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ビーチサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

俊樹

詩集 天国の地図(レヴュー)。



詩集・天国の地図(文芸社から頂いた書評一部抜粋)。

*作者が20歳から28歳までの間に綴られた、全62作品からなる詩集である。「あとがき」によれば、作者が詩に興味を持ったのは20歳の時だという。そして、最初に手にした詩集は『伊藤整詩集』と『高見順の死の淵より』の2冊だったとも記されている。
作者は幼いころ「心臓弁膜症」に罹患し、最初に手術を受けた時のことを回想して、『手術台に上がれば』を書いたとのことである。それをきっかけに、いつの間にか62作品の詩が出来上がっていたらしい。そして、心臓弁膜症に起因するうつ病を患い、現在は回復の途上にあると記されている。ここに本作品群の最大の特質があると言えるだろう。
「うつ病」を克服し、社会復帰を目指す作者の個人史が、その内面の必然性によって詩文の形に表出した、痛切ながら鮮やかな「青春物語」なのである。
*「記念すべき最初の詩」と作者自身が言う『手術台に上がれば』は、純粋な孤独感を表現した作品と言えるだろう。社会的な関係によって成立する作者の日常世界が、手術という出来事によって断ち切られ、それによって自覚された意識の反復が、言語世界として抽象化されている。
「けたたましい車の騒音が/私の耳をつんざく/ああ――/今日もまた彼等は/あの騒がしいラッシュアワーの中を/仕事に出掛けて行く/愚かな独り言を呟いて/私は又眼を閉じた」―― 「私」は「彼等」とは異なる世界に疎隔されている。かつては自分も所属し、ほとんど意識することもなかった日常世界、それが今は決定的に遠いものとなり、 もはやそこに自分の居場所はない。断念と諦念、その後に訪れた孤絶感の淵に作者は重く佇んでおり、本作品はそれを見事に描き切っているのである。
*『偽りの蒼い空』や『不安』といった作品も強く印象に残る。『偽りの蒼い空』は、破綻した「愛」を扱った詩である。 「荒涼とした海の上を/私の魂は彷徨っている/現在と過去が綾取りをして/記憶の中を交錯している」といった部分では、青春の詩人・ランボーやヘルダーリンを彷彿とさせる、青春期のたゆたうような精神の「彷徨」が率直に表現されていると言えるだろう。また。『不安』では、「宿命」的な「病」への罹患体験 を経て、作者はその奥に「原罪」を見出していく。「眼に見えなく/形のないものが/僕の背中に横たわっている/それは/ずっしりと重く/動かない」―― 「不安」とは、無根拠に人間の精神を蝕み、苦しめ、抑圧するものである。それを作者は「原罪」と読み替えて解こうとしているのである。
*表題作『天国の地図』は、「死」という非日常の実感を「日常」世界に取り込んでしまった、作者にしか表現することのできない、洒脱で、距離感をもった作品と言えるだろう。
実際には余人の想像を大きく上回る苦しみであったに違いない。だが、作者は自己を「他者」として捉える視座を保っており、詩文には見事な距離感が達成されているのである。重みと痛切さの中にも洒脱さが感じられる所以である。
同様の苦しみの中にある読者なら大いに勇気づけられるだろうし、それ以外の人々も深く共感することだろう。

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クラゲのような人。

すみだ水族館
Nikon D700,Mモード,ISO800,WB電球,SS1/125,f4,TAMRON VR90mm。


まるで掴みどころのない
あなたは
クラゲのような人


クラゲを撮影する上で何処の水族館が一番適しているか調べるため、都内の主な水族館を全て巡ってみた。人気のあるサンシャイン水族館やアクアパーク品川は派手なライトアップで演出効果は抜群であったが、本来のクラゲの姿とは少し違う気がした。江ノ島水族館がリニューアルしたという情報があったので行ってみたかったが、流石に遠いのでそれは断念し、結果的に選んだのはスカイツリーにある『すみだ水族館』だった。
 アクアリウムも大きくその中に多くの水クラゲが漂っており、夢中でカメラのシャッターを切った。クラゲは自力で泳いでいるのではなく、水流に任せて浮遊しているだけだとこの時に初めて知った。然し、どう見てもクラゲの動きを見ていると泳いでいるとしか思えなかった。クラゲを出来るだけアップで撮影するためマクロレンズを使用した。神秘的なクラゲの世界はまさに小宇宙。私も時にはクラゲのように世相を忘れて漂ってみたい。
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令和二年は痛みとお粥の日々で始まった。

