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詩集 天国の地図(レヴュー)。



詩集・天国の地図(文芸社から頂いた書評一部抜粋)。

*作者が20歳から28歳までの間に綴られた、全62作品からなる詩集である。「あとがき」によれば、作者が詩に興味を持ったのは20歳の時だという。そして、最初に手にした詩集は『伊藤整詩集』と『高見順の死の淵より』の2冊だったとも記されている。
作者は幼いころ「心臓弁膜症」に罹患し、最初に手術を受けた時のことを回想して、『手術台に上がれば』を書いたとのことである。それをきっかけに、いつの間にか62作品の詩が出来上がっていたらしい。そして、心臓弁膜症に起因するうつ病を患い、現在は回復の途上にあると記されている。ここに本作品群の最大の特質があると言えるだろう。
「うつ病」を克服し、社会復帰を目指す作者の個人史が、その内面の必然性によって詩文の形に表出した、痛切ながら鮮やかな「青春物語」なのである。
*「記念すべき最初の詩」と作者自身が言う『手術台に上がれば』は、純粋な孤独感を表現した作品と言えるだろう。社会的な関係によって成立する作者の日常世界が、手術という出来事によって断ち切られ、それによって自覚された意識の反復が、言語世界として抽象化されている。
「けたたましい車の騒音が/私の耳をつんざく/ああ――/今日もまた彼等は/あの騒がしいラッシュアワーの中を/仕事に出掛けて行く/愚かな独り言を呟いて/私は又眼を閉じた」―― 「私」は「彼等」とは異なる世界に疎隔されている。かつては自分も所属し、ほとんど意識することもなかった日常世界、それが今は決定的に遠いものとなり、 もはやそこに自分の居場所はない。断念と諦念、その後に訪れた孤絶感の淵に作者は重く佇んでおり、本作品はそれを見事に描き切っているのである。

*『偽りの蒼い空』や『不安』といった作品も強く印象に残る。『偽りの蒼い空』は、破綻した「愛」を扱った詩である。 「荒涼とした海の上を/私の魂は彷徨っている/現在と過去が綾取りをして/記憶の中を交錯している」といった部分では、青春の詩人・ランボーやヘルダーリンを彷彿とさせる、青春期のたゆたうような精神の「彷徨」が率直に表現されていると言えるだろう。また。『不安』では、「宿命」的な「病」への罹患体験 を経て、作者はその奥に「原罪」を見出していく。「眼に見えなく/形のないものが/僕の背中に横たわっている/それは/ずっしりと重く/動かない」―― 「不安」とは、無根拠に人間の精神を蝕み、苦しめ、抑圧するものである。それを作者は「原罪」と読み替えて解こうとしているのである。

*表題作『天国の地図』は、「死」という非日常の実感を「日常」世界に取り込んでしまった、作者にしか表現することのできない、洒脱で、距離感をもった作品と言えるだろう。
実際には余人の想像を大きく上回る苦しみであったに違いない。だが、作者は自己を「他者」として捉える視座を保っており、詩文には見事な距離感が達成されているのである。重みと痛切さの中にも洒脱さが感じられる所以である。
同様の苦しみの中にある読者なら大いに勇気づけられるだろうし、それ以外の人々も深く共感することだろう。


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漆黒の闇を切り裂く震度7!

北海道地震


 台風21号の爪痕も生々しく残り、その暴風の凄まじさをまざまざと見せ付けられたその矢先に北海道を襲った震度7の地震は『平成30年北海道胆振東部地震』と命名された。この地震で、道内をカバーする火力発電所が連鎖的に尽く運転を停止し、大規模停電ブラックアウト)を招く事となり、人間が創り上げて来たデジタル文化は一瞬にして自然の猛威の前に崩れ去った。
 地震による死亡者は10日の時点で41人となり捜索は終了した模様。最も懸念されていた電力不足は14日になって漸く電力供給の見通しが立ったとして、これまで続いていた節電目標20%は解除され数値目標なしの節電要請に緩和されたが地域によっては依然として過酷な状況が続いているようだ。
 物流停滞による食料品や飲料水、ガソリンの不足も札幌をはじめ道内各地で続いているため、市民生活を大きく脅かす材料となっており、一刻も早い交通網の整備と物流再開が待たれるが全面回復までにはまだ相当の時間が掛かるようで、未だ1500人あまりが避難生活を余儀なくされ、不安な日々を送っている。電力よりも更に厄介なのが水道管の破裂などによる断水だ。水は生活のあらゆる面で必要不可欠であり、命を繋ぐ最も大切な部分であるだけに一刻も早い復旧が望まれるが、未だ見通しは立っていない模様。
 7年前の東日本大震災発生時も、東京は震度5強の地震に襲われ、私の住む板橋区でも大きな横揺れが15秒ほど続き、至るところで被害が生じた。当時、私は体調が優れず床に臥せっており、地震発生時はひたすらベッドにしがみ付くしかなかった。棚の上に置いてあった大きめの空気清浄機がベッドの上に倒れ込み、押し入れの奥で寝ていた愛猫タラが物凄い勢いで飛び出しベッドの下に潜り込んでしまった。それから丸一日ベッドの下から出て来る事はなかった。
 危険を敏感に察知する能力は人間より動物の方が優れているのだろう。この時もやはり物流がストップし、食料品などがスーパーやコンビニの棚から消えてしまった。食料に困った私は静岡の友人に連絡を入れ、食料などを送ってくれるよう頼んだが、到着までに随分時間が掛かった記憶がある。それまでは非常食用にストックしておいた缶詰やレトルト物で凌いだ。
 豪雨、台風、地震と今年は例年以上に自然災害の発生が多い。しかもこれまでの常識が通用しない想定を越えた災害ばかりである。命を落とすほどの危険が身近になりつつある現状では、「まさか」と言う思い込みを捨て、あらゆる状況から身を守る術を学び身に付ける必要があるだろう。
 今年の冬の始まりが早い事を裏付けるかのように、北海道では130年ぶりの氷点下を観測したと言う。不自由極まりない避難生活が長引くほど心労が蓄積し、ストレスなどによって体調不良を起こし、命取りになるリスクも十分に考えられる。本格的な冬が到来する前に、温かい暖を取れるよう一日も早い完全復旧と平穏な日常が戻る事を祈るばかりである。

