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ビーチサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が 迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集 天国の地図(レヴュー)。



詩集・天国の地図(文芸社から頂いた書評一部抜粋)。

*作者が20歳から28歳までの間に綴られた、全62作品からなる詩集である。「あとがき」によれば、作者が詩に興味を持ったのは20歳の時だという。そして、最初に手にした詩集は『伊藤整詩集』と『高見順の死の淵より』の2冊だったとも記されている。
作者は幼いころ「心臓弁膜症」に罹患し、最初に手術を受けた時のことを回想して、『手術台に上がれば』を書いたとのことである。それをきっかけに、いつの間にか62作品の詩が出来上がっていたらしい。そして、心臓弁膜症に起因するうつ病を患い、現在は回復の途上にあると記されている。ここに本作品群の最大の特質があると言えるだろう。
「うつ病」を克服し、社会復帰を目指す作者の個人史が、その内面の必然性によって詩文の形に表出した、痛切ながら鮮やかな「青春物語」なのである。
*「記念すべき最初の詩」と作者自身が言う『手術台に上がれば』は、純粋な孤独感を表現した作品と言えるだろう。社会的な関係によって成立する作者の日常世界が、手術という出来事によって断ち切られ、それによって自覚された意識の反復が、言語世界として抽象化されている。
「けたたましい車の騒音が/私の耳をつんざく/ああ――/今日もまた彼等は/あの騒がしいラッシュアワーの中を/仕事に出掛けて行く/愚かな独り言を呟いて/私は又眼を閉じた」―― 「私」は「彼等」とは異なる世界に疎隔されている。かつては自分も所属し、ほとんど意識することもなかった日常世界、それが今は決定的に遠いものとなり、 もはやそこに自分の居場所はない。断念と諦念、その後に訪れた孤絶感の淵に作者は重く佇んでおり、本作品はそれを見事に描き切っているのである。

*『偽りの蒼い空』や『不安』といった作品も強く印象に残る。『偽りの蒼い空』は、破綻した「愛」を扱った詩である。 「荒涼とした海の上を/私の魂は彷徨っている/現在と過去が綾取りをして/記憶の中を交錯している」といった部分では、青春の詩人・ランボーやヘルダーリンを彷彿とさせる、青春期のたゆたうような精神の「彷徨」が率直に表現されていると言えるだろう。また。『不安』では、「宿命」的な「病」への罹患体験 を経て、作者はその奥に「原罪」を見出していく。「眼に見えなく/形のないものが/僕の背中に横たわっている/それは/ずっしりと重く/動かない」―― 「不安」とは、無根拠に人間の精神を蝕み、苦しめ、抑圧するものである。それを作者は「原罪」と読み替えて解こうとしているのである。

*表題作『天国の地図』は、「死」という非日常の実感を「日常」世界に取り込んでしまった、作者にしか表現することのできない、洒脱で、距離感をもった作品と言えるだろう。
実際には余人の想像を大きく上回る苦しみであったに違いない。だが、作者は自己を「他者」として捉える視座を保っており、詩文には見事な距離感が達成されているのである。重みと痛切さの中にも洒脱さが感じられる所以である。
同様の苦しみの中にある読者なら大いに勇気づけられるだろうし、それ以外の人々も深く共感することだろう。