亀戸天神
Nikon D700, Mモード,ISOオート,AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VRで撮影。

 皆さま、遅ればせながら令和二年明けましておめでとうございます。年末から続いていた体調不良(口腔内の腫れと痛み)で、散々な正月を迎えてしまいました。買っておいた年越し蕎麦に箸を付けることも紅白歌合戦を観る余裕もなく、激痛にもがきながら眠れぬままに元日を迎えた次第です。
 初日の出の撮影も諦め、子どもたちとの新年会も取り止め、病院を探し回ってみたものの見つからず、掛かりつけの三井記念病院には専門医が休みのため診察を断られる始末。2日に1件予約が取れたので池袋まで出かけ診察を受けたものの、炎症と腫れが酷いため治療は行わず抗生物質と痛み止めを処方されたのみだった。
 4日分の薬を全て飲み切っても腫れと痛みは治まらず、顔の左半分が浮腫んで歪んでしまったほどであった。口に入れる物は水分とお粥のみ。そのお粥ですら痛みでくちびるが歪んだ。痛みに対しては我慢強いほうであるが、流石に疲労困憊。不安ばかり募るので信頼の於ける三井記念病院の口腔外科へ電話を入れ、7日になって漸く治療が始まった。
 痛みから解放されたのは症状が出てから10日目の事だった。一眼レフで培った体力はものの見事に削げ落ち、体重も2キロダウン。昨年が想像を遥かに超える調子の良さで、何処か過信し気持ちに油断が生じていたのだと思う。気温の低い冬季は代謝も下がり免疫力も落ちる。そのため、ほんの少しの切っ掛けが事態を悪化させてしまうのだ。
 1月10日、落ちた体力を振り絞って神社とスカイツリーのコラボを撮影するため、亀戸神社へと出掛けた。学問の神様である菅原道真公が祀ってあるため、健康祈願、無病息災はご利益を受けられないかも知れないが、医学も学問だから融通を利かせてくれるだろうと一礼した。令和二年が皆さまにとって幸多き年でありますよう心よりお祈り申し上げます。そして昨年同様、今年もビーチサイドの人魚姫を宜しくお願い致します。
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ガンダムになった少年。

ガンダム
Nikon D700, Mモード,ISO640,SS 1/160,WB手動,f/4,VR 24-120,焦点距離 24mm


少年はいつも夢見ていた
ガンダムのように強くなって
世界中の悪を懲らしめるんだ
そうして
いじめや虐待から
子どもたちを守るんだと…


お台場には撮影スポットが数多くある。それらを一日で周り切る事は出来ないため、何度も訪問する事になる。この実物大ユニコーンガンダム立像は5回目の訪問で撮影するに至った。下から見上げるように撮影する事ばかりに気を取られ、高い位置から見下ろすように撮る事をすっかり忘れており、帰った後で「シマッタ!」と気づいた。
 いずれまたお台場へは行く事になるので、その時に隣接するビルの屋上から撮影してみようと思う。ところで、12月17日は今年最後の循環器外来であった。重いカメラを持って2万歩を歩くと伝えると主治医から「2万は歩き過ぎ」と注意されてしまった。主治医の立場になれば自分の患者が無理をして急性心不全にでもなったら助からない事を知っているから無理もない。自分で意識して歩いている訳ではなく、気付くといつの間にか2万という事なのでそんなに歩いた自覚がないのである。勿論、無理は禁物なので自己管理を怠ってはならない。今年はこれが最後の記事となりますが、来年もどうぞ宜しくお願い致します。良いお年をお迎え下さいませ。
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嫉妬の季節。