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ちびまる子ちゃんと清水時代の事(追悼)。

ちびまる子



 子どもから大人まで幅広いファン層に支持され、愛され続けた国民的人気アニメちびまる子ちゃん』の作者・さくらももこさんが、8月15日乳がんのため亡くなった。まだ53歳というその早すぎる死に多くのファンや関係者が言葉を失い悲嘆に暮れた。
 彼女ががんで闘病中だった事は一切公表されたいなかったこともあり、訃報が届いた時は「まさか?」の不意打ちで誰もが素直にその死を受け入れる事が出来なかったのではないだろうか。ここでももこさんについて多くを語る必要もないが、同じ郷里の出身者として鎮魂の意味も込めて記しておきたいと思う。
 彼女自身の幼き頃の姿を投影した「ちびまる子ちゃん(漫画)」は累計3千2百万部を越える国民的ベストセラーとなり、1990年からはアニメ化も始まり、日曜日の夕暮れ時、一家団欒のお茶の間には無くてはならない番組となった。主題歌の『おどるポンポコリン』は日本レコード大賞を受賞するなど、累計売上190万枚とアニメソングとしては空前絶後の大ヒットとなった。
 私は養護学校を卒業した後(15~16歳)、清水市(現:清水区)駒越にある療養型職業訓練施設に入所し、そこで約2年を過ごした。清水市万世町には親戚がおり、食道がんで亡くなった親友(53歳)も清水市出身で、友人・知人も多く住んでいるため清水は馴染み深い土地であった。
 休日ともなれば清水銀座商店街を友人たちと闊歩し、駅前銀座にあった長崎屋の販売員にひと目惚れし通い詰めたりと、恋愛の真似事や、早く大人になりたくて必死で背伸びしていたものである。施設から徒歩10分も歩けばそこには久能海岸が広がっており、波打際に並んだテトラポットに、駿河湾の荒波が音を立てて砕け散っていた。思春期の甘酸っぱい想い出がぎっしり詰まった清水時代でもある。
 海岸から富士山の方角に視線を投げれば手の届きそうな所に三保の松原があり、さくらももこさんもおそらく何度かは訪れていた事は想像が付く。彼女が清水市のどの辺りに住んでいたのかは知らないが、もしかすると幼少期の彼女と何処かですれ違ったり、施設の近所で元気に遊び回っていた小学生の女の子がももこさんだったりしたかも知れない。
 昭和49~50年前後の何気ないありふれた日常の一般家庭を描いた『ちびまる子ちゃん』の世界観は、昭和の良き時代のノスタルジーと相まって多くの人々の共感呼んだ。そしてまた現代社会で失われつつある家族本来の姿をユーモアも交えつつ、人との繋がりや家族の大切さを分かりやすく伝えてくれていた。
 きっと今頃は広い空の上ではしゃぎならが走り回っているちびまる子ちゃんが居るに違いない。さくらももこさん、お疲れさまでした。安らかにお眠り下さい(合掌)。

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息子と6年ぶりの会食!

悠飛2018


 7月21~22日の2日間、新潟にいる息子が上京して来た。21日は娘の所に泊まり翌日の22日、夜10時に西台駅で待ち合わせをして、そのままタクシーでアパート近くにある和食レストラン『とんでん』に入り遅いディナーを愉しんだ。
 私が注文した料理は和風ハンバーグ定食と生ビール。息子は秋葉原で友人と軽く食べて来たようで、ざる蕎麦とミニオホーツク丼。6月に娘と焼き肉を食べたので約1ヶ月ぶりの外食である。以前にも何度か話している通り、普段は味の薄い腎不全食(病人食)だから、この定食の量と味に「食べ切れるだろうか?」と一抹の不安を覚えたが、箸を付けてしまうと見た目よりも意外とあっさり味で、息子の顔を見られた事の喜びも相まって残す事なく全部を平らげる事が出来た。
 一人の時はアルコールも飲まないので、空きっ腹に僅か一杯の生ビールが身体中に染み渡り、顔が紅くなってしまった。息子と最後に会ったのは2012年の正月、まだ高校生で17歳だったから、6年ぶりの再会となる。高校生の時より少し太ったように見えたが、幼い頃の面影は健在で、肌が白いのは私の母に似たのかも知れないと思った。
 そんな息子も2年前に地元の娘さんと結婚し、今では一児の父親である。つまり私は「おじいちゃん」と呼ばれるようになった訳である。3人の子どもが居て、そして孫にも恵まれこれほど幸せな事もないだろう。天から授かったようなこの幸せを壊さない為にも、出来るだけ元気で長生きしなければとつくづく思う次第である。
 数年前、息子が私の詩集に興味を持ち、「手元にあるなら1冊送って欲しい」と言われた事があり、早速、送ってやると、数日経った後に詩の感想がlineで送られて来た。具体的な感想ではなかったが、お気に入りの作品が4点ほどあったらしく、詩集を大切に扱ってくれているようだ。その息子が今は小説を書いており、その短編小説が2次審査を通過し、雑誌に名前が載ったというではないか。母親が絵本作家だからやはりその血を受け継いでいるのかも知れない。
 母親曰く、かなりハイレベルな小説を書くようでついていけないと感心していた。自分の事はともかくとして、これでまた将来の楽しみが一つ増えたという事にもなる。私も息子に負けてはいられない、執筆途中の小説を元気な内になんとしても完成させなくては…。

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面影花火。

面影花火01



夜空を焦がして 舞い散る想い
たわむれ花火に 身をまかせ
浴衣の紐を ほどいたの
痛いほど突き刺す あなたの眼差し
忘れることなど なかったわ
けれどあなたは 遠い遠い空の果て
面影花火に 涙がにじむ

