人いて
誰が母さんなのか分からなかった
だから そのまま会わずに戻ったけれど
三人とも母さんに見えたから
少し得した気がしたんだよ


※写真は藤枝市木町(現在の茶町)にある母の実家と祖母のこと江。祖母は眼に入れても痛くないほど私を可愛がってくれた。1989年糖尿病により76歳で生涯を終えた。私の記憶は小学校に上がる前のものなのでおぼろげに覚えている部分を強調して書いた。おそらく三人の女性は叔母たちで母は含まれていなかったと思う。
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今夏は天竜養護学校に行くぞ!の巻。

校門


 この写真は2009年11月1日、同窓会に出席する際に母校である天竜養護学校に立ち寄り撮影したもの。この日は11月だと言うのに真夏のような暑さだった。2013年1月に発症した脳梗塞以来、すっかり体調を壊し心不全の嵐に見舞われるようになり行動力や気力も落ち込み、医者や看護師の厳しい管理下に置かれ、入院時と同じ様な生活を送るしかなかった。然し、普段の食事も外食を極力控え、病院食とほぼ同等な腎不全食を口にする毎日がいつの間にか当たり前となり苦にすることもなくなって来た。
 今年は今までに経験した事がないほど調子が良く、約2年間、入院から遠ざかっている。主治医や看護師も驚くほどで、自分の中からエネルギーが迸るような感覚さえある。昨年の今頃は体重が66キロまで増えて心臓に負荷を掛け苦しくて外出する気力も湧いて来なかった。だが、今はベスト体重61キロを維持。もしこのまま猛暑の夏になれば更に体重が落ち10年振りに60キロを割るかも知れない。階段を上ったり歩いたりしている時に息切れはしているのだが、その息切れさえも苦にならないほど今年の私は元気である。
 だから10年振りに同窓生の顔を見て来たい。墓参りからも疎遠になっているし、この夏は3泊4日辺りで故郷に帰省し「元気だよ」と皆を安心させたいと思っている。そして1月初旬に亡くなった友人・北川君の墓前に線香をあげたいと思う。

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五月の空に。

飛べ



を仰ぎ見よう
がわたしを
後押ししている
すべての呪縛から
心を解き放て
この五月
に乗って
何処までも
自由
飛んでゆこう


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リストカット。

リストカット



となって
わたしの心を
かき乱す
手首に刻んだ傷跡
わたしの過去を
物語る
今宵も流れる
血染めの儀式
わたしの命は
闇の中


初掲載 2012年528日19時57分14秒。
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真珠のネックレス

真珠


貴方の存在が
真珠ネックレスのように
わたしの首に絡みつく
思い切り引っ張って
貴方を切り取って
バラバラな星屑にしたいのに
放っといて のひと言で
傷つく貴方を
わたしは やっぱり
捨てられない


※詩集 天国の地図に収録されている恋愛詩は別として、40代以降になって初めて書いた恋愛詩である。これ以降、次々と女性目線で描いた恋愛詩が生まれることとなった。

初掲載 2012年6月6日15時39分56秒。

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歌舞伎町ブルース

歌舞伎町



流れついたの 歌舞伎町
ここでバイトを 始めたの
三年前に 別れた男
今ごろ何処に いるのやら
あたしの指輪 質屋に入れて
酒に溺れた やくざ



※タイトルと写真を変更しました。
初掲載 2012年5月30日14時57分22秒
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愛鍵(the key of love.)。

鍵


この
逃げ出してしまわぬよう
この手の平を
すり抜けてしまわぬよう
鍵を作ったの
の奥に
閉じ込めておきたくて
二人の
これ以上
離れ離れにならぬよう
二度と壊れてしまわぬよう
祈りを込めた鍵が
二人を繋ぎ止めてくれますように


初掲載 2012年7月28日00時05分33秒
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桜の花びらが舞い散る午後に(レクイエム)。

花びら



花びらが舞い散る午後に
あの娘は逝った
天使の衣を纏って空高く
注射が嫌だと駄々こねて
僕を随分困らせたっけ
君があんまり泣くもんだから
瞼を両手で押さえると
「バカっ涙であたし溺れちゃうよ」
と言って僕の腕にキスしたね
は散ってもいつかまた戻って来るけれど
君と過ごした日々はもう戻らない
花びらが舞い散る午後に
涙の抱擁だけを僕に残したまままで
あの娘は散った
閉じた瞼に最後のくちづけを


白血病のため16歳で亡くなった少女に捧げた詩(鎮魂歌)。
 当時はまだ白血病の治療が確率されておらず、輸血と出血の繰り返しであった。彼女の病床を見舞い、「頑張れ!負けるな!」と励ましたその3日後に彼女は眠るように息を引き取った。
初掲載 2013年4月11日00時01分20秒。
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シーツの上の愛。