紅葉2019
Nikon D700, Mモード,ISO1250,SS 1/100,WB晴天,f/4,VR 24-120,焦点距離 40mm


秋は嫉妬の季節
だから葉が
嫉妬の色を隠すため
懸命に紅く赤く朱く
染まるのだ


※東京では木枯らし1号が昨年に続いて今年も吹かなかった。これは地球温暖化と関係があるのだろうか?都内の紅葉も例年よりその見頃が1,2週間遅れていたと思う。11月29日、都内の紅葉見学スポットの一つである『東京都庭園美術館』へ行ってみたが、さほど紅くなっておらず緑が目立つ状態であった。
 その為、気を取り直して翌日の30日、昭和記念公園まで足を伸ばした。こちらでは『夜の散歩道』と言う銀杏並木と日本庭園ライトアップを期間限定で行っており、私もそちらへと出向いたが、この公園、とにかく広い。以前、向日葵の撮影に来た事があるが、あまりの広さと距離に驚いた。その時はまだスマフォで撮影だったから2万歩越えたとしてもさほど苦ではなかった。だが今回は重い一眼レフやバッグも一緒である。総重量はおそらく4キロは軽く越えていたと思われる。
 ライトアップされる会場は明るいからまだよいが、そこへたどり着くまでは僅かな街灯のみで真っ暗…。人の波に任せて歩いていたから迷う事もなかったが自分一人だったら方向音痴の私は完全に迷子になっていただろう。暗闇に紅く浮かび上がる紅葉を如何に撮影するか、その存在感をどう表現するかで、試行錯誤しながらシャッターを切った。気付くと撮影枚数は300枚を越えていた。そしてその日は2万2千歩を達成!一眼レフで2万を越えたのはこの日が初めてだった。真冬並みの寒さでカメラを持つ手は凍えそうだったが、赤いもみじが心を温めてくれるようだった。
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運河の流れるこの街で(天王洲バージョン)。

運河の
Nikon D700, Mモード,ISO640,SS 1/4,WBオート,f/4,24-120mmズームレンズ


運河の流れるこの街であなたと出会った
橋の欄干にもたれながら河の流れを見詰めていた
運河の上を風に乗ったカモメが一羽飛んで行く
あなたは橋の上から何を見ていたの?
待ち合わせの場所はいつも此処で
待っているあなたの肩を叩くわたし
あなたとわたしの笑顔がひとつになって
街の喧噪に溶け込んだ
二人の将来を話し合う事もなく
そこまで束縛するほどでもなかった
まるでわたしたち流れを止めた運河みたいね


※JR品川駅から東品川方面に約20分ほど歩くと天王洲アイルと言う再開発街区に着く。水辺とアートの街と称されるように、美しい運河と倉庫の壁に描かれた大きな絵画が見る者の眼を楽しませてくれる。
 天王洲運河に架かる『ふれあい橋』は人気スポットで、夜にはライトアップされた橋がカップルや写真愛好家たちを誘うように美しく浮かび上がる。お洒落なレストランやホテルなどが連立し、日常の喧噪から非日常へと人の好奇心を掻き立てる素敵な場所である。歩くのが苦手な方は浜松町駅からモノレールで10分も走れば天王洲アイル駅に着く。夜景撮影には三脚を使用すればベストであるが、カメラだけでも重たいのに更に2キロ余りの重量を追加する気にはならず手持ちで撮影している。
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天国に咲く花。

十月桜
Nikon D700, Mモード,ISO320,SS 1/1000,WB晴天,f/11,単焦点50mm


光をも求めて
伸びゆくその先に
天国がある


※秋に咲く桜がある事を新宿御苑に行った際、初めて知った。通常の桜と比べて花びらは少し小さめに見えたが、そのか細い枝から伸び花開く様に例えようのない生命力を感じ取る事が出来た。それと同時に天から降って来た三行の短い言葉たち。それを忘れまいとノートに記し写真のタイトルを『天国に咲く花』とした。
 私は花の事はあまり知らない。花を見て分かるのはチューリップやバラ、桜くらいのものである。花の撮影を始めた頃、どのように撮ってよいか分からず構図も適当だったが、今年の4月に撮った桜がヒントとなりコツを覚えた。それにしてもこの十月桜を撮った単焦点50㎜と言うレンズは安価でしかも軽い!まるでレンズそ装着し忘れたかと思うほどである。画角が狭いので風景よりもポートレートに向いているが、狭い画角の中で被写体をどう切り取るか構図の練習に適しているレンズと言える。しかもf1.8と非常に明るいので背景のボケ具合も美しくアートな作品を撮るのに向いていると思う。
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名もない小さな花だけれど。

名もない花
Nikon D700 Mモード,ISO200,SS 1/800,WBオート,f/5.6,単焦点20mm


人知れずひっそりと咲く
名もない小さな花だけれど
いつもあなたの傍らにいて
優しく見守る
そんな花のようでありたい


一眼レフカメラで撮影するようになってから、これまでスマフォで撮影した場所へ再び足を運んでいる。アップしたコスモスは京急立会川駅から徒歩10分程度の所にある勝島運河沿いに咲いていたもの。
 この辺りにはコスモス畑があり、数種類のコスモスを見る事が出来る。通称『しながわ花街道』と呼ばれておりコスモス以外にも沢山の花が植えられているが、さほど手入れがされている様には見受けられないため野山に咲く花に近く、人の手が加えられていない有りの侭の花の表情を写し出す事が出来たと思う。因みに単焦点20mmの広角レンズで撮影。モチーフを際立たせる為に背景にも気を配った。
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満を持して一眼レフデビュー。