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3泊4日、故郷への旅路(養護学校編)。

養護学校編
無人になった13病棟の窓から腕を伸ばしているのが私(14歳の頃)。

 『今夏は天竜養護学校へ行くぞ!』を今年の目標に掲げていたが、それが実現出来た事はこの上なく嬉しく思う。墓参りを済ませた後に息子が運転する車で磐田駅へと向かった。久しぶりのドライブと東名高速道に気分も浮かれていた。31日はジュビロ磐田の試合があるため、午後3時を過ぎると道路が混雑してまともに走れなくなると聞いて、午後2時に友人と磐田駅前で待ち合わせ。息子に礼を告げて今度は友人の車に乗り込む。途中でもう一人の友人を乗せて一路、北川君宅へと向かった。北川君は今年1月上旬に肝硬変で亡くなった養護学校の同級生だった。3人で玄関をノックすると、北川君に生き写しの息子が家に招き入れてくれた。仏壇には少しはにかんだ彼の顔写真、その写真が「神戸、よく来てくれたな…」と話し掛けてくるように思えた。
 その日は浜松駅近くの居酒屋で10人ほどが集まってのプチ同窓会。それまで時間があったので、養護学校の恩師である梅林先生宅へと向かう。先生は96歳と高齢ながら元気な姿で迎えてくれた。15年以上も会っていなにのに、私の顔を見るなり「ああ!神戸くん!!」その言葉がとても嬉しかった。他の二人の事は覚えていないようだった。その後、浜松駅でメンバーと会う。養護学校時代の生徒会長だった『本樫』くんに45年ぶりの再会!これもまた感激で胸が熱くなった。プチ同窓会は約2時間で終わり、その後はカラオケへ…。次の日(9月1日)、昼少し前に西鹿島駅に到着。静岡にいた頃は浜松にいる親友の家に遊びに行く時は必ず利用した『遠州鉄道』2両編成の赤い電車が懐かしい。駅で同窓生の先輩が車で迎えに来てくれていた。元看護師の真紀さんも同行して、天竜病院にALS(筋萎縮性側索硬化症)のため、10年前から入院している元看護師の渡辺さんのお見舞いに。渡辺さんは養護学校へ転向して初めて迎えた正月、病棟の殆どの子供たちは冬休みを利用して親元へ帰るが、帰る親のいない私に「神戸くん、もしよかったら私の家に来る?」と声を掛けてくれた人。渡辺さん宅の温かいお風呂の湯加減を今でも覚えている。だから、帰省した時は必ずお見舞いすると心に決めていた。意思疎通の出来ない身体でも私たちの姿を見た時、表情が変わり眼に涙が滲んでいた…。天竜病院から更に上へと登った場所に母校天竜養護学校(特殊支援学校)がある。中までは入る事が出来なかったため、門の所で記念撮影。私の心の故郷でもある。
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スカイツリーからの便り。

スカイツリー十間橋


君から
便りが届いたよ
スカイツリーのてっぺんから
この広い空を渡って
僕の心に
届いたんだよ


スカイツリーを撮影する上でどうしても失敗は避けたかったため、入念な準備を行った。スカイツリー撮影スポットは数多くあり、人気のスポットには多くのカメラマンが集まるだろう事は予想が付いていた。他の人たちと同じ場所で撮影しても似たり寄ったりの写真になってしまうため、独自の撮影スポットを確保しなければならない。
 写真撮影は、撮影スポットを決める前から既に始まっており、頭の中に幾つものイメージを浮かべ、試行錯誤しながら実写へと移行して行く。私が選んだ撮影スポット水鏡に映る逆さスカイツリーで有名な十間橋。人気スポットであるため、その日も多くの写真愛好家が集まってその時を待っていた。
 私はそれより更に150mほど下った北十間川に架かる歩道橋。そこには誰一人として撮影している者はおらず、私だけの隠れスポットとなった。その日は天候にも恵まれ、眼を見張るような美しい夕陽に出会えた事もラッキーだった。次回は一眼レフで再挑戦してみたいと思う。
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3泊4日、故郷への旅路(静岡編)。

駿府城


 紹介する順番が逆になってしまったが、墓参り(31日)の前に静岡市へ立ち寄った。今回の旅の目的の一つが息子の経営する『パソコンサロンゆうらく』の事務所見学。事務所立ち上げの時も招かれていたが当時の私は心不全を連発し絶不調だった。それから7年、漸くこの眼で息子の事務所を見る事が叶った。
 約束の時間は18時30分、藤枝を発ったのは15時頃だったが、午前中は雷と共に激しい雨に見舞われた。天気予報も一日中雨となっていたのでテンションは下がり気味だったが、静岡市内に入った頃には雨も止み傘を必要としなくなる。約束の時間まで駿府公園などを散策。ところが夕方5時頃になると、なんと青色が空一面に広がり始めた。あれほどどんよりと曇っていた空が誰かを招くように青空をプレゼントしてくれたのだ。
 まさにシャッターチャンス到来とばかりにスマフォカメラのシャッターを切った。私が静岡に住んでいた頃は、駿府城お堀と石垣しかなかったのだがそれが現在では写真のように立派な城の建物が出来上がっている。現在と過去が混在したこの異空間でひと時タイムスリップを味わう事が出来た。
 息子の事務所では大歓迎を受け、息子の手料理を堪能した。そして一眼レフカメラについて多くの事を学ぶ事が出来た。もう少し時間があれば新静岡と新清水を結ぶ静岡鉄道に乗ってみたかった。10代後半~20代前半まで毎日のように利用した静鉄が妙に懐かしく思えた。
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夜空を彩る花火の中に。