見上げるわたしと 見下ろすあなた
二人の間に 極彩色の雨が降る
夜空に消えゆく あなたの姿
追い掛けて 縋り付きたい この想い
わたしに 懺悔の抱擁 くれますか
けれどあなたは 過去の人
面影花火が 空に舞う

ヒュルル ヒュルル ヒュ~ルル
面影ゆれる 火花の海に
ヒュルル ヒュルル ヒュ~ルル
落ちる涙は 未練のしずく


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病気は薬と二人三脚で。

糖尿2018


 8月に入っても相変わらずの猛暑が続き、この暑さを喜んでいるのは喉を枯らして啼く蝉くらいのものだろうか…。私のように循環器系、特に心臓疾患を抱えている者としては、冬の寒さよりも汗をたっぷり掻く夏場の方が調子は良く有り難い。
 過去の例を取ってみても夏場に入院した事は一度もない。昨年8月の入院は抜歯の為だったので入院の数には入れていない。それを考えると一年以上に渡り入院とは縁がない、つまり心不全を起こしていないのである。
 数年前に心不全で緊急入院した時、担当医から3回目の心臓手術の話しを持ち掛けられたが、その手術が必ずしも現在の病状を回復させるものになるとは言えず、切ってみなければ分からないというギャンブル的要素もあったため即答は避け、その代わりもし夏場でも心不全を度々起こすようなら手術をお願いすると回答した。
 そんな事もあり、今年の夏が長ければ長いほど私は元気でいられると言う事になる。現時点で体重の増加は認めても浮腫むような事もなく、不整脈もバラバラながら落ち着いている。ところがである!5月の循環器・腎臓外来で、新たな病気が発覚したのである。それがなんと糖尿病…。循環器の主治医がたまたま血液検査を指示したのだが、HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)6.8、空腹時血糖値128と言う数値を見て主治医から「神戸さんこれは立派な糖尿病ですよ」と告げられてしまった。
 肝硬変の時と同様で私にとっては「寝耳に水」だった。2型糖尿病という事であったが、特に症状などはなく、切り傷や皮膚の傷が治り難いのはワーファリンを服用しているからであり、持病があれば似通った症状は現れるものである。原因として考えられるとすれば運動不足、年齢くらいのものだが、母方の祖母や叔父が糖尿病で亡くなっている事から、遺伝的要素も多分にあるのだろう。
 糖尿病と言っても数値的にはそれほど慌てて治療するほどでもなく、初期段階のため、血糖値を下げる薬を処方してもらった。それが上の画像、左から2番目の『テネリア』である。一番左の一包化された薬の殆どは循環器系の薬、強心剤、利尿剤3種、血圧を下げる薬、不整脈の薬など15種類。そして右側の薬はもう10年以上服用しているリフレックス(抗うつ剤)、サイレース(睡眠薬)である。
 歳を重ね病気も増えるに従って当然の如く薬も増えて行く訳だが、ここまで種類が増えてしまうと今更一つ二つ増えたところで気にする事もない。大切なのは薬だけに頼らず、薬の持つ効果を出来るだけ発揮させるために、生まれ付き持っている自己治癒力を信じ、前向きに病気と向き合う事である。病気は薬と二人三脚で治す、或いは改善させるものだと思う。

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地球温暖化と熱中症時代の到来!

熱波 


 先ずは皆さま、暑中御見舞い申し上げます。
 猛暑酷暑、そして烈暑と外出するのも躊躇うような殺人的な暑さが連日続き、埼玉県熊谷市では観測史上最高気温の41.1℃を記録するなど、日本列島各地が灼熱地獄と化している。僅か1週間に熱中症救急搬送された人が全国で2万2千人を超え、そのうち死亡者が65人にも及んでいると言う。まさにこれは災害ならぬ炎害であり、熱中症時代の幕開けとも言えるだろう。
 この猛暑は日本だけではなく世界各地で起こっており、米カリフォルニア州デスバレーでは52℃を観測、90人以上の死者が出るなど猛暑の凄まじさを物語っている。北欧の北極圏でもノルウェーで33℃を超え、スウェーデンでは至る所で森林火災が発生していると報じられている。またある国では猛烈な熱波の影響でアスファルトが溶け出し、中のコールタールが車のタイヤに絡みついて走行不能に陥ると言った信じ難い情報も飛び交っている。ベトナムでは南シナ海で発生した台風の影響で大洪水に見舞われて多数の死者が出ており、中国でも19万人が避難するなど、猛暑と豪雨がセットとなってアジア各地に被害を齎している模様。
 WMO(世界気象機関)によれば「北半球で異常な高温や豪雨、干ばつが発生するなど世界各地で異常気象が起きている」と警鐘を鳴らしている。これらの現象が気候変動によるものかは特定できないにしろ、温室効果ガスの上昇傾向には関連しているだろうと述べており、各地の異常気象の背景に森林伐採などの環境破壊も地球温暖化に拍車をかけているものと思われる。
 このまま温暖化の状態が進めば、そう遠くない未来で35℃を超える体温並みの気温が当たり前となり、日本では四季が無くなり夏と冬だけが交互に訪れるという、極端な気候に陥り、私たちの生活環境や生活スタイルも大きく変化せざるを得ない状況になる事も考えられる。
 日本の美しい四季を守るために私たちがやるべき事は温室効果ガス排出削減の努力であり、それが自分の身を守る、或いは未来の子どもたちに残す環境と言う財産にも繋がるのである。地球の環境を生かすも殺すも私たち人間の心がけ次第、自分の命を守りたければ地球に優しく接する事、それが責務ではないだろうか…。