一眼レフ


 帰省から東京に戻った翌日(9月2日)、息子からの情報を元に神奈川県大和市にある『サイトウカメラ』へと出向いた。本来であれば帰省の疲れを癒やすため2,3日は自宅でゆっくりするところであったが、気持ちは真っ直ぐ『一眼レフ』に向いていたため、疲れを癒やす時間も惜しんで出掛けた訳である。息子に勧められたカメラは『nikon D700』。その中古をネットで探していると最安値がサイトウカメラだった。一台のみであったから早くしないと売れてしまう可能性もあったので焦ってはいたと思う。
 ネットでそのまま注文すればよかったが、やはり現物を確認したいと言う気持ちが強かったため店舗まで足を運んだ。D700は2008年に発売されたが10年経っても人気の衰えないロングセラー機。ハイアマチュア、プロ仕様のモデルで発売当時は32万もする高級機。それを39,800円で手に入れた。シャッター回数は2万回程度とそれほど使い込んでいない中古の中でも優良品だった。そしてレンズはnikonの24-120mmf4G ED VRを選んだ。広角から中望遠までをカバーする『小三元』と呼ばれている中の1本。
 それにしても一眼レフにはイメージセンサーの大きさが異なるAPS-Cフルサイズがある事すら知らなかった。APS-Cは本体もレンズも安価な値段で購入出来るが、「撮影を進めている内にどうしてもフルサイズが欲しくなる」と聞いていたので、それなら最初からフルサイズとなった訳である。
 本体にレンズを着けると約2キロの重量、カメラバッグも含めると約3キロを背負って被写体を求めて歩き回る。スマフォの時の様に軽快なフットワークとは行かない。それでも撮影が楽しくて疲れを一切気にする事はない。一眼レフ購入から既に2ヶ月近く経つが、これまで撮影した枚数は試写も含めて2千枚を越えている。この数字が多いのか少ないのか分からないにしても、『写真は足で写す』つまり移動した距離の分だけ良い物が撮影出来るとこの2ヶ月で学ぶ事が出来た。全ての機能を把握・理解するためマニュアルモードで撮影し、現像もカメラ任せにせずRAW現像している。
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3泊4日、故郷への旅路(天浜編)。

天浜編


 帰省の最終目的がこの可愛い1両編成の天竜浜名湖鉄道天浜線)の撮影とそして乗車する事であった。撮影ポジションを探すため天竜川の川原に降り、天浜線鉄橋を渡る所をカメラに収めたいと帰省前から考えていたのだが、全くその通りになってくれたのは有り難かった。ただ、その日は気温が35℃を越える猛暑、厳しい残暑の光が容赦なく照り付ける。日陰になるような場所は見つからず、電車が通るまで約30分は炎天に晒されていたわけである。
 思い通りの構図で電車を撮り終えると最寄り駅の二俣本町へ向かう。喉がカラカラに乾き耐えきれそうになかったのでコンビニか自販機を探したが、全く見当たらない。過疎化が進んでいるとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。辺りを見回しても人の影すらないのである。漸く駅舎が見えて来ると自販機を発見!キンキンに冷えた緑茶を一気に喉の奥へと流し込む。
 全身は吹き出る汗で水を被ったようであったが、一服の緑茶に心身共に救われた気がした。駅は無人で切符を買う券売機もない。乗車する人も当然ながら誰一人としていない。風が時折、樹木を揺らして通るだけで人の声に代わって野鳥の囀りが頭上に木霊していた。30分以上待っただろうか、漸く掛川行きの天浜線の姿が見え、それもカメラに収めると風に押されるように電車に乗り込んだ。
 数十年振りに味わうローカル線プチ旅行、都会にはない長閑な田園風景を眺めつつ、終点の掛川駅まで乗車した。そして東海道線の各駅に乗り換え帰路へと着いた。
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仏様に願いを込めて(助け愛)。