シーツ



洗い立てのシーツに
愛を描いてみた
小指が不器用に這うだけで
愛はシーツの上を滑っていく
洗い立てのシーツの上で
愛が空回りしている




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消したがる子。

母の日



消しゴムでゴシゴシと
ノートの落書きを消し
机のいたずらを消し
嘘つきの自分を消し
ごまかしを消し
貧しさを消し
いじめを消し
学校を消し
虐待を消し
アルコールを消し
母を消し 父も消し
そして最後に
自分自身も 消してしまった



※消したがる子は幼少期の私であるが、昨今のいじめや児童虐待のニュースを聞く度に胸が締め付けられる想いがする。

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心不全の元凶は三尖弁逆流!

三尖弁


 スマフォで撮影した動画をYou Tubeにアップするほどでもなかったので、てっとり早くmp4をGifへと変換したものが↑である。昨年11月に受けた心臓の超音波検査心エコー)。これを見る限り重度の三尖弁逆流が起きている事が分かる。1989年4月に三井記念病院の循環器センターで僧帽弁置換術を受けてから30年の年月が流れた。人工弁はその長い年月を感じさせないほど軽快に動き全く問題なし。
 然し懸念は壊れた三尖弁であるがこれは二次性の機能性三尖弁逆流と呼ばれており、左心系の代表的な弁膜症(僧帽弁閉鎖不全)に起因している。この動画を見て分かる通り、青と赤の色が血液の逆流を示しており、心臓はそれを補うようにこれでもかと頑張って全身に血液を送り続けている。自分の意志でもないのに健気に動き続ける心臓を見ていると切なくて涙ぐんでしまった。
 何年か前に心不全で救急搬送された時の担当医から「神戸さんの心臓は手の施しようがない」と匙を投げられてしまったが、それでも私はしぶとくこうして生きている。薬で誤魔化しながら時には心細くて折れそうになっても、持ち前の運の良さで病気を笑い飛ばして来た。今回は心エコーと並行して腹部も検査対象となっていた。ALP609,LDH419、γ-GTP346とこの数値だけで判断すれば肝臓が悲鳴を上げているのも当然であるし、肝硬変を疑われても仕方のない事だが、検査結果では肝臓に明らかなSOL(肝内占拠病変)は無しと診断された。数値が高いのは今に始まった事でもなく10年以上前から続いている事で、主治医もその的確な原因究明には至っていない。
 但し、慢性心不全が長い期間に及んでいるため、加齢とともに臓器の至る場所に病変の疑いありと出ている。脾臓=副脾疑い、腎臓に関しても慢性腎不全の状態、胆嚢腺筋腫症疑い、両側多発腎嚢胞などなど…。それに加えて血糖値が7.0と高く明らかに糖尿病である。これは遺伝だから仕方がないにしてもインシュリンのお世話にならぬよう気を付けなければならない。不整脈も相変わらず脈が飛んだり跳ねたり暴れている。それは子どもの頃からなので自身は殆ど気にしていない。
 こんな病気だらけの身体でよく生きているものだと我ながら感心する。然し、2年近く入院もせず心不全も起こしていないのだから大したものである。病気が進行してるという自覚もない。まだまだ自分は頑張れる、いや頑張ってやる。1月に亡くなった友人の分までこの命を生き抜いてやる、そう心に誓う自分がいる。