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雨が恐怖に変わる時(西日本豪雨に思う)。

西日本


 地震の次は大雨と、次から次と襲い来る自然の猛威に、私たち人間は為す術もなく余りにも無力だ。家を失うのは致し方ないにしても最優先すべきは命であり、生きてさえいればやり直す事は出来るが然し、有無も言わさぬ突然の喪失感は後にPTSDとなって人の心を蝕み苦しみ続けるかも知れない。それでも人間の持つ未知なるパワーを信じて、明日に向かって歩を進めなければならない。命ある限り希望は必ずや見えて来るだろうから。
 平成に入り最悪の水害となった西日本豪雨。休むことなく3日3晩に渡り降り続いたその雨は、聖書に登場するノアの大洪水を想起させるほどだった。空には湿り気をたっぷり含んだ暗雲が重く垂れ込め、未曾有の雨が容赦なく地上に降り注ぎ、各地で土砂崩れを招き、河川は堪り兼ねたように氾濫し木材や巨大な岩石を押し流し、川沿いに点在する町や村を尽く呑み込んで行った。
 私はこの凄まじい豪雨のニュースを知った時、44年前に故郷の静岡を襲った水害を思い出さずにはいられなかった。それは私が10代の時に体験した大災害の事であり、『七夕豪雨』と命名され、人気アニメ『ちびまる子ちゃん』の中で『まるちゃんの町は大洪水』と題して紹介されている。
 台風8号の影響を受けた梅雨前線の活動が活発になり、24時間連続降水量が508ミリに達し、静岡地方気象台観測史上最高記録となった。この雨により静岡市内を流れる安倍川と、清水市内を流れる巴川が各所で決壊、氾濫が発生、昭和史上に残る大水害を招いた。当時の私は仕事をしながら夜間のデザイン学校に通っており、その夜は課題のデッサンを完成させるため、会社の事務所で一人、黙々と鉛筆を走らせていた。雨が降り続いているのは知っていたが気にも留めなかった。
 時計が午前0時に差し掛かり、眠気も強くなったので帰る準備をし、1階作業場のシャッターを開けて外を見た時、真っ暗な空から槍の先のような雨が凄まじい音を立ててアスファルトの地面を叩きつけていた。それは初めて雨の恐怖を肌で感じた瞬間だった。この雨ではとても帰れないだろうと思い、その晩は事務所のソファに寝る事にしたのだが…。
 睡魔に襲われ深い眠りに落ちた後、どのくらい時間が経過したか分からぬが、耳元で「ピチャピチャ」という水の音に起こされた。事務所の電気は点けたままにしておいた筈だったが、それも消えて辺りは真っ暗闇。外では相変わらず激しい雨音がしている。ソファの少し下に手をやると一面が雨水で溢れ返っており、「このままではヤバイ」と身の危険を感じたため、真っ暗な中を手探りで2階の作業場に避難し、雨が止むのを震えながら待った。
 外が明るくなると同時に雨も止んだため、少し安堵しつつ1階の作業場を覗くと泥水と一緒にあらゆる物がプカプカと浮かんでいる。これは大変な事になったと不安が身体中を駆け巡った。1階のシャッターを開け外に出ると辺り一面がまるで海のようになっており、茶色の泥水に混じって瓶や缶、日用品などが止めどなく流れついていた。
 兎に角、自宅に帰らなくてはと思い、泥水の中を歩いて行ったが水は腰の辺りまで達しており、徒歩数分の所にある自宅アパートまでは随分時間が掛かってしまった。路地から広い通りに出ると、普段なら車の往来で激しい道路の上をモーターボートが水飛沫を上げて走っていると言う信じ難い光景を目の当たりにした。自宅は2階だったため難を逃れる事が出来た。そしてそれから一週間はゴミや土砂の片付け、消毒作業などに明け暮れ、洪水前の日常が戻るまでに一ヶ月ほど掛かった。2階の屋根辺りまで泥水に浸かった家の住人が屋根から助けを求め、自衛隊のヘリが救助しているシーンをいまでも鮮明に覚えているが、残念な事に同級生数人の家はこの豪雨で流されてしまったと言う。
 このような経験はもう二度としたくはないが、いつまた災害に巻き込まれるか明日は我が身である。先ずは安全確保と命を守る事に徹し、災害を乗り切って行ければと思う。最も被害の大きかった広島、岡山、愛媛の各地域では、急ピッチで復旧作業や捜索が続いているが、連日の猛暑土砂瓦礫の山に阻まれ、作業は難航している。
 困っている時はお互い様である。こんな時ほど普段の人との繋がりが如何に大切であるかを思い知らされる。炎天下での復旧作業は想像を遥かに超えるほど人の体力を奪って行く。避難所生活が長引くほど心身の疲労は蓄積して行くだろう。辛い時だからこそお互いに助け合いマンパワーを信じて乗り切って行って欲しい。最後に被災された方たちへのお見舞いと、犠牲になった多くの方々のご冥福を祈り、一日も早い復興が進む事を願って止みません。

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星に願いを込めたなら(七夕に寄せて)。

天の川



七夕祭りの 夜も更けて
あの娘もきっと今頃は 短冊片手に願いを馳せる
星の瞬き溢れる想い 夜空の果まで旅支度
星に願いを込めたなら
天の川さえ 流れを止めて
二人の行く末 見守るでしょう
年に一度の逢瀬と知って 夜空の神さま紅ら顔
星に願いを込めたなら
宇宙の果で 散歩する
二人の星が 一つになって
僕の短冊 想いと一緒に 宙(そら)に舞う
星に願いを込めたなら
笹舟ながるる 天の川
向こうの岸まで 届けておくれ