仏様

台風19号の被害に遭われた方々へ心よりお見舞い申し上げます。そして被災地に一日も早い復旧と平穏な日々が訪れますように…。


 東海から関東甲信、東北に至る広範囲にかけて未曽有の大雨を降らせ各地に河川の氾濫、堤防の決壊を齎し甚大な被害を与えるなど、これまでに類を見ない正にモンスター級の台風19号(ハギビス)。私も今回に限ってはかなり神経質になった。瞬間最大風速60mの暴風がもし吹き荒れたら古い木造、しかも家の前は風を防ぐ物は何も無い公園、昨年の台風ではベランダの仕切り板が私の所だけ木っ端微塵になった経緯があるため、洗濯機を部屋に仕舞い込むなど備えをした。
 家からさほど遠くない所に新河岸川、荒川が流れているが川の上流(支流)では氾濫が相次ぎ、牙を剥いた水の怖さを物語っており、次々と伝えられる警報や避難指示に戦々恐々としていた。暴風がピークを迎えた頃、部屋が『ミシミシ』と音を立てて揺れたため、避難勧告は出ていなかったが、一ヶ月分の薬をバッグに詰め、いつでも避難出来るよう準備をした。
 神奈川県の武蔵小杉に住んでいる友人宅は多摩川から500mほどの距離にあり、かなり危険な状況だったと後に話してくれた。私自身10代の時に静岡市を襲った『七夕豪雨(24時間508mm)』を体験しており、その時の被災者の一人であったため、今回のような大雨に見舞われると必ず数十年前の悪夢が鮮明に蘇る。道路上をモーターボートが叫ぶように走り、晴れ渡る青い空には自衛隊のヘリコプターが何機も飛び回っていた。周りの家々は深い所では屋根まで水に浸かり、その屋根で救助を待つ人々。巴川と安倍川が氾濫し静岡市全域が水没したかのようだった。
 地球温暖化が進み地球全体を侵食し始め、自然のバランスが大きく崩れ始めて来た現在では今後も19号と同程度の台風は数多く発生し想定を越えた被害をもたらす事は必至であり常に自分とそして隣人の命を守る、助け『愛』が必要不可欠であると思う。
※アップした写真は増上寺に行った際、一眼レフで撮った観音菩薩お地蔵様たち。一眼レフカメラ購入に関しては近日中にお話ししたいと思います。
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3泊4日、故郷への旅路(養護学校編)。

養護学校編
無人になった13病棟の窓から腕を伸ばしているのが私(14歳の頃)。

 『今夏は天竜養護学校へ行くぞ!』を今年の目標に掲げていたが、それが実現出来た事はこの上なく嬉しく思う。墓参りを済ませた後に息子が運転する車で磐田駅へと向かった。久しぶりのドライブと東名高速道に気分も浮かれていた。31日はジュビロ磐田の試合があるため、午後3時を過ぎると道路が混雑してまともに走れなくなると聞いて、午後2時に友人と磐田駅前で待ち合わせ。息子に礼を告げて今度は友人の車に乗り込む。途中でもう一人の友人を乗せて一路、北川君宅へと向かった。北川君は今年1月上旬に肝硬変で亡くなった養護学校の同級生だった。3人で玄関をノックすると、北川君に生き写しの息子が家に招き入れてくれた。仏壇には少しはにかんだ彼の顔写真、その写真が「神戸、よく来てくれたな…」と話し掛けてくるように思えた。
 その日は浜松駅近くの居酒屋で10人ほどが集まってのプチ同窓会。それまで時間があったので、養護学校の恩師である梅林先生宅へと向かう。先生は96歳と高齢ながら元気な姿で迎えてくれた。15年以上も会っていなにのに、私の顔を見るなり「ああ!神戸くん!!」その言葉がとても嬉しかった。他の二人の事は覚えていないようだった。その後、浜松駅でメンバーと会う。養護学校時代の生徒会長だった『本樫』くんに45年ぶりの再会!これもまた感激で胸が熱くなった。プチ同窓会は約2時間で終わり、その後はカラオケへ…。次の日(9月1日)、昼少し前に西鹿島駅に到着。静岡にいた頃は浜松にいる親友の家に遊びに行く時は必ず利用した『遠州鉄道』2両編成の赤い電車が懐かしい。駅で同窓生の先輩が車で迎えに来てくれていた。元看護師の真紀さんも同行して、天竜病院にALS(筋萎縮性側索硬化症)のため、10年前から入院している元看護師の渡辺さんのお見舞いに。渡辺さんは養護学校へ転向して初めて迎えた正月、病棟の殆どの子供たちは冬休みを利用して親元へ帰るが、帰る親のいない私に「神戸くん、もしよかったら私の家に来る?」と声を掛けてくれた人。渡辺さん宅の温かいお風呂の湯加減を今でも覚えている。だから、帰省した時は必ずお見舞いすると心に決めていた。意思疎通の出来ない身体でも私たちの姿を見た時、表情が変わり眼に涙が滲んでいた…。天竜病院から更に上へと登った場所に母校天竜養護学校(特殊支援学校)がある。中までは入る事が出来なかったため、門の所で記念撮影。私の心の故郷でもある。
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スカイツリーからの便り。

