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あの日(遠い記憶の彼方で)。

こと江


あの日 僕は母さんに
会いに行ったんだよ
木町に帰っていると
父から 聞いたから
父は 会いに行って来いと
言ってくれたんだよ
だから 僕は少し照れ臭かったけれど
勇気を出して 行ったんだよ
でもね 母さん 
僕の眼には女の人が三人いて
誰が母さんなのか分からなかった
だから そのまま会わずに戻ったけれど
三人とも母さんに見えたから
少し得した気がしたんだよ


※写真は藤枝市木町(現在の茶町)にある母の実家と祖母のこと江。祖母は眼に入れても痛くないほど私を可愛がってくれた。1989年糖尿病により76歳で生涯を終えた。私の記憶は小学校に上がる前のものなのでおぼろげに覚えている部分を強調して書いた。おそらく三人の女性は叔母たちで母は含まれていなかったと思う。
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俊樹
Posted by俊樹

Comments 11

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みゆきん  

お母さん似だね
働いて頑張ったお母さん
きっと、見守ってくれてると思うよ。

2019/06/07 (Fri) 14:02

koyuri  

俊樹さんて

御祖母さんに、とても良く似ていらっしゃるのですね。

大事にして下さった方が居ると、人は人生を肯定的に捕えられると思います。

可愛がってくれた御祖母さんが居るなんて羨ましいです。

どちらの祖父母も、赤ん坊の時までに全部亡くなってしまったので、記憶が全くナイので。

2019/06/07 (Fri) 23:55

よしお  

こんばんは

遠い昔の記憶ってたどったりするのも大変だろうねぇ。
よく覚えてる記憶は覚えてますが、薄っすらとしたやつだと判別ができないのとかもありますからねぇ~。

2019/06/08 (Sat) 18:45

ネリム  

こんばんわ
お母様に似てますね。
過去の記憶ははっきり覚えているのと、ぼんやりしているのがあっても仕方ないと思います。

2019/06/08 (Sat) 19:56

sado jo  

昭和を生きた女性の顔には苦労の年輪が刻まれています。
男子を兵隊に取られて、女手一つで子供を育てた戦時中。
食料がない時代に子供の食べ物を探して闇市をさまよった戦後。
きっと、命のバトンを絶やすまいと懸命に生きてこられたんでしょうね。

2019/06/09 (Sun) 11:42

雪野繭  

私の祖母というのは早死にだったので、会ったこと自体がないです。
こうして記憶に残っているのは、とても幸せなことだと思います。

2019/06/10 (Mon) 10:27

とんがりねずみ  

木町は今の茶町なんですね。知らなかった~。
母の実家が本町(王手のバス停からすぐ)で、今も叔母夫婦と従兄夫妻が住んでいます。
幼稚園くらいの時かなぁ・・・祖母の家もそんな感じの木の壁だったような記憶が。典型的な昭和初期の家ですかね?
私にも叔母が3人いるけど、顔が違いすぎて間違えようもなかったです(笑)
私も・・・小学校低学年のころ、母に会いにその実家に行きました。別人みたいで声をかけられなかった記憶。(鬱病で実家で療養していた)

2019/06/10 (Mon) 11:31

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2019/06/10 (Mon) 15:13

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