花火2019



夜空を彩る花火の中に
あなたの影が揺らいで見える
浴衣の裾を昨日の雨で
少し濡らした私を
大丈夫?と
小さな肩を優しく抱いた
そのあなたは今
夜空の花火となって
私を見詰めていることでしょう
あの夏の日
二人の絆が途切れた時に
もう花火は見ないと誓ったのに…



※8月3日、4年ぶりに板橋花火大会へ行った。今回は埼玉県側に行き、戸田公園荒川の岸辺に撮影場所を確保しスマフォを構えてその時を待った。周りには一眼レフに望遠レンズを載せた三脚がずらりと並んでおり、花火の打ち上げを今か今かと待っていた。
 明るい日中と違い、光が十分に得られない夜景、特に花火のように動くものが被写体となれば撮影は難しくなる。手持ちでの撮影はブレてしまう事が多く、やはり三脚は必須。私もスマフォ用の三脚を用意し、シャッターはワイヤレスリモコンを使った。あまり期待はしなかったが、最新のGalaxyS10だけあって意外と綺麗に撮れた方だと思う。

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3泊4日、故郷への旅路(藤枝編)。

2019帰省藤枝編



 8月29日~9月1日にかけて故郷静岡帰省した。急ぐ旅でもなかったので、東海道線各駅停車に乗り、のんびり車窓の景色を楽しんだ。障害者割引も利用したので東京から藤枝まで1800円と財布に優しい旅となった。だが、東京→藤枝静岡藤枝→磐田→浜松→天竜→掛川→東京という過密スケジュール。
 10キロ近い荷物を背負っての移動は決して楽なものではなかったが、懐かしい友人・知人たちに会えるという期待感で心も弾み疲れなど微塵も感じる事はなかった。写真は藤枝での様子をまとめたもの。午前中かなり激しい雨が降ったものの、その後は好天に恵まれ、故郷を満喫する事が出来た。
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残暑お見舞い2019。

池上本門寺



残暑お見舞い申し上げます。


※この写真は8月4日、池上本門寺で行われた納涼盆踊り大会撮影に行った時の一枚。池上本門寺と言えば、プロレスの父『力道山』の墓がある事でも有名だが、力道山を語る時、どうしても避けて通れないのが父の事。
 父が府中刑務所に服役中だった時、同部屋に力道山を刺した『村田勝志』がいた。父はその本人から『力道山殺傷事件』の顛末を聞き、報道されている内容と食い違う部分が多々あったと言っていた。その日、赤坂のクラブで些細な事から力道山と口論になったが、先に手を上げたのは力道山だったと言う。然も、相当酒に酔っており善悪の判断すら付く状態ではなかったらしい。
 プロレスラーは身体全身が凶器のようなもの、そこに酒が入り平常心を失った力道山は村田さんの胸ぐらを掴むなり投げ飛ばしたと言う。村田さん自身も身長180cm近くあり力道山に負けないほど体格はよかったが、その身体が6,7mほど飛ばされたと言う。闘争本能に火が付いた力道山相手に勝てるはずもないと、村田さんは瞬時に悟り気が付くと鋭いナイフを握っていた。
 父から聞いた話しが事実であれば、これは正当防衛ではなかったろうか?相手は凶器と化した猛獣のようなものである。腹を刺された事が直接の死因ではないが、己の強さに自惚れた結果なのだろう。
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雲になりたい。

雲になりたい



青い空に
ポッカリ浮かぶ
白いになり
君の住む街まで
飛んで行きたい



※埼玉県戸田市にある人工の湖『彩湖』へ行く途中、荒川水面に映り込んだがあまりに美しかったのですかさずカメラを向けた。写真は新河岸川荒川に架かる笹目橋からのもの。それにしても西高島平駅から歩いて彩湖まで行くと言うのはあまりに無謀と思われるが、地図を見て「これなら歩いて行ける」と判断し実行に移した。
 心地よい風に吹かれ色濃くなった緑の大地を踏みしめながら、そよぐ風景を愉しみカメラに収める。荒川土手ではロードバイクが何台もスピードを上げて私を追い越して行く。いつの日か自分もロードバイクに跨りペダルを漕いでみたいと思いながら彩湖を目指した。この日の歩数は2万4千歩を越えていたが、さほど疲れは感じなかった。次の日には竹芝埠頭へ海と船の撮影に行った。
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観覧車から投げKiss。