スカイツリー十間橋


君から
便りが届いたよ
スカイツリーのてっぺんから
この広い空を渡って
僕の心に
届いたんだよ


スカイツリーを撮影する上でどうしても失敗は避けたかったため、入念な準備を行った。スカイツリー撮影スポットは数多くあり、人気のスポットには多くのカメラマンが集まるだろう事は予想が付いていた。他の人たちと同じ場所で撮影しても似たり寄ったりの写真になってしまうため、独自の撮影スポットを確保しなければならない。
 写真撮影は、撮影スポットを決める前から既に始まっており、頭の中に幾つものイメージを浮かべ、試行錯誤しながら実写へと移行して行く。私が選んだ撮影スポット水鏡に映る逆さスカイツリーで有名な十間橋。人気スポットであるため、その日も多くの写真愛好家が集まってその時を待っていた。
 私はそれより更に150mほど下った北十間川に架かる歩道橋。そこには誰一人として撮影している者はおらず、私だけの隠れスポットとなった。その日は天候にも恵まれ、眼を見張るような美しい夕陽に出会えた事もラッキーだった。次回は一眼レフで再挑戦してみたいと思う。
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3泊4日、故郷への旅路(静岡編)。

駿府城


 紹介する順番が逆になってしまったが、墓参り(31日)の前に静岡市へ立ち寄った。今回の旅の目的の一つが息子の経営する『パソコンサロンゆうらく』の事務所見学。事務所立ち上げの時も招かれていたが当時の私は心不全を連発し絶不調だった。それから7年、漸くこの眼で息子の事務所を見る事が叶った。
 約束の時間は18時30分、藤枝を発ったのは15時頃だったが、午前中は雷と共に激しい雨に見舞われた。天気予報も一日中雨となっていたのでテンションは下がり気味だったが、静岡市内に入った頃には雨も止み傘を必要としなくなる。約束の時間まで駿府公園などを散策。ところが夕方5時頃になると、なんと青色が空一面に広がり始めた。あれほどどんよりと曇っていた空が誰かを招くように青空をプレゼントしてくれたのだ。
 まさにシャッターチャンス到来とばかりにスマフォカメラのシャッターを切った。私が静岡に住んでいた頃は、駿府城お堀と石垣しかなかったのだがそれが現在では写真のように立派な城の建物が出来上がっている。現在と過去が混在したこの異空間でひと時タイムスリップを味わう事が出来た。
 息子の事務所では大歓迎を受け、息子の手料理を堪能した。そして一眼レフカメラについて多くの事を学ぶ事が出来た。もう少し時間があれば新静岡と新清水を結ぶ静岡鉄道に乗ってみたかった。10代後半~20代前半まで毎日のように利用した静鉄が妙に懐かしく思えた。
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夜空を彩る花火の中に。

花火2019



夜空を彩る花火の中に
あなたの影が揺らいで見える
浴衣の裾を昨日の雨で
少し濡らした私を
大丈夫?と
小さな肩を優しく抱いた
そのあなたは今
夜空の花火となって
私を見詰めていることでしょう
あの夏の日
二人の絆が途切れた時に
もう花火は見ないと誓ったのに…



※8月3日、4年ぶりに板橋花火大会へ行った。今回は埼玉県側に行き、戸田公園荒川の岸辺に撮影場所を確保しスマフォを構えてその時を待った。周りには一眼レフに望遠レンズを載せた三脚がずらりと並んでおり、花火の打ち上げを今か今かと待っていた。
 明るい日中と違い、光が十分に得られない夜景、特に花火のように動くものが被写体となれば撮影は難しくなる。手持ちでの撮影はブレてしまう事が多く、やはり三脚は必須。私もスマフォ用の三脚を用意し、シャッターはワイヤレスリモコンを使った。あまり期待はしなかったが、最新のGalaxyS10だけあって意外と綺麗に撮れた方だと思う。