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今度は子どもたちと新年会。

新年会2019


 1月14日、息子が新潟から上京して来たため娘と連絡を取り、西台駅近くの和食レストラン『天狗』に集合する事となった。息子とは別行動で前妻も出版社と新作絵本の打ち合わせも兼ねて上京して来た。19時30分に西台駅で娘と会い、そのまま天狗へと向かった。店に入り名前を告げると奥まった予約席へと案内された。すると前妻が既に到着しており笑顔で私たちを迎えた。
 息子は高速バスの渋滞で予定より30分遅れてやって来た。こうして元家族4人が一つのテーブルを囲むのは2009年3月に離婚して以来10年ぶりの事である。私の身体の事を考慮に入れてなるべく負担にならないメニューを注文してくれる。独身に戻ってからは殆ど毎日が一人の食事で味気ない食生活が身に染みているため、笑顔と料理がテーブル狭しと転げ回る様は何物にも代え難い至福の時間だった。
 娘と息子は子どもの頃の『はじめてのおつかい』で話が盛り上がっており、その会話を耳にしていると幼かった子どもたちの無邪気な姿が昨日の事のように浮かび上がって来た。当時は瑞江駅近くの分譲マンションに住んでおり、私は『うつ病』を発症したばかりで、家族や勤務先にも随分と迷惑を掛けた事を覚えている。
 休職中に体調の良い時は早朝散歩をリハビリの日課にしていた。愛猫のタラを公園で拾ったのはそんな時だった。生後一か月ほどの可愛い子猫を抱きかかえ自宅に戻ると、3人から「インコがいるから家では飼えない」と猛反対された。次の日、拾った公園に行き近所の家を一軒一軒訪ねて「お宅の猫では?」と聞いて回ったが、飼い主を見つける事が出来ず途方に暮れてしまった。私の腕の中で爪を立てながら「ニャー、ニャー」と泣き喚いている子猫を拾った場所に捨てるなどと言う事は到底出来ず、再び自宅へ連れて帰り「自分が面倒を見るから」と説得し飼うことを許されたが、一番可愛がっていたのは前妻だった。
 義母が猫アレルギーのため離婚した時にタラを引き取ったのは私で、脳梗塞で倒れるまでの3年間はタラと二人の生活だった。入院の度にタラの面倒を友人に頼んでいたが、それも限界があり前妻が新潟へと連れて帰った。タラは現在10歳の高齢だが、大好きな人の元で幸せに暮らしている。
 新年会の話題がいつの間にか猫の話しに入れ替わってしまったが、何れにせよこのような場を設けてくれた神様に感謝である。年始のスタートは口内の痛みで散々な目に合ったが、元家族の再会と言う特別ボーナスを頂いた気分で、今年も何とか無事に乗り切る事が出来そうである。

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夜の蝶。

夜の蝶



よ花よと煽てられ 幾つも嘘を呑み込んだ
グラスの数だけ男がいれば 噂の数だけ泣く女
手首の傷は癒せても 心に残った傷跡は
涙が枯れても 癒せない

ネオンひしめく夜の街 行き交う人の流れに任せ
酔った足取りあてもなく 拾った恋の後始末
夜の闇を舞うは 羽を休める場所求め
夢の谷間で 眠りにつくの

甘い蜜と恋の花咲くネオン街 毒に気付かぬ悲しい
それでも休まず羽ばたくの 
ひらりひらひら わたしのを あなたの肩に止まらせて
グラスの中に忍ぶ恋 探し求めて舞う女

そうよ わたし哀しい 夜の
涙こらえて舞い踊る ふわりはらりと羽ばたく想い
そうね わたし切ない 夜の蝶



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北川君、さようなら(追悼)。

北川君


 その訃報はあまりにも突然だったので、私は言葉を失ってしまった。口の中の傷がまだ完全に癒えていない1月8日の事だった。養護学校同窓生で先輩の『たきよ姉さん』から携帯に電話が入った。「かんべ、北さんが亡くなった…」私はいっとき誰の事なのか理解出来ず「北さん??」と返答に詰まった。「ほら、あの北さんだよ」「ああ!えっ?北川君亡くなったの??」。天竜養護学校で3年間一緒で同級生だった北川君の事だった。
 上の写真で前列右端にいるのが私(麦藁帽子を曲げて被っている)で、その隣に白いYシャツと白いズボン姿が北川君である。この写真について全く記憶にないのだが、おそらく学校近くにある森林公園に全校生徒で遠足に行った時のスナップ写真だろう。
 ここにはもう一人、同級生だった赤堀も写っている(後ろで学生服に学生帽)が、彼も10年ほど前に致死性不整脈で突然死している。16歳の時に私と同じ静岡市立病院で心室中隔欠損症の手術を受け、劇的に回復しそれ以後は病気とは無縁の生活を送り、結婚してからは8人の子どもに恵まれたにもかかわらず、あっけない最期であった。
 北川君は、転校前の学校で野球部のピッチャーをやっており、中学1年にしては背が高く体格も筋肉質で肩幅も広くガッシリしていたので、彼に何の病気なのかと尋ねると、「原因不明の高熱が出る」と教えてくれたが、養護学校での3年間に一度も熱を出すような事はなかった。病室も同じ12病棟の大部屋で私の正面が北川君だったから、朝から晩まで一日中一緒に生活していたようなものであった。
 午後の安静時間が終わると中庭に出て「おい、かんべ、キャッチャーやれ」と私にミットを渡し、座って構えている私目掛けて思い切りボールを投げて来る。さすが元ピッチャーだけあって、球は速く、重い。その球を取るのが怖くて、「早く終わってほしい」といつも思っていた。
 彼は面倒見が良く、他の生徒からも「北さん、北さん」と慕われていた。私も随分優しくして貰い、いつも彼からお菓子などを頂いたものである。磐田の高校へ進学した後に、10代で結婚した事もあり40代の時は既に孫がいたと記憶している。彼は留年のため私より2歳年上だったがクラスは同じで仲の良い兄弟のような関係だった。彼の息子の話しでは酒の飲み過ぎが祟ったのか、肝硬変が死因だっらしい。奇しくも彼の亡くなった日が1月7日、その日は私の誕生日である。
 こんな病気だらけの私なんかより次々と友人たちが先に逝ってしまう、その早すぎる死にやり切れない想いで一杯だ。北さん、そのうち私もそちらに行くから、そうしたら皆を集めて酒でも酌み交わしながら天国で同窓会でも開こうじゃないか、それまでもう少し待っててくれよ、北さん…(合掌)。