大観覧車



高い所が苦手だからと
下から見上げる貴方に
熱い熱い想いのこもった
投げKiss


葛西臨海公園に行った目的は先にアップしたポピーではなく、この観覧車。「ダイアと花の大観覧車」は、日本一大きな観覧車と聞いていたので何としてでも撮影したいと思っていた。本来であれば誰かと乗って観覧車を楽しむのだろうが、「乗る」と言う発想は全く思い浮かばなかった。
 日中の明るい内の観覧車はただ大きいだけで被写体としての魅力は感じなかったが、陽が西に沈み、夜の帳が訪れるとその観覧車の表情が一変する。見事にライトアップされた大観覧車がその存在を夜の大空に浮かび上がらせる。私は時間も忘れて夢中でスマフォのシャッターを切りまくった。おそらく観覧車だけで30枚は撮影しただろう。
 時間が20時に迫っていたので帰る姿勢で観覧車を見上げながら歩いていた時、それまで全く気付かなかった観覧車の姿を発見!それは池に映り込むもう一つの観覧車だった。
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東京ガスのタンク三兄弟。

ガスタンク



新河岸川沿いに仲良く並ぶ丸いガスタンク。もしこれが転がったら!
想像すると怖い。
美しさと恐怖は紙一重なのだろう。




※自宅から自転車で高島平方面に20分あまり走った所に「板橋区立熱帯植物館」がある。その直ぐ近くを流れる新河岸川沿いにある巨大な丸いガスタンク。その日は熱帯植物館が目的だったので、日を改めて訪問してみた。
 このガスタンク夕陽が当たったらさぞ美しいだろうと、頭の中に被写体のイメージを思い描く。カメラの撮影はこの時点で既に始まっているもの。時間を掛けて時の流れを観察するのも撮影の醍醐味である。この見事な夕陽に恵まれた事、そしてそれをカメラに収める事が出来、イメージ通りの構図を与えてくれた太陽と雲と川とガスタンクに感謝!。
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運河を渡る風になれ。

モノレール



※運河の上を走るモノレールを撮影するため幾つかの運河を渡り歩いた。勝島運河京浜運河天王州運河新芝運河、そして芝浦運河と。お蔭で東京の運河には随分と詳しくなった。その運河の景観も場所によって随分と違いがある。アップした写真は5月30日、レインボーブリッジを撮影する為に田町駅から歩いて芝浦埠頭へ行く途中であった。
 芝浦アイランド近辺にはお洒落な高層ビル群やその縁を運河が縦横無尽に走っており、芝浦埠頭に着くまでに随分と眼を楽しませてくれた。モノレールを撮影するスポットを幾つか巡り、何度かスマフォのシャッターを切った。写真はその中の一枚である。その後に目的地の芝浦埠頭に到着。下から眺めるレインボーブリッジは圧巻であった。そして歩いてレインボーブリッジを往復。気付くとその日は2万歩を遥かに越えていた。

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アザレアの誘惑。

アザレア



アザレアのように美しい君に
僕の心は奪われそうだ



※このアザレアは真冬の気温だった4月下旬に撮影したもの。撮影と言えば日中の明るい内に撮影する事が多い。だが、私は敢えて闇に浮かび上がる妖艶なの姿を撮りたくて夜10時過ぎにを探しに出掛けた。近所の公園に行けば沢山のが咲いている。然し、私が求める構図が中々見つからなかった。
 幾つかの公園を巡り最後に辿り着いたのが西台駅近くのありふれた小さな公園だった。その一角にそれはまるで私が来るのを待っていたかのように開いていた。「よし!これだ」そう呟き、スマフォシャッターを切った。自分の思い描いていた構図写真が撮れた時の喜びは、カメラを持つ者であれば理解出来るだろう。

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紫陽花の恋。

紫陽花



あなたが
心変わりしないうちに
あなた色に染まりたい
わたしです



※雨の日の浅草界隈を撮影しようと思い、浅草橋で降りたところで雨が止んでしまった。そのまま神田川を下り隅田川に出た時に見つけたのがこの紫陽花
写真の醍醐味はその被写体が持つ魅力を最大限に引き出すところにある。のまま撮影するのではなく、そこにストーリー性を含ませる事。そうする事での魅力がより一層際立ち自身も喜んでくれるだろう。
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可愛いポピーに首ったけ。