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3泊4日、故郷への旅路(藤枝編)。

2019帰省藤枝編



 8月29日~9月1日にかけて故郷静岡帰省した。急ぐ旅でもなかったので、東海道線各駅停車に乗り、のんびり車窓の景色を楽しんだ。障害者割引も利用したので東京から藤枝まで1800円と財布に優しい旅となった。だが、東京→藤枝静岡藤枝→磐田→浜松→天竜→掛川→東京という過密スケジュール。
 10キロ近い荷物を背負っての移動は決して楽なものではなかったが、懐かしい友人・知人たちに会えるという期待感で心も弾み疲れなど微塵も感じる事はなかった。写真は藤枝での様子をまとめたもの。午前中かなり激しい雨が降ったものの、その後は好天に恵まれ、故郷を満喫する事が出来た。
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残暑お見舞い2019。

池上本門寺



残暑お見舞い申し上げます。


※この写真は8月4日、池上本門寺で行われた納涼盆踊り大会撮影に行った時の一枚。池上本門寺と言えば、プロレスの父『力道山』の墓がある事でも有名だが、力道山を語る時、どうしても避けて通れないのが父の事。
 父が府中刑務所に服役中だった時、同部屋に力道山を刺した『村田勝志』がいた。父はその本人から『力道山殺傷事件』の顛末を聞き、報道されている内容と食い違う部分が多々あったと言っていた。その日、赤坂のクラブで些細な事から力道山と口論になったが、先に手を上げたのは力道山だったと言う。然も、相当酒に酔っており善悪の判断すら付く状態ではなかったらしい。
 プロレスラーは身体全身が凶器のようなもの、そこに酒が入り平常心を失った力道山は村田さんの胸ぐらを掴むなり投げ飛ばしたと言う。村田さん自身も身長180cm近くあり力道山に負けないほど体格はよかったが、その身体が6,7mほど飛ばされたと言う。闘争本能に火が付いた力道山相手に勝てるはずもないと、村田さんは瞬時に悟り気が付くと鋭いナイフを握っていた。
 父から聞いた話しが事実であれば、これは正当防衛ではなかったろうか?相手は凶器と化した猛獣のようなものである。腹を刺された事が直接の死因ではないが、己の強さに自惚れた結果なのだろう。
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雲になりたい。

雲になりたい



青い空に
ポッカリ浮かぶ
白いになり
君の住む街まで
飛んで行きたい



※埼玉県戸田市にある人工の湖『彩湖』へ行く途中、荒川水面に映り込んだがあまりに美しかったのですかさずカメラを向けた。写真は新河岸川荒川に架かる笹目橋からのもの。それにしても西高島平駅から歩いて彩湖まで行くと言うのはあまりに無謀と思われるが、地図を見て「これなら歩いて行ける」と判断し実行に移した。
 心地よい風に吹かれ色濃くなった緑の大地を踏みしめながら、そよぐ風景を愉しみカメラに収める。荒川土手ではロードバイクが何台もスピードを上げて私を追い越して行く。いつの日か自分もロードバイクに跨りペダルを漕いでみたいと思いながら彩湖を目指した。この日の歩数は2万4千歩を越えていたが、さほど疲れは感じなかった。次の日には竹芝埠頭へ海と船の撮影に行った。
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観覧車から投げKiss。

大観覧車



高い所が苦手だからと
下から見上げる貴方に
熱い熱い想いのこもった
投げKiss


葛西臨海公園に行った目的は先にアップしたポピーではなく、この観覧車。「ダイアと花の大観覧車」は、日本一大きな観覧車と聞いていたので何としてでも撮影したいと思っていた。本来であれば誰かと乗って観覧車を楽しむのだろうが、「乗る」と言う発想は全く思い浮かばなかった。
 日中の明るい内の観覧車はただ大きいだけで被写体としての魅力は感じなかったが、陽が西に沈み、夜の帳が訪れるとその観覧車の表情が一変する。見事にライトアップされた大観覧車がその存在を夜の大空に浮かび上がらせる。私は時間も忘れて夢中でスマフォのシャッターを切りまくった。おそらく観覧車だけで30枚は撮影しただろう。
 時間が20時に迫っていたので帰る姿勢で観覧車を見上げながら歩いていた時、それまで全く気付かなかった観覧車の姿を発見!それは池に映り込むもう一つの観覧車だった。
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東京ガスのタンク三兄弟。