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地震より怖い人災事故。

大阪地震


 都市部に於ける地震対策が旧態依然とした現状を裏付ける形となった、大阪北部地震。地震の発生が最も混雑する通勤・通学の時間帯という不運も重なり、各駅の周辺では次々と人の波が押し寄せ、大混乱を招いた。緊急停止したエレベーターに閉じ込められた人の数は300人を超え、狭い空間で恐怖に慄く時間を体験する事となった。
 鉄道や高速道路などの交通網が広範囲でマヒし、膨大な数の人の移動に影響が出るなど、ガス・水道のライフラインも寸断され大都市の脆弱性が浮き彫りとなり防災に対する多くの課題を残す結果を招いている。
 今回の地震は過去の巨大地震と比べれば特別大きいわけではなく、中規模地震といえるだろう。然し、都市直下型だった事が予想を遥かに超える被害を生じたとものと考えられる。更に阪大で行われていたiPS細胞を使った重篤な心臓病を治療する世界初の臨床研究が地震により設備の一部が壊れるなどしたため、大幅に研究が遅れる結果となり、研究者たちも一様に落胆の色を滲ませていた。
 この地震では5人の方が犠牲になり亡くなっているが、連日報道されているように、小学4年の三宅璃奈さんが倒壊したブロック塀の下敷きになり死亡した事故では、過去に違法建築物である危険性を専門家から指摘されておきながら、改善処置を講じなかった市の職員、学校関係者並びに建築業者の責任であり、明らかに人災による事故と言わざるを得ない。
 喉元過ぎれば熱さ忘れると言うが、自然災害に対して私たちはこれまで幾度となく経験し、辛い思いをして来たにも関わらず、過去の体験から得た教訓を活かし切れていないのも事実である。忙しない日々の日常を送っている内、普段の気持ちの中に油断や隙間が生じ、大切な事を忘れがちになる。
 日本列島の地下は数多くの活断層が縦横無尽に走り、日本の何処で大地震が起こっても不思議ではない状況である事を意識し、防災への心構えを再認識しておくべきだろう。最後にこの地震で罹災した多くの方々へのお見舞いと、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして被災地での復興が一日も早く進み、平穏な日常を取り戻せる事を願います。


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虐待児の子守唄(船戸結愛ちゃんに捧げる)。

結愛



声を 殺して 見上げた空に
流れる 涙の せいかしら
ぼんやり にじむ お月さま
両手 合わせて 瞳を閉じる
ゆるしてください お母様
幼い 心の 願い事

丸い 笑顔の お月さま
お母様には 内緒にしてね
光も 届かぬ 暗闇で
勉強机が 一人ぼっちで 泣いていた
宿題 書かなきゃ 叩かれて
今日の ゆうげは お預けよ

やさしく きれいな お月さま
わたしの代わりに 泣いてるの
守りきれない お約束
わたしをたくさん 責め立てる
父 母 いじわる 通せんぼ
ゆるしてくれずに 通せんぼ



※痛ましい虐待事件がまた起きてしまいました。無力な人間の一人として供養の意味を込めてこの子守唄を書きました。虐待を受けた経験のある者として胸の張り裂ける思いです。船戸結愛ちゃん、安らかにお眠り下さい。

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幸せを運ぶ回転寿司。

回転寿司2018.4.22


 4月下旬、昨年の12月以来、久しぶりに娘と会食を愉しんだ。都営三田線の西台駅前にある『魚屋路(ととやみち)』で、4ヶ月振りの回転寿司。腎機能低下を考えると折角の寿司が不味くなるので、外食の時は病気の事をなるべく忘れるようにしている。
 娘が主役だから娘の注文した物に少し箸をつける程度だが、普段の食事が味気のない腎臓食なので少量でも十分腹を満たす事が出来る。然し、最近はその腎臓食にもだいぶ慣れてきたせいもあり、外食の味の濃さに眉をしかめる時がある。
 病気を抱え厳しい食事制限のある中では箸をつける事に躊躇いが生じ、思うように食が進まない事も多々あるが自分の限界をわきまえてさえいれば、十分に料理を愉しむ事は可能だと思っている。
 くるくる回る回転寿司を眺めているだけでも食べた気になれると言うのも不思議であるが、眼で愉しむのも食事の醍醐味だと思う。どうしても口に入れたい物がある時は娘と二人で半分ずつ分けて食べる。
 健康的で若い娘が次々と回って来る皿を手に取り、元気に寿司を頬張る姿を見るのも親として幸せのひとときだと思う。最後には必ず甘いデザートを一つ注文するが、それも親子で半分ずつ食べるようにしている。
 このように親子で会食を愉しむ時間がこれからも末永く続くよう、私は私なりに病気の進行を遅らせる努力を怠らないようにしたいと思う。幸せを運んでくれる回転寿司に感謝しながら、娘と二人店の外に出ると、沈みゆく太陽が西の空を真紅に染め上げていた。

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さよなら、ヤングマン(西城秀樹さんを偲ぶ)。

西城秀樹


 昭和から平成にかけて時代の寵児として駆け抜けた歌手・西城秀樹さんの告別式が5月26日、港区の青山葬儀所で行われた。会場には数多くの著名人や芸能関係者、ファンなど約1万人が参列し、故人を偲んだ。
 親交の深かった野口五郎さんと郷ひろみさんが弔辞を読み上げ、遺影に別れの言葉を贈った。5月16日の昼頃に届いた突然の訃報には、誰もが「信じられない」といった様子で言葉を詰まらせていた。2度の脳梗塞を患いながらも持ち前の精神力で復活し、リハビリに励む彼の姿は多くの人々に勇気と希望を与えてくれていただけに、彼のあまりに早すぎる死が残念でならない。
 私自身も2013年1月に脳梗塞で右半身が完全に麻痺し、死の崖っ縁から奇跡的に這い上がって来た経緯があるため、とても他人事には思えないのである。
 おそらく西城さんの身体は見た目よりも、眼に見えない部分がかなり疲弊していたのではないだろうか。急性心不全を招く危険因子は、高血圧・糖尿病・高脂血症などの脂質代謝異常から風邪などの感染症、アルコール、ストレスなど多くのものが複合的に絡んでいる。これらの危険因子が原因で致死性不整脈を引き起こしその結果、急性心不全に至り命を落とす事もある。
 生涯現役を貫いて来た西城秀樹さんは、リハビリを続けながらステージに立ち、歌手活動を続けて来た。もちろんその裏には献身的な家族の支えがあったからであり、人一倍健康面でも気を使っていたはずである。然し、芸能界は私たちが想像する以上に厳しい世界。脳梗塞を発症後、引退も考えたが、2人目の子どもの誕生を控えていた事もあったようで、それが引退を思い留まらせたようだ。豪快で負けん気の強い性格も脳梗塞の引き金になっていた部分もあったのかも知れない。
 1979年2月にリリースされた西城秀樹さんの代表曲であるヤングマン(Y.M.C.Aヴィレッジ・ピープルのカバー)はその振り付けが一大ムーブメントを引き起こし、社会現象にもなった大ヒット曲として知られ、その後も多くの歌手たちがカバーしており、現在ではワイモバイルのCMソングとして起用されている。
 西城さんの歌はこれからも末永く多くの人たちによって歌い継がれて行き、色褪せる事なく私たちの心に寄り添ってくれるに違いない…。
 謹んで心よりご冥福をお祈り致します(合掌)。