ポニー



たくさんの花の中から
君だけを
見つけたんだよ



葛西臨海公園観覧車ポピー畑。この日は風が強く、このポピーを撮るのに随分と苦労した。高価な一眼レフカメラなど買えないのですべてスマフォで撮影。ある意味、写真撮影はスポーツだと思う。被写体を探し求めてよく歩くし、集中力、観察力、体力が不可欠。この日の歩数は2万歩を越えた。距離に換算すると13キロ余り。休憩は食事の時に10分程度で後はひたすら歩いていた。
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あの日(遠い記憶の彼方で)。

こと江


あの日 僕は母さんに
会いに行ったんだよ
木町に帰っていると
父から 聞いたから
父は 会いに行って来いと
言ってくれたんだよ
だから 僕は少し照れ臭かったけれど
勇気を出して 行ったんだよ
でもね 母さん 
僕の眼には女の人が三人いて
誰が母さんなのか分からなかった
だから そのまま会わずに戻ったけれど
三人とも母さんに見えたから
少し得した気がしたんだよ


※写真は藤枝市木町(現在の茶町)にある母の実家と祖母のこと江。祖母は眼に入れても痛くないほど私を可愛がってくれた。1989年糖尿病により76歳で生涯を終えた。私の記憶は小学校に上がる前のものなのでおぼろげに覚えている部分を強調して書いた。おそらく三人の女性は叔母たちで母は含まれていなかったと思う。
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今夏は天竜養護学校に行くぞ!の巻。

校門


 この写真は2009年11月1日、同窓会に出席する際に母校である天竜養護学校に立ち寄り撮影したもの。この日は11月だと言うのに真夏のような暑さだった。2013年1月に発症した脳梗塞以来、すっかり体調を壊し心不全の嵐に見舞われるようになり行動力や気力も落ち込み、医者や看護師の厳しい管理下に置かれ、入院時と同じ様な生活を送るしかなかった。然し、普段の食事も外食を極力控え、病院食とほぼ同等な腎不全食を口にする毎日がいつの間にか当たり前となり苦にすることもなくなって来た。
 今年は今までに経験した事がないほど調子が良く、約2年間、入院から遠ざかっている。主治医や看護師も驚くほどで、自分の中からエネルギーが迸るような感覚さえある。昨年の今頃は体重が66キロまで増えて心臓に負荷を掛け苦しくて外出する気力も湧いて来なかった。だが、今はベスト体重61キロを維持。もしこのまま猛暑の夏になれば更に体重が落ち10年振りに60キロを割るかも知れない。階段を上ったり歩いたりしている時に息切れはしているのだが、その息切れさえも苦にならないほど今年の私は元気である。
 だから10年振りに同窓生の顔を見て来たい。墓参りからも疎遠になっているし、この夏は3泊4日辺りで故郷に帰省し「元気だよ」と皆を安心させたいと思っている。そして1月初旬に亡くなった友人・北川君の墓前に線香をあげたいと思う。

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五月の空に。

飛べ



を仰ぎ見よう
がわたしを
後押ししている
すべての呪縛から
心を解き放て
この五月
に乗って
何処までも
自由
飛んでゆこう


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リストカット。

リストカット



となって
わたしの心を
かき乱す
手首に刻んだ傷跡
わたしの過去を
物語る
今宵も流れる
血染めの儀式
わたしの命は
闇の中


初掲載 2012年528日19時57分14秒。
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真珠のネックレス

真珠


貴方の存在が
真珠ネックレスのように
わたしの首に絡みつく
思い切り引っ張って
貴方を切り取って
バラバラな星屑にしたいのに
放っといて のひと言で
傷つく貴方を
わたしは やっぱり
捨てられない


※詩集 天国の地図に収録されている恋愛詩は別として、40代以降になって初めて書いた恋愛詩である。これ以降、次々と女性目線で描いた恋愛詩が生まれることとなった。

初掲載 2012年6月6日15時39分56秒。

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歌舞伎町ブルース

歌舞伎町



流れついたの 歌舞伎町
ここでバイトを 始めたの
三年前に 別れた男
今ごろ何処に いるのやら
あたしの指輪 質屋に入れて
酒に溺れた やくざ



※タイトルと写真を変更しました。
初掲載 2012年5月30日14時57分22秒
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愛鍵(the key of love.)。

鍵


この
逃げ出してしまわぬよう
この手の平を
すり抜けてしまわぬよう
鍵を作ったの
の奥に
閉じ込めておきたくて
二人の
これ以上
離れ離れにならぬよう
二度と壊れてしまわぬよう
祈りを込めた鍵が
二人を繋ぎ止めてくれますように