ガスタンク



新河岸川沿いに仲良く並ぶ丸いガスタンク。もしこれが転がったら!
想像すると怖い。
美しさと恐怖は紙一重なのだろう。




※自宅から自転車で高島平方面に20分あまり走った所に「板橋区立熱帯植物館」がある。その直ぐ近くを流れる新河岸川沿いにある巨大な丸いガスタンク。その日は熱帯植物館が目的だったので、日を改めて訪問してみた。
 このガスタンク夕陽が当たったらさぞ美しいだろうと、頭の中に被写体のイメージを思い描く。カメラの撮影はこの時点で既に始まっているもの。時間を掛けて時の流れを観察するのも撮影の醍醐味である。この見事な夕陽に恵まれた事、そしてそれをカメラに収める事が出来、イメージ通りの構図を与えてくれた太陽と雲と川とガスタンクに感謝!。
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運河を渡る風になれ。

モノレール



※運河の上を走るモノレールを撮影するため幾つかの運河を渡り歩いた。勝島運河京浜運河天王州運河新芝運河、そして芝浦運河と。お蔭で東京の運河には随分と詳しくなった。その運河の景観も場所によって随分と違いがある。アップした写真は5月30日、レインボーブリッジを撮影する為に田町駅から歩いて芝浦埠頭へ行く途中であった。
 芝浦アイランド近辺にはお洒落な高層ビル群やその縁を運河が縦横無尽に走っており、芝浦埠頭に着くまでに随分と眼を楽しませてくれた。モノレールを撮影するスポットを幾つか巡り、何度かスマフォのシャッターを切った。写真はその中の一枚である。その後に目的地の芝浦埠頭に到着。下から眺めるレインボーブリッジは圧巻であった。そして歩いてレインボーブリッジを往復。気付くとその日は2万歩を遥かに越えていた。

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アザレアの誘惑。

アザレア



アザレアのように美しい君に
僕の心は奪われそうだ



※このアザレアは真冬の気温だった4月下旬に撮影したもの。撮影と言えば日中の明るい内に撮影する事が多い。だが、私は敢えて闇に浮かび上がる妖艶なの姿を撮りたくて夜10時過ぎにを探しに出掛けた。近所の公園に行けば沢山のが咲いている。然し、私が求める構図が中々見つからなかった。
 幾つかの公園を巡り最後に辿り着いたのが西台駅近くのありふれた小さな公園だった。その一角にそれはまるで私が来るのを待っていたかのように開いていた。「よし!これだ」そう呟き、スマフォシャッターを切った。自分の思い描いていた構図写真が撮れた時の喜びは、カメラを持つ者であれば理解出来るだろう。

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紫陽花の恋。

紫陽花



あなたが
心変わりしないうちに
あなた色に染まりたい
わたしです



※雨の日の浅草界隈を撮影しようと思い、浅草橋で降りたところで雨が止んでしまった。そのまま神田川を下り隅田川に出た時に見つけたのがこの紫陽花
写真の醍醐味はその被写体が持つ魅力を最大限に引き出すところにある。のまま撮影するのではなく、そこにストーリー性を含ませる事。そうする事での魅力がより一層際立ち自身も喜んでくれるだろう。
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可愛いポピーに首ったけ。

ポニー



たくさんの花の中から
君だけを
見つけたんだよ



葛西臨海公園観覧車ポピー畑。この日は風が強く、このポピーを撮るのに随分と苦労した。高価な一眼レフカメラなど買えないのですべてスマフォで撮影。ある意味、写真撮影はスポーツだと思う。被写体を探し求めてよく歩くし、集中力、観察力、体力が不可欠。この日の歩数は2万歩を越えた。距離に換算すると13キロ余り。休憩は食事の時に10分程度で後はひたすら歩いていた。
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あの日(遠い記憶の彼方で)。

こと江


あの日 僕は母さんに
会いに行ったんだよ
木町に帰っていると
父から 聞いたから
父は 会いに行って来いと
言ってくれたんだよ
だから 僕は少し照れ臭かったけれど
勇気を出して 行ったんだよ
でもね 母さん 
僕の眼には女の人が三人いて
誰が母さんなのか分からなかった
だから そのまま会わずに戻ったけれど
三人とも母さんに見えたから
少し得した気がしたんだよ


※写真は藤枝市木町(現在の茶町)にある母の実家と祖母のこと江。祖母は眼に入れても痛くないほど私を可愛がってくれた。1989年糖尿病により76歳で生涯を終えた。私の記憶は小学校に上がる前のものなのでおぼろげに覚えている部分を強調して書いた。おそらく三人の女性は叔母たちで母は含まれていなかったと思う。
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