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麻生太郎のセクハラ漫談。

失言  


 忖度、改ざん、隠蔽、疑惑、辞任、撤回、失言、暴言、セクハラ…これらの単語は私が思い付いた政治家や官僚たちのキーワードであるが、他にもまだまだあるだろうし実に情けない話しである。政治家の失言や暴言は今に始まった事ではないが、失言ランキングなるものを付けるとすれば、おそらく麻生太郎氏が断然トップではないだろうか。
 副総理・財務大臣と言う二つの重要ポストにあるお方が、その肩書に泥を塗るような発言をするなど、全く不名誉な事である。
 女性記者へのセクハラ報道を受け辞任した福田淳一氏を擁護するような誤解を招く発言で、女性団体関係者らが抗議の声を上げ、麻生氏に反省と謝罪を求めたが、それも当然の話しである。
 「セクハラ罪という罪はない、殺人とか強制わいせつとは違う」。確かにその通りではあるが、ならば犯罪でなければ何を言っても(やっても)よいのか?という事になる。これはモラルの問題でもあり、モラハラにも相当するのではないだろうか?
 近年、このハラスメント(嫌がらせ)が社会の大きな問題となり、これに関する話題をニュースで聞かない日はないほどになっている。この背景には人間の美徳である『人を敬う心』が大きく欠如して来た事が要因となっている部分もある。自分を律する気構えと、他人を思い遣る優しい気持ちを忘れている人の何と多いことか…。
 国会に眼を向ければ、イラク日報問題、森友・加計問題など、自殺者まで出しておきながら、真実の行方は未だに明らかにされず隠蔽体質の政治家や官僚たちの答弁が議事堂を空虚の渦に巻き込み、真実の欠片ひとつも見出す事が出来ない。
 人の上に立ち、公職という思い重責を担っている者は、その襟を但し人の模範となるような行動を取るのも役目のひとつである。残念ながら現在の日本にはそのように志しの高い政治家が非常に少ないのも事実である。
 『人のふり見て我が振り直せ』という諺がある。今の日本に足りないものはきっとそれなのかも知れない。私も十分気を付けたいと思う。

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ライブの余韻が譜面に残り。

譜面


 演奏が終わり観客が引き上げたステージで、男が一人譜面を見詰めていた。自分の歌を確かめるように、音符を一つずつ拾い集めギターの弦を震わせた。人が喜び楽しめる曲を作りたいと彼はいつも思っていたが、独りよがりの歌声は人の心には響かない事は分かっていた。
 譜面は嘘をつかないから、自分の音魂の鏡でもあると思う。今日のステージを振り返りながら、曲の構成を確かめてみる。スタンドバイミーの様な誰もが知っている名曲は受けが良い。客の反応は既にイントロで分かるもの。
 俺がビートルズのメンバーだったらこんな風に歌うだろうと、ヘイ・ジュードを演奏する。譜面をめくりながら曲の余韻を確かめる。「○○君、そろそろ帰るよ」ミュージシャン仲間が声を掛けて来た。腕時計を指で確認しながら、愛用のギターをケースに仕舞い込む。
 慣れた手付きが白い杖に伸びる。「足元気をつけて」と仲間がホールの電源を切った。彼に暗闇は関係ない。心に刻まれた譜面を閉じて、盲目のライブが終わりを告げた。

※友人でミュージシャンの『江戸川レノン』さんをモチーフに描いたフィクションです。

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術後29年の軌跡と最大のピンチ!


 4月28日で弁置換術を施してから29年目を迎えた。三井記念病院を最初に受診したのはその1年前の1988年11月なので、それを含めると30年になる。その長い闘病の期間に最も命の危機に見舞われたのは2008年6月8日の事だった。
 その日は定期的な心臓血管外科の外来日で、いつも通りに午前9時頃に家を出たのだが、高砂の駅に着くまでの数分間、普段よりも息切れが激しい事に気付いた。心臓病を患っている私にとって息切れは日常的な事だったので、電車の座席に座っている内に治まるだろうと考えていた。
 ところが、いつまで経っても一向に息切れが治まらない。特に胸の違和感も無かったし、不整脈もそれほど酷い訳ではなかったので、あまり気にせず外来を受診。心電図を録り始めた矢先、担当の技師が血相を変えて部屋を飛び出して行った。そして外来の看護師が車椅子を持ってやって来ると、「神戸さん慌てなくてよいので、ゆっくり車椅子に移って下さい」と、誘導する。この時点でやっと自分の身体に異変が生じている事を認識した。
 そのまま外来へ戻ると主治医から『不安定狭心症』と告げられ緊急入院を促される。入院の支度が出来ていないので、一度家に戻りたい事を告げると「駄目です!いつ心筋梗塞に移行してもおかしくない危険な状態です」と一蹴されてしまった。この時、私は事の重大さをあまり深刻に受け止めていなかったようだ。
 家族に電話を入れ、事の次第を話し、荷物を持って来てもらう事にした。入院棟は7階の救急病棟で、24時間絶対安静と絶食、そしてヘパリンの点滴が1週間続く事となる。その日は折しも『秋葉原連続通り魔事件』が発生した日で、病院の外はパトカーと救急車のサイレンがけたたましく鳴り響いており、三井にも被害者が一人運び込まれたが残念ながら既に息絶えていたらしい。
 緊急入院から1週間が経過し、様々な検査を経て循環器内科の担当医(現在の主治医)によるカテーテル治療が施され、右冠動脈ステントを挿入した。上記の動画はその際の映像である。左右が逆に写っているため見づらい部分もあるが、右冠動脈の中央辺りが千切れそうなほど細くなっている部分にステントが挿入され、血流が回復して行く状況がお分かり頂けると思う。そしてその上部にある機械弁が開閉している様子も見て取れる。
 偶然にも外来受診日に狭心症を発症したため、直ぐに処置を行い九死に一生を得た訳であるが、これが普段の生活の中で発症していたら手遅れになり、今の私は存在しなかったかも知れない。それを考えるとこれも『奇跡』のひとつなのではと思う。然し、奇跡とは偶然ではなく、日々の努力の積み重ねとそれに『運』が相まって起きるのではないだろうか。
 待っていても奇跡は訪れない、自分から招き入れる普段の気構えと運気を上昇させる努力を惜しまない事だと己に言い聞かせつつ、これから先もピンチは幾度か訪れるかも知れない。然し、希望の灯火を胸に抱き諦めさえしなければ、きっとどんな試練も乗り越えられるだろう。