初掲載 2012年7月28日00時05分33秒
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桜の花びらが舞い散る午後に(レクイエム)。

花びら



花びらが舞い散る午後に
あの娘は逝った
天使の衣を纏って空高く
注射が嫌だと駄々こねて
僕を随分困らせたっけ
君があんまり泣くもんだから
瞼を両手で押さえると
「バカっ涙であたし溺れちゃうよ」
と言って僕の腕にキスしたね
は散ってもいつかまた戻って来るけれど
君と過ごした日々はもう戻らない
花びらが舞い散る午後に
涙の抱擁だけを僕に残したまままで
あの娘は散った
閉じた瞼に最後のくちづけを


白血病のため16歳で亡くなった少女に捧げた詩(鎮魂歌)。
 当時はまだ白血病の治療が確率されておらず、輸血と出血の繰り返しであった。彼女の病床を見舞い、「頑張れ!負けるな!」と励ましたその3日後に彼女は眠るように息を引き取った。
初掲載 2013年4月11日00時01分20秒。
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シーツの上の愛。

シーツ



洗い立てのシーツに
愛を描いてみた
小指が不器用に這うだけで
愛はシーツの上を滑っていく
洗い立てのシーツの上で
愛が空回りしている




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消したがる子。

母の日



消しゴムでゴシゴシと
ノートの落書きを消し
机のいたずらを消し
嘘つきの自分を消し
ごまかしを消し
貧しさを消し
いじめを消し
学校を消し
虐待を消し
アルコールを消し
母を消し 父も消し
そして最後に
自分自身も 消してしまった



※消したがる子は幼少期の私であるが、昨今のいじめや児童虐待のニュースを聞く度に胸が締め付けられる想いがする。

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心不全の元凶は三尖弁逆流!

三尖弁


 スマフォで撮影した動画をYou Tubeにアップするほどでもなかったので、てっとり早くmp4をGifへと変換したものが↑である。昨年11月に受けた心臓の超音波検査心エコー)。これを見る限り重度の三尖弁逆流が起きている事が分かる。1989年4月に三井記念病院の循環器センターで僧帽弁置換術を受けてから30年の年月が流れた。人工弁はその長い年月を感じさせないほど軽快に動き全く問題なし。
 然し懸念は壊れた三尖弁であるがこれは二次性の機能性三尖弁逆流と呼ばれており、左心系の代表的な弁膜症(僧帽弁閉鎖不全)に起因している。この動画を見て分かる通り、青と赤の色が血液の逆流を示しており、心臓はそれを補うようにこれでもかと頑張って全身に血液を送り続けている。自分の意志でもないのに健気に動き続ける心臓を見ていると切なくて涙ぐんでしまった。
 何年か前に心不全で救急搬送された時の担当医から「神戸さんの心臓は手の施しようがない」と匙を投げられてしまったが、それでも私はしぶとくこうして生きている。薬で誤魔化しながら時には心細くて折れそうになっても、持ち前の運の良さで病気を笑い飛ばして来た。今回は心エコーと並行して腹部も検査対象となっていた。ALP609,LDH419、γ-GTP346とこの数値だけで判断すれば肝臓が悲鳴を上げているのも当然であるし、肝硬変を疑われても仕方のない事だが、検査結果では肝臓に明らかなSOL(肝内占拠病変)は無しと診断された。数値が高いのは今に始まった事でもなく10年以上前から続いている事で、主治医もその的確な原因究明には至っていない。
 但し、慢性心不全が長い期間に及んでいるため、加齢とともに臓器の至る場所に病変の疑いありと出ている。脾臓=副脾疑い、腎臓に関しても慢性腎不全の状態、胆嚢腺筋腫症疑い、両側多発腎嚢胞などなど…。それに加えて血糖値が7.0と高く明らかに糖尿病である。これは遺伝だから仕方がないにしてもインシュリンのお世話にならぬよう気を付けなければならない。不整脈も相変わらず脈が飛んだり跳ねたり暴れている。それは子どもの頃からなので自身は殆ど気にしていない。
 こんな病気だらけの身体でよく生きているものだと我ながら感心する。然し、2年近く入院もせず心不全も起こしていないのだから大したものである。病気が進行してるという自覚もない。まだまだ自分は頑張れる、いや頑張ってやる。1月に亡くなった友人の分までこの命を生き抜いてやる、そう心に誓う自分がいる。

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