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みかんの花(父と母に捧ぐ)。

みかんの花



みかんの花が咲いたよ
蓮華寺山のふもとから頂上に向かって続く
みかん畑の中を可愛いメジロが幾羽も飛び交って
もぎたてのみかんを口いっぱいに頬張りながら
お姫平のてっぺんに立ち
藤枝の町並みを見下ろしたっけね
あなたの肩車で更に空が近くなり
青い海のように輝く美しい空に吸い込まれて行くようだった
風がザワザワとみかん畑を渡り
一斉にみかんの白い花が宙に舞う
舞い上がったその白い花々の中に紛れて
僕もあの人のいる空に行きたかった
今年もまたみかんの花が咲いたよ
一杯一杯 空に向かって舞ったんだよ


※お姫平について…。蓮華寺池を囲むように連なる山の頂きに、富士見平(標高110m)と、お姫平(標高82m)と呼ばれている場所がある。富士見平は、室町幕府の将軍・足利義教が1432年9月(永享4年)に、富士遊覧の目的で駿府に入る途中、鬼岩寺に宿泊した際、裏山に登って富士山を見物した場所であると言われている。この時、同行していた姫が富士山を眺めた場所にお姫平と名が付いた。

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2019年は波乱の幕開け。

2019年

 皆さま、明けましておめでとうございます。
 お正月気分もそろそろ抜け、巷は通常モードに戻りつつありますが、昨年12月下旬の体調不良を引き摺ったまま年を越し、正月を迎えてしまったため、ブログ更新もすっかり遅くなってしまいました。お粥ばかり食べていた事もあり、体力、気力の低下などで、中々パソコンに向かう元気もなく、正月気分は何処へやら…。
 異変が生じたのは昨年12月23日の深夜だった。11月に治療の終わった前歯辺りに突然の激痛が走り、これではとても眠れないと思い、残っていたカロナール(痛み止め)を服用。暫くすると痛みも和らぎ、いつの間にか眠っていた。
 翌朝、深夜の激痛が嘘のように治まっていたため、原因は分からなかったが一過性のものだろうとそのまま放置した。ところが数日後またも前歯辺りに異変を生じ今度は上顎の中央辺りが痛み出した。我慢出来ないほどではなかったので、カロナールを服用し様子をみた。痛みは一旦は治まるものの、薬の効果が切れると再び痛み出し、少し腫れて来ているようだった。そんな事を繰り返している内に29日~30日辺りに痛みのピークがやって来た。
 眠る事も食べる事も出来ず、水を飲むのもやっとだった。数年前の冬に蜂窩織炎(ほうかしきえん)で右顎が腫れてしまい緊急入院した経緯があったため、その再発かと不安になった。30日の深夜、入院覚悟の上で荷物をバッグに詰めた。そして眠れぬまま翌朝を迎え、三井記念病院の救急外来へ電話。
 看護師に症状を伝えると、「それは歯科の範疇で、歯科医が休みの為、診察も入院も出来ない」と、断られてしまった。掛かりつけの病院に診察を断られたのは初めてだったので、ショックで落ち込み途方に暮れてしまった。別の病院を探さなければと不安を抱きながら、ネットで31日診療の歯科医院を検索、すると『EPARK』と言う歯科専門サイトを発見!。日本全国の歯科を検索出来てネットから予約出来る仕組みとなっており、なんとか池袋西口に1件見つける事が出来た。
 12時の枠1つが空いており、急いで池袋へと向かった。心臓疾患や腎不全などで大量の薬を服用している事などを院長に告げると、ワーファリンの影響で出血のリスクがあるため、出来るだけ出血が少なく済むよう、レーザーメスを使用して切開し、溜まった膿を取り除いてもらった。
 薬は痛み止めのカロナールのみで、抗生剤は処方してもらえなかったが、後は自然治癒を待つだけと言われて安心した。これまでの緊張と疲れがドッと出て、帰りの電車内で眠ってしまった。傷口が完全に治るまでは雑炊お粥をだけを食べていた事もあり、体力もすっかり落ちてしまい、散々な正月となってしまった。
 こんな波乱含みのスタートとなった2019年ですが、皆さま、今年も昨年同様、宜しくお付き合いのほどお願い致します。
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