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永遠の花(fall in love)。

桜2018



満開の桜を見詰める
あなたの優しい眼差しが
わたしの胸を熱く締め付ける
どれほど待ち望んだことでしょう
百年もの間 心閉ざして待っていた
いつかこの時が来ることを信じていた
桜が百年咲いても 花びらが千年散っても
わたしとあなたはひとつになって
永遠の花を咲かせることでしょう
やっと出会えたあなたに
今宵は桜吹雪の投げキッス
桃色小紅は春の風
あなたのために咲かせます



※長らくお待たせ致しました。ブログを通常に戻すと共に、コメント欄も開放致しますので、宜しくお願い致します。
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執筆は最終段階へ!

執筆01

皆さまへ
いつもお世話になっております。
2月中旬頃から始めた執筆活動は、現在最終章へと進んでおりますが、それが終わり『あとがき』を書けば完成となります。
400字詰め原稿用紙200枚程度に収まる予定です。

※コメント解禁までいま暫らくお付き合いのほど宜しくお願い致します。

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テストパターン。

テストパターン


ただいま試験電波送信中、ブログ通常開始まで今暫らくお待ち下さい。
執筆は、400字詰め原稿用紙150~200枚を目標としております。進捗状況は小説全体の半分を越えたところです。
締め切りまで1ヶ月を切っているので多少焦っております…。


※引き続きコメント欄は閉じさせて頂きますので、宜しくお願い致します。

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ただいま執筆中!

執筆中



 皆さまへ。
 小説の執筆に専念するため、暫くブログの更新をお休み致します。再開は遅くとも4月中旬を予定としておりますが、原稿の進捗状況によっては前後する事も御座いますので、宜しくお願い致します。
2018年2月20日
管理人:神戸俊樹


※いつも有り難うございます。
コメントのお返事が思うように出来ませんので、暫くの間コメント欄を閉じさせて頂きます。
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涙のバレンタインチョコ。

バレンタインチョコ



来ないあなたを待ちわびて
溶けてしまったチョコレート
半年前から準備して
今度こそはと心に決めた
届かぬハート片思い
泣くな
わたしのバレンタイン
返して
わたしのバレンタイン
ハートのチョコが悲しげに
涙の海で溺れてる


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首都圏雪百景2018。

東京の雪2018


 東京は季節外れのなごり雪が似合う。イルカの曲ではないが、先日降った雪はそんな生易しいものではなかった。発達した南岸低気圧寒波の影響で、東京の都心で23cmの積雪を観測。雪の勢いが強まった時間帯と家路へと急ぐ人々の帰宅時間が重なったため、各地の駅構内は大混雑となった。
 気象庁や私たちもこれほどの大雪になるとは予想外だった。空・鉄道・道路などの交通網は軒並み大幅の遅れや運休に追い込まれ、帰宅困難者が続出した。雪など自然に対する都会の脆さが浮き彫りとなったが、これが雨季のように数日続いたとしたら首都の機能は完全に麻痺し、東京は陸の孤島と化すだろう。
 北陸や東北など雪国の人々からすれば東京に積もった雪などは子供だましかも知れない。然し、普段は見慣れぬものへの情景はそれ自体が非日常の世界であり、空からの白い使者は何処か心を躍らす魅力に満ちているのも事実である。
 20代前半の頃、石川県の金沢に一泊二日の旅行をする機会があった。雪国への一人旅は初めてで、その興奮で前日の夜はあまり眠れなかったのを覚えている。特急列車の車窓から眺めた琵琶湖の広さに驚愕し海なのか?と思った。
 夕刻、金沢駅に降り立つと、そこはまさに銀世界。降りしきる雪の中に足を踏み込む。然し、私は自分が余りにも雪に対して無知だった事を思い知らされる。トレンチコートに革靴と言ういで立ちは無謀としか思えず、雪道を一歩進むのに随分と時間が掛かってしまった。滑って転ぶ事はなかったが、駅の近くにある旅館に着いた時は革靴とズボンの裾が雪ですっかり濡れてしまっていた。「お客さん、駅からその靴で歩いて来たんですか?お車でくればよかったのに…」と女将さんらしき女性が気の毒といった感じで声を掛けて来た。「静岡は温暖なので雪なんて積もったこともないんですよ、でも準備不足でしたね…」と私は苦笑しながら自分の失態を誤魔化した。
 翌日、目的地である兼六園へと向かったが、旅行の予算がギリギリだったため長靴は諦めた。完全に乾いていない靴が深い雪道で更に濡れ、その雪の冷たさが足元から全身に伝わり、風情ある雪一色の兼六園を愉しむ余裕は殆どなかった。
 1月22日の深夜、雪が止んだのを見計らって、防寒服に身を包み外へ出た。降り積もった新雪の上をザクザクと小気味よい音を立てて歩く。吐く白い息と凍てついた外気で眼鏡は瞬く間に白く曇った。辺り一面の銀世界で、時も場所も忘れて雪の中に吸い込まれて行く自分がいた。桜の木枝に積もった雪がまるで夜桜に見え、思わずカメラを向けた。
 心臓の悪い私がこんな凍てつく夜更けに、しかも雪の世界に飛び出すのは余りにもリスクが高すぎる。心臓発作を起こして倒れても誰も同情しないだろう。だが、今年の冬は今までとは明かに違い意外と調子が良いのである。だから無茶な行動も何の躊躇もせず出来る。この調子で行けば最も入院リスクのある2、3月も無事に乗り切れる気がする。後は陽気な温かい春の訪れを待つだけだ。今年の抱負『勤勉と努力』を一歩ずつ実践して行こうと思う。
※インフルエンザが猛威をふるっております。皆さま、十分お気を付け下さい。

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外食はいつも病気と隣り合わせ。

2018新年会


 元日の初日の出を拝み忘れていたので、それは丁度よいタイミングだった。1月2日、青い海のように果てしなく続く空と、そして連立するビル群の隙間から差し込む陽射しが眩しい。天を仰ぎながら、眩い輝きを放つ神に一礼する。
 例年同様、今年も川崎市在住の友人と秋葉原にある居酒屋『天狗』で新年会を兼ねた会食。男二人だけの新年会は寂しいものではあるが、彼とは養護学校時代からの知り合いで、40年以上に渡り自分の家族よりも長い付き合いとなる。
 相手の長所・短所そして人生の浮き沈みまでお互いに知り尽くしており、気心の知れた間柄で、おそらくこの関係は命のある限り続いて行くのだろう。長いようで短い人生において、このような喜怒哀楽を分かち合える友人に巡り合えた事は運が良かったとつくづく思う。
 付き合った友人が悪かったため、酒に溺れ人生の歯車を狂わせてしまった父のように、人生を大きく踏み外してしまう人も多い。その点私は友人に恵まれており、波乱万丈な人生ではあるが、それでも様々な障害を乗り越えて今に至る。病気もその一つであるが、その病気によって助けられている部分も少なからず存在する。
 厳しい食事制限のある中で、私にとっての外食は自分の病状を左右する極めてリスクの高いギャンブルのようなものである。だから料理の品を選ぶ時はどうしても慎重にならざるをえない。それには外食の前日から体調を整える必要があり、出来るだけ空腹の状態にしておき、水分はギリギリまで控える。
 そうやって外食と言う大きなリスクの伴うイベントに臨むのである。そんな事までして何が楽しいのか?料理を心底美味しく味わう事が出来るのか?と言った疑問を抱く人もいるだろう。然し、厳しい制限があるからこそ、一つ一つの料理が色鮮やかに際立って来るのである。ビールサワーなどのアルコール飲料も同じ事が言える。
 1日1リットルしか許されないのであれば、出来る限り好きな物を飲みたいと思う。勿論、身体を労るのは当然であるが、許容範囲内で妥協するのである。外食はいつも病気と隣合わせだが、私にとってはスポーツと同じだと思っている。

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夢に咲く花(恋あざみ)。

恋あざみ



傷つき壊れかけた この
お酒と一緒に 飲み干した
あなたの残り香 ただよう夜に
止まらぬ涙を 隠すため

嘘と本音が 交わる夜に
かわした約束 夢に見る
震える指先 あなたの背中
縋り付きたい あざみ

あああ~ 咲かせてならぬ の花
あなたの吐息が 近すぎる
あああ~ だめよ に触れないで
咲いてはならない あざみ
あああ~ このが 色褪せぬよう
あなたの面影 夢に咲く

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今年の抱負は勤勉と努力!

2018賀正

 皆様、新年明けましておめでとうございます。
 こうして無事に新たな一年を迎える事が出来、胸の内は安堵感で充たされている。治る見込みのない病気を抱えていると、どうしても不安が付きまとい、ともすれば死神の手招きを夢に見ることもある。それでも眼の前の悪夢を払い除け「生きてやる」と言う強い信念を持ち、多くの善意に見守られている自分は幸せ者なんだと言い聞かせている。
 さて、今年の干支は戌年である。それに因んでこの一年の抱負を「勤勉と努力」にしたいと思う。昨年を振り返ると、二度の入院があり(8月は仕方ないにしても)、抜歯はともかく心不全を招いたのは体調管理を怠った自分の責任であった。
 毎年の事ではあるが、気温の下がる秋~冬は特に要注意だ。理解してはいるものの、時としてその誘惑に負けて食生活を乱す。入院中のような病院食を自宅でも摂れるよう腎不全食をネット注文し取り入れてみたりしているが、どうも長続きしないのである。
 心臓疾患は兎も角として、人工透析になるような事態は避けたい。日頃から腎臓を労り、赤子を寝かし付けるように優しく扱ってやらないと、腎臓が固く縮んで行ってしまう。残された30%の機能を出来るだけ長く維持するために、今まで以上に努力が必要となる。
 31日の大晦日年越し蕎麦を食べながらNHK紅白を鑑賞した。紅白をまともに見たのは十数年振りだった。何気ない年末の風景の中にも幸福は転がっているものだと思った。このありふれた日常をこの先も長く続けて行くために、もっと自分を大切にしなければと改めて思う。お正月の期間は飲食の機会が増えるため、つい食べ過ぎてしまいがちになる。皆さんも健康に考慮して愉しい時を過ごされますように。
 
 本年も昨年と同様にビーチサイドを宜しくお願い致します。そして更に皆さまの一年が笑顔に包まれた幸多き年になりますようお祈り致しております。
平成30年 元旦。
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